第2話『天網恢恢』の巻
清水はゴム材料のサンプルを届けに、大手タイヤメーカーであるラビットストーンの工場へ車で向かっていた。工場の入口守衛室に着くと、入場の手続きをしようと守衛室に声をかける。
「すみません。購買部へいくところなんですが…。白ゴム商事の清水です」
守衛室から初老の守衛がでてきた。
「あの、入場の手続きは…」
清水の問いにも応えず、守衛は腕組みをしながら清水の車を眺めまわる。
一通り眺め終わると、守衛は仁王立ちになり清水に言い放つ。
「入場を認めるわけにはいかんな」
「えっ?なんで」
「タイヤがうちの製品とちがう」
「いや待って、3本はラビットストーンのタイヤでしょう。来る途中一本が釘踏んじゃって、仕方なく近くのガソリンスタンドで直してもらう間、一時的にテンパータイヤに差し替えたんです…ノンブランドならいいでしょう」
「いや…」
守衛はテンパータイヤに鼻を近づけて言った。
「ゴムの匂いがうちのものと違う」
「そんなこと言われても…ならば一瞬でいいですから事務所の入口まで行かせてください。サンプル置いてすぐ外に出しますから」
守衛は清水の懇願にも聞く耳を持たない。
「いいかい、わしはな、ここの守衛を任されてから10年近くになるが、ただの一個たりともこの工場敷地内に他社のタイヤの侵入を許したことがない」
「守衛さんのコンプラはわかりますが…何とかお願いしますよ。サンプルも結構重くて」
「どうしても入りたいというなら」
守衛は清水の車の前でドカッと胡坐をかいた。
「このわしをひき殺してから入れ」
白ゴム商事のリラックスルーム。
「ハハハ…でどうしたんだ、清水」
「仕方ないんで敷地の外の駐車場に車止めました。けっこう遠いんで参りました」
「ごくろうさん」
「それに、台車使おうにも、台車の車輪がラビットストーン製じゃないって言われそうなので、担いで持っていきましたよ」
「そうか、こりゃ本材料の納品時には搬入車両のタイヤには十分注意をしなければならんな」
「そうですね…」
ふたりのところに荒木田がコーヒーを持ってきた。
「荒木田さん、ありがとう」コーヒーカップを受取ながら清水は話を続ける。
「ところで、今週末はラビットストーン主催の取引先親睦ゴルフコンペですよね」
「ああ、ラビットストーンはタイヤだけではなく、傘下にゴルフ用品の有名ブランド『RSゴルフ』を要しスポーツ分野にも実績のある会社だ。守衛さんの話じゃないが、持ち込むゴルフ用品にも十分注意しなければなるまい」
「ボールはもちろんクラブやアクセサリーもですか」
「もちろんだよ。ただ、例年だとゴルフボールは参加賞でラビットストーンからいただけるけどな」
「なるほど、そりゃいいや…あっ、だけどクラブが…」
「大丈夫、おまえの分もレンタルクラブを頼んでおいたから、明日にはRSブランドのクラブが自宅に届くと思うよ」
「ありがとうございます。ああ、初参加だから今から緊張しまくりですよ」
コンペの当日。
「おはようございます!」
花咲はゴルフ場につくと早速受付に行き関係者に挨拶する。
「いやあ、花咲さん。朝から張り切っているね」
話しかけてきたのは、主催者であるラビットストーンの井澤購買部長である。
「おはようございます井澤部長。今日は同組で回れるとのことで、楽しみにしておりました。一日よろしくお願いいたします」
「ああ、よろしく頼むよ」
その二人の会話の間に、男が割り込んできた。
「おはようさんです、井澤部長」
「おお、黒護謨商会の飛田さん」
彼は花咲のライバル会社の営業部長であった。
「自分も同組やし、よろしくお願いしまっさ」
飛田は脂ぎった手を差し出し、馴れ馴れしく井澤部長や花咲に握手を求める。花咲は、握手をしながら爬虫類的な笑顔を見せるこの飛田がどうも苦手だった。
「花咲さん。ヒッヒッヒッ、聞きましたで、結構な腕前やそうでんな」
「いえいえそれほどでも…」
花咲は直感的に、この男より常に前を歩くべきだと感じた。先を歩かれたら自分のボールを踏まれかねない。
「そうそう…」そんな二人を眺めながら井澤部長が笑顔で言った。
「参加賞だが、いつもボールじゃ芸がないと怒られそうなんで、今回は自社ブランドのサンバイザーにしたよ。ぜひ愛用してくれたまえ」
受付を済ませた花咲はロッカールームで着替えるとクラブハウスロビーで清水とお落ち合う。
「おう清水。おはよう」
「おはようございます」
「なんだ、元気ないぞ」
「いやそれが…」
「そうだ」花咲は清水の言葉を遮って言葉を続ける。
「今日参加賞がボールじゃなかったな。悪いが売店でRSのボールを買っておいてくれるか。俺は昨夜レンタルクラブ握る暇なかったんで練習場で軽く振っておきたいんだ」
「花咲さん、練習どころじゃないですよ」
清水の顔が青ざめている。
「さっき売店にボールを買いに行ったのですが、RSボールが全部売り切れで棚が空っぽ」
「えっ、空っぽ?」
「朝一で誰かが売店のRSブランドのボール全部買い占めたらしいんです」
「買い占めただと…誰が?…飛田か!」
「たぶん…」
「あのやろうはまったく…」
途方に暮れるふたり。今から近くのゴルフ場のショップに買いに行っても、スタートには間に合わない。どうする…。いくら考えても良い策がみつからない。
「確か前のゴルフの時に拾ったRSボールがひとつあった気がするな。ただ1個だけだから絶対なくせないということか」
「自分なんかRSのボールは1個もないですよ。仕方ないから、売店で他社のボール買って、やすりでブランド消してノンブランドボールにして誤魔化します」
いよいよコンペがスタート。花咲、清水の苦難のゴルフが始まった。
ボールを絶対なくせない事情を知ってか知らずか、飛田がニヤニヤ笑いながら花咲をいじりまくる。
「ティーショットを5鉄ですか?花咲さん、せっかくのRSドライバー握らへんのですか」
『(心の声)くそっ!余計なお世話だ!』
「花咲さん、ボールがフェアウェイにあるのに何でカートに乗らんとラフをセカセカ歩きはるんですか?」
『(心の声)まさかRSのロストボールを探しているとは言えねえだろうが』
「残り150ヤードの池越え。花咲さん、刻むんでっか。えらい慎重なこって」
『(心の声)もしそれでも池に落としたら、着衣のままでも池に飛び込んでボールを回収しなければならない』
そんな、不可解な動きをする花咲の前半のスコアが良いわけがない。昼食後のラウンジで清水と花咲は、ソファにどっぷりと埋まって動くのもままならないほど疲れていた。
「とにかく、なんとか1個のボールをなくさず前半は終えられた。ただ、こんなゴルフ続けられるもんじゃない。いくら歩いてもRSのロストボールは見つからんし…後半もこのままいける自信はないよ。清水はどうだ」
「他社のボールのブランド名を削って消しているから、打つと変なスピンかかっちゃってOB池ポチャ連発。ボール買うのもお金が限界。もう破産寸前ですよ」
清水は目に薄っすら涙を浮かべながら哀願するように花咲に訴える。
「体調不良を理由にふたりで棄権しませんか?」
「棄権はまずい。それにいきなり体調不良なんて信じてもらえんだろう。返って印象を悪くする」
「この際、飛田に頭下げてボール譲ってもらいます?」
「あんな爬虫類に頭下げるなんて、俺は絶対嫌だ!」
「だったら、どうするんですか…」
重い空気の中で、ふたりはそのままソファの沼に沈み込んでしまうかと思えた。
と、突然ふたりのテーブルの上に新品のRSのゴルフボールが2スリーブ降ってきた。
「よかったらこれ使ってください」
ふたりは救世主の声の主を見上げた。
「えっ、荒木田さん?」
「この前のコンペの賞品でいただいたものなので、差し上げますよ」
「なんでここに?」
「今日ここで、大学の同好会のOB懇親コンペがあって、参加しているんです」
「えっ、荒木田さんてゴルフ部だったの?」
「同好会ですよ…ただし、私 あまりプライベートなことは会社に知られたくないので、他の人には内緒にしてくださいよ」
花咲も清水も無条件にうなずく。
「でも、売店のボールを買い占めるなんて、男ってホントにアホな生き物だとつくづく思うわ」
それだけ言い捨てると、さっさと歩き去る荒木田。その後ろ姿に菩薩を見たふたりは、ただただ拝み倒すのだった。
「ありがたやありがたや」
RSのボール3個が花咲を生き返らせた。仁王門の金剛力士よろしく、花咲はティーグランドでRSドライバーを担ぎ、飛田を睨みつけながらティーアップ。その姿を見て恐れおののくがあまり、飛田は自らスコアを崩していった。
週末のコンペを終えた月曜。白ゴム商事のリラックスルームで花咲と清水が反省会を開いていた。
「花咲さん、後半の追い上げは凄かったっすね」
「ああ、飛田には絶対負けられないと必死だったよ。新ぺリだから隠しホールのスコアでハンデが決まるだろ。前半のスコアが悪いのがうまく隠しホールにハマった」
「結果、飛田のはるか上のベスト10入りですもんね」
「飛田の顔が見ものだったな」
「知ってます?コンペの帰り道、飛田の車が田んぼにハマって、警察が来るわ、レッカー車が来るわで、大騒ぎだったそうですよ」
「そうか、まさに『天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)』ってやつだな」
「なんですかそれ」
「『天網(てんもう)』とは天に張り巡らされた網、『恢恢(かいかい)』は大きくて広い様子、また『疎(そ)』は目の粗い状態を表す。つまり、天が悪い人を見つけ出すために張り巡らされた網の目は粗野で粗いかもしれないが、悪人は誰一人として逃すことはない」
「つまり、悪いことしたやつは、最後に罰が下り、報いを受けるということですか」
「だな」
笑いあうふたりに、荒木田がコーヒーを持ってきてくれた。
「ああ、荒木田さん。昨日は本当にありがとう。助かったよ」
花咲の礼にも荒木田はなんの反応も示さなかった。
「ところで、そっちのコンペでの荒木田さんの成績はどうだったの?」
清水の無神経な問いが周りに聞こえはしないかと顔をしかめる荒木田。しかし気を取り直して小声で答えた。
「昨日はパットの調子悪くって…」
「で、いくつ?」
「76」
「76?!」
ふたりは暫し唖然として荒木田の顔を見つめた。ようやく清水が口をひらく。
「それってレディースティーとはいえ、すごいスコアだよね」
「いえ、バックティーです」
花咲と清水は口に含んだコーヒーをテーブルにぶちまけた。
(第2話/了)
注※この物語はフィクションです。物語で起きる事件、および登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
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