春の湊と凍える冬

上月へこみ

春の湊と凍える冬

 あなたへ


 恋も、愛も、口づけも、何もかもが初めての経験でした。何に手を伸ばしても、何が襲ってきても、ふたりなら乗り越えられると、まるで一切の迷いなど知らぬようでした。

 幸せでした。――それも、怖くて怖くて、この手紙をしたためるほどに。



 私たちが初めて入った海沿いにある、観光客向けのレストランで(きちんと覚えております。忘れるはずもございません)ふたり、牡蠣カレーというものをいただきましたね。私は「海鮮は苦手です」と申したはずで、あなたもそれを承知のはずでしたが、すこしの迷いもなく注文したあなたを恨めしく思いもしました。けれど、向かいの席に座るあなたの、そのいたずらな笑顔が眩しくて眩しくて、すぐに、まるで思い上がりにも似たような気持ちがこみ上げてきました。それだけで私はあなたを許してしまうので、「ずるい」と思うと同じくして、自分自身に対しては「甘い」と、ただただ呆れるのです。今思えば、眩しかったその笑顔は、あなたは窓際の席でしたから、単純に光を背負っていただけなのかもしれません。

 さて、牡蠣カレーをいただいたお話でしたね。はい、とても美味しゅうございました。それも驚くべきことに、「甘い」のです。いいえ、子ども向けのカレーではないのですから、間違っても甘いはずはないのですが、けれども、しかし、しかと「甘い」のです。私は海鮮に加えて、辛いものも苦手ですので、この牡蠣カレーが「甘い」のは、もはや間違いようのない事実かのように思えてなりません。ひとつ、この私にでも美味しくいただくことができた事由を考えてみました。それは、この牡蠣カレーが私たちの手元に用意された時のことです。いかにも得意げに、いたずらな笑顔を作っていたあなたが、まるで心の底から怯えるかのように一変して、重大なことに気づいてしまったかのように、

「君の立派な服が汚れてしまったら大変だ」

 などと、のたまうのです。さんざん私を振り回しておいて、「何を今更」です。なんだか、それがおかしくておかしくて、文字通り、噴飯ものの物言いでした。私に、苦手な海鮮(それも辛味!)を得意げに注文した罪も、そのいたずらな笑顔も、全てが馬鹿馬鹿しくなって、

「ずるい人」

 と一言。それであなたを許してしまうあたり、私はやはり「甘い」のでしょう。ですから、苦手なはずの牡蠣カレーも「甘い」と感じたものと思います。向かいの席に座るあなたは、額に汗の粒を何滴かつけて、それを窓から差し込む光に反射させながら、時々それを拭いつつ、カレーをスプーンにすくっては冷えた水を飲み、ひいひいと息を漏らしながら食を進めていました。

「うぅ、辛い……」

 まさか、あなたが私よりも辛いものが苦手だとは思いもしませんでした。あれほど得意げで、いたずらな笑顔を作っていたあなたはどこへ行ったのでしょう。私はそんなことを考えていました。

「まったくもう、変な人」

 窓際の席で、額に汗を浮かばせながら、悔しそうに、恨めしそうに、けれど、楽しそうに、美味しそうに、幸せそうに、カレーを口に運ぶあなた。

 それからはしばらくの間、あなたとふたり、ここは食事処であるというのに笑いあっていましたね。それも、お恥ずかしい話ですが、口元を隠す余裕もなく。文字通り、噴飯もの、でございました。



 あなたとのはじまりは、SNSでしたね。(きちんと覚えております。忘れるはずもございません)まるで、現代というのに文通をしているようで、あなたからのお返事を待つ時間は、その浮き立つ心を抑えるために、甘くてしっとりとしたバウムクーヘン(それも、たくさんのシロップがかかっています)のひと欠片を口の中に放り込んでは、却って胸焼けを起こす心地にありました。待てども待てども「既読」はつかず、癇癪をおこしかけてはバウムクーヘンのひと欠片を口に放り、確信した恋の味にむせるのです。あなたが「かけひき」と仰って、「既読」をつけるまで、わざと時間をおいていたという事実を知ったのは、しばらく後になってからの話でございます。ちろりと舌を出して、いたずらな笑顔を作っているあなたが目に浮かび、まったく、憎らしいものです。

 ――SNS。何の気なしにインストールしたものです。有象無象のユーザーが誰に宛てるわけでもなく、好き勝手につぶやく。そのようなSNSでした。

 ふと、短歌を投稿しているユーザーが目に留まりました。短歌という、あまりにも古風なものを、現代の最先端であるところのSNSで投稿しているのが、ちぐはぐな印象を受けて、しかし、すぐに惹かれました。


 朝日差す

 かじかむ心

 音もなく

 旅立つ君よ

 春の湊に


 これは、うまいのでしょうか? ひとつ、悲しい詩ということは、私にもわかりました。気づけば私は、あなたに連絡をしていました。知らない人から、突然DM(このダイレクトメッセージで、誰に見られることもなく、ふたりだけで連絡しあえることを知ったときの感動といったら!)が届いて、不審に思われたことと思います。しかし、あなたは私の心配もどこ吹く風といったご様子で、まるで、待っていましたと言わんばかりに詩の説明をしてくださいました。

【朝、目が覚めたら、部屋からすべての音が消えたかのような静けさを感じて、そこで、『ああそうだ、君はもう、ぼくの隣にはいないのだ。春の終わりに、私の恋も終わったんだなぁ』と認める。……といった感じの短歌です! どうdすか!】

 やはり悲しい詩でした。けれど、語尾にくっついている感嘆符(びっくりマーク、エクスなんとかマーク……正しくは忘れました)と「どうdすか!」というタイプミスで、思わず吹き出してしまいました。

(やはり、ちぐはぐではありませんか)

 それからは、事あるごとにDMで連絡を取り合い、あなたの敬語が、時間とともに何倍にも希釈されて、十分に薄まった頃、ついに私とあなたは、日常生活で使う連絡用のSNSでのやり取りに移行しました。もっとも、することは以前と変わらず、あなたとのチャットなのですけれど。

【へえ、君の名前って、春野湊っていうんだ。春の湊じゃん】

【それは少し気にしているので、あまり言わないでもらえると……】

 変わったことといえば、あなたが、たまに私のことを「湊さん」と、名前で呼んでくれるようになったことでしょうか。この現代において、なぜ短歌になど釣られて連絡をしたのかと聞かれたら、あなたの詠んだ短歌の一節に「春の湊」という言葉が入っていたため、自然と目に留まったからなのでした。

 しかし、こうしてチャットでのやり取りを重ねると、あのような悲しげで繊細な詩を詠んだ者と同じ人とは思えず、人というものは見た目(会ったことはありませんから、言動と表現したほうが正しいかもしれません)によらないものだと思ったものです。


 ――ああそうだ、君はもう、ぼくの隣にはいないのだ。春の終わりに、私の恋も終わったんだなぁ。


 以前、あなたに恋人がいたのでしょうか? なぜ失恋の痛みを綴った詩を詠んだのかと尋ねれば「気になっちゃう?」と茶化し、そして、その態度がどこか癪に障った私が「もういいです」と返せば「そんな人いないよ、湊さん」と、不意に真摯な態度になるのです。そこからでした、あなたへの恋心を自覚し始めたのは。

 敬語は時間とともに何倍にも希釈されているのに、私を呼ぶ際には「湊さん」と、敬称をつけるのです。どうしてですか。「そんな人いないよ、湊さん」本当に恋人がいなかったのですか。どうなのですか。どうして、こちらのSNSでもハンドルネームを使っているのですか。本名を知りたいです。そして、先程の「バウムクーヘン」のくだりへと繋がるのです。私はあなたのすべてが気になってしまうのでした。



「こんにちは、湊さん」

 知らぬ女性から声をかけられて、眉をひそめたのもつかの間、この女性こそが、あなたでした。(きちんと覚えております。忘れるはずもございません)私は、あなたのことを男性とばかりに思い違いをしていたのです。「『あなたはもう、ぼくの隣にいないのだ』と、『ぼく』と、言っていたではありませんか」と問い詰めれば、「よく歌詞だと、女性視点でも『ぼく』って言ったりするじゃんか」とのことでした。「しかし、危ういなあ、湊さんは」

「あたしのことを、男だと知りつつ会いに来ちゃったの?」

 そう仰って、さっ、と私の髪を撫でては忠告をしてくれるのです。私はそれにときめいて、相手が男性ではなかったとしても、私の恋心がなくなったものではないのだと、あなたへの思いは変わるものではないのだと自覚して、それはまた、おかしな気持ちになるのです。あなたは、また「しかし」と話を続けて、私を眺めて首を傾げ始めました。

「セーターだね。しかもカシミヤっぽい!」

「どうかしましたか?」

「いや、想像通りっていうか……セーターの他に、もうひとつ予想してたんだけど……和服で来られたらどうしようかと思ってたから、そっちの予想は外れてよかったなって」

 あなたは、私から視線を外して、いかにも申し訳無さそうなご様子でした。幾度となく、チャットでやり取りはしていましたが、こうして会うのは初めてでしたものね。

 私は、チャット中、知らずに宮城県の方言を使ってしまい、それをあなたに指摘されたことがきっかけでした。

【『いずい』って、あなた……】

 顔から火が出る思いでした。あなたは、その言葉をご存知でした。なぜなら、あなたも宮城県在住だったのですから。私は、半ば運命めいたものを感じて、顔から出た火は胸に移り、やがて暖かな思いとなり、鎮火されました。

「『いずい』は『いずい』ですもの」

 と、唇を尖らせながら言えば、

「んだ、んだ」

 と笑いあって、けれど、友人を相手にするとも恋人を相手にするとも違うような、先程、鎮火されたはずの気持ちは熱となり、消えませんでした。ですから、ふと、言葉を漏らしてしまったのです。


「私、幸せです。怖すぎるほどに」


 「そんなに怖いなら」と、あなたは私を抱き寄せて、揺れる瞳に目を合わせて、私の唇にまとわりついている一本の私の髪の毛を指で整えてから、意を決したように、ちゅ、と、唇同士を軽くくっつけて、いかにも照れくさそうに「うわははは」と、わざとらしく笑いながら、体を離しました。なにが「そんなに怖いなら」ですか。格好つけて、慣れないことをしているから、耳まで真っ赤ではありませんか。おそらく、私は、赤よりも、もっと赤くなっていることでしょう。それは、私を見ていたあなたがよく知っているはずです。またあなたの新しい一面を知ることができて、今思えば、それは夢を見る心地にありました。一番知りたかった、あなたの名前も知ることができました。

 友人とも恋人とも違う……この時のあなたは、おそらく私の「特別」でした。それが、私のなかで一気に「恋人」まで急上昇した刹那、顔を赤らめたあなたが「もう一度」とせがんだ摂氏百度の口づけに、私は溶かされるのです。

 はい、幸せです。幸せです。幸せになると、幸せになったぶん、よけいに怖くなるのです。どうしてなのでしょうか。どうしてこんなに怖いのですか。どうしてこんなに幸せなのですか。どうしてこんなに、あなたのことを好きになってしまったのでしょうか。どうしてこんなにあなたは、私のことを愛してくれるのですか。どうしてこんなに私は、あなたのことを愛しているのですか。どうして。どうして。



 いつかのあなたに「行動力のある湊さんは、どちらかというと、港ではなく船だ」と教えていただきました。春の湊とは、春の終わり。それは、春を船に見立てて、その船が最終的に行き着く場所であるところの港に例えていると、あなたはそう仰るのです。そして、私の本質が港ではなく、船にあるなら、私は湊ではなく、春なのです。私の本質は下の名前ではなく、苗字の方なのですね。

(私が春だとするならば、私は港……終わりに向かって進んでいる)

 そう思い至っては青より青く、黒より黒い海に沈んでいく感覚を味わうのです。喘いで、もがいて、私の肺から漏らすまいとしてもこぼれ出た私の温度の泡は、冷たい冷たい現実の温度で急激に冷えて、弾けて、またこぼれ出て、また冷えて、また弾けて、やがて最後の泡も弾けて、そして、癇癪がおさまった子どものように疲れ果てて、ようやく眠りにつくのです。

「湊さん」

 これは眠りに落ちる前、微睡みに見る夢です。眠りが浅くなったが故に、夢を見る回数が増えて、毎晩のように、夢にあなたを求めるようになりました。

「湊さん」

 そして、大好きなあなたの声を聴いて、ようやく……、ようやく「春の湊」の恐怖から逃れて眠りにつけるのです。

 私はどうしてしまったのでしょう。こんなにもあなたのことが好きですのに、こんなにもつらいのです。

 あなたに教わった「春の湊」も、本当のことのように思えてならないのです。終わりに向かっている。実のところ、その感覚はあります。女性同士の関係など、脆い私には、周りの目に耐えきれません。

 「あなた、元々レズビアンじゃなかったでしょ」という言葉も、どこかでいただきました。わからないのです。私は、私がわからなくなりました。あなたと出逢う前は、男性と付き合って、男性と別れてというサイクルを回せていたというのに、あなたと出逢って、あなたと恋を知って、あなたと付き合って、わからなくなりました。いわゆる両性愛者に括られる性的指向だと思いますが、大多数を占める完全な異性愛者であれば、そもそも、括るという発想に至らないのです。そんな人たちに、「あなたはこういう人」として括られるのがどこか癪なのです。

 「気持ち悪い」という言葉も、もちろんいただきました。どこかで私のことを同性愛者と知った途端に、態度を変える人がいるのです。私にとっては、どの人が、同性愛者と知った途端に、態度を変える人なのか、見当がつかないのです。嫌なら、近寄ってこなければ良いだけですのに、わざわざ私に誹謗中傷の言葉を投げつけて、そして去っていくのです。どうしたら良いのですか。まるで、世界が巨大な監獄になったかのようです。

 中には、理解を示す人もいました。けれど、その人の、理解を示しているそのやさしさが、なお、つらいのです。やさしさすら、素直に受け取ることができなくなってしまいました。

 けれど、けれど、幸せなのです。おかしいですよね。あなたのことを考えて、あなたの声を聴いて、あなたの手を握って、あなたの手で触られて、口づけをして。それだけで、まるでそれらの生きづらさが全てなくなったかのように幸せなのです。今のこの生きづらい世の中では、私たちの先がなく、破滅に向かっていることを自覚しながら、しかし、しかと幸福だけはあざとく、享受しているのです。

 私、幸せです。怖すぎるほどに。



 この手紙は、あなたの「和服で来られたらどうしようかと思ってた」という物言いから着想を得て、「和風」に書いているものです。もしかしたら、今まで書き違いなど、あったかもしれません。

 あなたを知るたびに、どんどん欲張りになって、そして、私の中があなたで満たされてもなお、新しいあなたが増えて、両手でかき集めてもこぼれ落ち、やがて、あなたのすべてを盗むことができないと悟った私は、ついに、この世から消えることを決心致しました。私は「春野湊」ですから、春はもうお終いなのです。あなたの季節になるまでには、まだ時間がかかりますね。それでも、あなたは私のことを憎からず思っているわけですから、あなたの心は、さぞ、震え、凍え、かじかむことでしょう。あなたを私に縛り付ける私のわがままを、あなたに呪いをかける私のわがままを、しかし、あなたは許してしまうことでしょう。あなたは私よりも私に「甘い」ものですから。それとも、「ずるい人」と叱ってくれるのでしょうか。

 私を愛したあなたと、あなたを愛した私。私も、あなたの影響を受けて、苦心して短歌を作ってみました。そろそろ、この部屋にも朝日が差し込んでまいります。その前に、音もなく旅立たなければなりません。これを詠んだら、すぐにいきます。親愛なるあなたへ、愛をこめて。


 どうか、先立つ不孝をお許しください。お慕い申しております。


 冬の子よ

 かじかむ心

 解き放て

 向こう岸にて

 また逢う日まで


 「お慕い申しております」なんて、少し古風すぎたでしょうか。

 ――ねえ、冬子さん。

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