第2話 オーガ令嬢、里を出る
私の名はロメリィ=ジリアーズ。どうやら自分はどこかの国の貴族の娘であるらしい。
らしい、というのはその記憶を思い出したばかりで実感が薄いからだ。私はごく最近、というか騎士団という武装した人間たちがオーガの里を襲ってくるまでそのような記憶を喪失していたのである。
(まあ、思い出したからと言って元の生活に戻りたいと思う訳でもない)
十年前に私の乗っていた馬車は転落事故に遭った。事故の原因はなんらかの魔物の群れの横断に巻き込まれたからではないかと思うが、思い出した記憶の中でも朧気だ。耳を押さえたくなる程やかましい大量の鳴き声と人の怒声や悲鳴の中、私は崖を落下する馬車からこの身一つで放り出された。
恐怖で気を失ったようでそれ以降全く覚えていないが、どうやら巨大な鳥の魔物が落下中の私を掴んだらしい。手に入れたエサを安全な地まで運ぼうとしたのか、巣に持ち帰るつもりだったのか。私を抱えたまま山をいくつか超えたその鳥を、オーガが打ち落とした。一緒に落ちてきた私を彼らは保護したが目を覚ました私はショックのせいか自分の名前以外何も覚えていなかった――という訳で、十年もオーガとして暮らしてきた私に突然人間界へ帰って来いと言われても、人生の半分以上を過ごした家はこちらにあるのだから帰るべき場所はこちらだ、というのが私の意見であった。
「親父殿。人間の国へ行き、そちらで暮らすことにした」
「……いや、先程までの話と違わないか?」
「うむ。しかしだな、この里には私より力のある者がいない。外の世界なら強者が見つかるかもしれない」
力こそ正義。強者こそ絶対。オーガは力が序列を決める。そして私はこの里の中でトップに君臨してしまった。つまるところ、いくら求婚されても私としては自分より力のない婿を迎える気にはなれないのだ。それがオーガの価値観である。オーガの女も体が大きく体格がいいが、男ほどではない。本来であれば力で男に敵うことはないのだが、人間である私は特殊であったらしい。
(いや……人間だからではなく
先日訪れた人間の国の使者によれば私は竜の血を引く特殊な家系の最後の一人。すでに竜は絶滅しているため、この世界で唯一の竜族でもあるのだと言う。
竜についてはこの村にも文献や言い伝えが残っているし、幼いころの記憶も思い出したため知っている。絶大な力を持つ種族であったその血を引く私もまた、強大な力を受け継いでいるらしい。道理で体つきに見合わない膂力を持ち、屈強なオーガの男を投げ飛ばせてしまう訳である。
(この里で競われるのは膂力ばかりだが……外界は違うらしい)
力とは何も膂力だけではない。外の世界にはオーガの里にはない“力”が存在していると、交渉に来た男の話から理解した。
「物理的に私をなぎ倒せなくても、私より強い何かの力を持っている存在はいるかもしれない。それに……この里の安全が保障される。悪い話ではなかった」
私が人間の国へ行くならばこのオーガの里を人間が襲うことはない、そのように命令するという話をされた。交渉に来た男はそれが出来る“力”を持っているという。
それは私の知らない力だった。己の国の人間を従わせることができる能力、王族が最も強く持つ“権力”というもの。外の世界は広く、私の知らない力にあふれているのだろう。外界になら私が求める強者がいるかもしれないという興味を持つには充分だった。
(人間は一人なら弱いが集団となると厄介だからな。この村も存在が知られた以上、場所を移すか戦い続けるしかないと思っていたが……私が人間の国に行くだけで平和協定が結べるというなら楽なものだ)
双方に利のある話を断る理由はなかったのでその話を承諾した。どうせこの村に私の行動を止めることのできる者などない。それこそ、私を拾って育ててくれた目の前のオーガであっても。
「里のためか……我々とて人間と争いたいとは思わぬが、娘を犠牲にしたいとも思えない。ロメリィ……おぬしは本当にそれでよいのか」
私が父と慕うオーガはいかつい顔を苦渋の色に染めながらそう言う。生まれついて肉体の力が強く、実力主義であり、強者こそ絶対という価値観を持ちながら無為な争いを好まないのがオーガという種族だ。穏やかで心優しい一族なのである。
だからこそ突然降ってきた帰る場所も分からぬ記憶喪失の人間の娘を迎え入れて、ここまで育ててくれた。私は父もこの村の者達もみな家族として愛している。
「勿論だ、親父殿。それに言っただろう、外には私より強い力を持った誰かが居るかもしれない。そろそろ自分より弱い者に求婚されるのに辟易していたのだ」
オーガは強ければ強いほどモテる。好きな女を射止めたければ、その女の前で実力を示すもの。年に一度の武闘会は男にとって力を示す最も良い機会であった。……まあここ三年は私が優勝し続けているのだが。
おかげで男にも女にも持て囃され、特に男からは求婚が相次いだ。しかし自分より弱い力しか持たない者とは結婚しないと突っぱねていたら、この一年ほどは毎日のように試合を挑まれる始末である。実力差がありすぎて鍛練にならないし段々面倒になってきたところだ。
「だから丁度良い機会だと思ってな。私より強い婿を探しに行くぞ」
「……ああ……ロメリィは人間だというのに、一体誰がこんなオーガ脳に育てたのだ……」
皺が刻まれた顔を大きな手で覆い、深くため息を吐く父に不思議なことを言うものだと首を傾げた。彼はオーガの中でも老齢で、私を拾った時には妻に先立たれ、子供たちは独立していたので二人暮らしであった。そして十年の間、私は目の前の彼を父と慕って暮らしてきたのだ。
「……親父殿以外に居るか?」
「……おらんな」
私を本当の娘のように、年齢的には孫のようにかもしれないがとにかく大事に愛情を持って面倒を見てくれた彼の口癖が「余程強い男でなければロメリィを嫁にやる訳にはいかん」であったのだから完全に彼の影響である。
「それは人間であるロメリィが苦労しないように、結婚相手はどんな奴の意見でもねじ伏せるくらい強くなければならないという意味であって、おぬし自身がそうなるとは思わぬであろうが……」
「ははは。まあ、いまに見ていてくれ親父殿。外の世界で私より強い男を探して、必ず婿として連れて帰ってくる。親父殿はただ楽しみに待っていてくれればよいのだ」
その時、我が父は何とも言えない微妙な顔をして、私でなければ聞き取れないような小さな声で呟いた。
「ロメリィより強い力を持つ男などこの世に存在するのか……?」
不吉なことを言わないでほしい。世界は広いのだから、可能性はあるはずだ。
そうして私はオーガの里を後にした。男どもには泣いて縋られたが文字通り全部投げ捨ててきたので諦めてくれることを願う。
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