第3話『陰徳陽報』の巻

「触ってみてくれよ、清水さん」

 森田購買部長は、そう言いながら清水に自社製品の高級サンダルを渡した。

 森田はシューズメーカー『太陽シューズ』の購買部長。清水はそこへサンダル用ゴムコンパウンドを納める責任者として、森田購買部長に呼ばれて工場に訪れていたのだ。

「別なロットの製品と比べて、肌触りがちょっと違うだろ?」

 清水はサンダルを何度もなぜてみた。確かにそうかもしれないが、言われてみなければわからないレベル。彼のわきの下にじわじわと汗がにじんでくる。

「製造工程の問題か、材料の問題かわからないが、ちょっと調べてくれるか?」

「わかりました」

 清水は努めて森田購買部長の依頼に平静に返事を返したが、オフィスを出た瞬間にスマホを狂ったように叩く。頼む、想像とは別な理由であって欲しい。

「仙田社長お願いします」

 連絡先は『太陽シューズ』へ納品したコンパウンドを生産した会社である。

「ああ、清水さん、どうしたの?」

「仙田さん、この前『太陽シューズ』への納品用に生産してもらったコンパウンドだけど、配合表を確認したいのでメールで送ってくれます」

 そう伝えると、清水は自分の会社に戻るためにタクシーに飛び乗った。


「がぁーっ!」

 自分のデスクに戻った清水は、両手に1枚ずつ配合表を持って吠える。

「荒木田さん!メールで送ってもらった配合表はほんとにこれなの?」

「ええ、なんならログ確認します?」

 パニック状態の清水と対照的に、荒木田は冷静に答える。

 だめだ…、もう俺はおしまいだ。ああ妻よ、不甲斐ない夫を許してくれ。幼子を抱えて大変だろうが、お前たちは強く生きていって…。

「どうしたんだ?」

 オフィスでひざまずく清水を見かねて花咲が声をかけた。清水は花咲を弱々しく見上げる。

「実は…」清水は朝からの動きを花咲に説明した。

「で、配合表を確認した結果はどうだったんだ?」

 花咲は清水の様子で結果は想像できたものの、最後まで想像と違うことを心に願いながら返事を待った。

「配合比に関して、若干の変更があって…変更された配合表を生産工場の仙田さんのところに送ったつもりが…確認したら前の配合表に先祖返りしていて…」

「そうか…」ため息をつく花咲に、清水が細い声で言葉をつなぐ。

「…私のミスです…すみません」

 ふたりの間に長い沈黙が流れた。しばらくして、対応策について考え込む花咲に清水が絞り出すような声でささやく。

「配合比率はほんのわずかな変更だから、違いは製造過程のせいにしてとぼける手もあるじゃないかと仙田さんは言うのですが…」

 それを聞いて花咲は決心した。何をいろいろ迷っていたのだ俺は。

「いや…素直に事実を『太陽シューズ』へ報告しに行こう」

 花咲は椅子に掛けてあった上着をつかむと、落ち込む清水の尻を叩いて、連れ立って『太陽シューズ』に向かった。



 オフィスの会議室に山積みにされた段ボールを目の前にして、花咲と清水はため息しか出ない。

「で、結局買い取ったのは何足だ?」

「1ロット分で200足です。でも、あの場で全部買い取るって部長が言い切ったのにはびっくりしました。材料購入費の全額返還で収めるのかと思ったのに」

「だって仕方ないだろ。先方はうちの材料で製品を作っちゃったんだから、人件費も加工費もあり、材料費の返還だけでは事態収拾は難しい」

「私のミスですみません」

「起きたことをもう言うのはよそうぜ。それよりこれから先のことを考えよう」

「はい」

「結局、一体いくらの買い取りになったのだ?」

「このサンダル、定価1足6000円の製品だそうです」

「6000円!結構な高級サンダルだなぁ」

「ええ、でも卸価格にしてもらったので半額の3000円。それが200足だから…60万ですね」

「うぎゃー…なんとか、転売はできないかな」

「そうですね。6000円で売り切れば逆に儲けが…」

「お前なぁ、無理に決まってるだろ。ある意味不良品だから『太陽シューズ』のブランドは使えないし、定価で完売なんて…。とにかく利益は要らん、赤字を最小限に抑えることだけ考えればいい」

「そうですか…」

「そういう訳だから、手間だが荒木田さんの手も借りて製品のタグは、全部外しておいてくれよ」

「了解です」

「まずは、社長に事後報告して文句言われてくるから、清水は転売のアイディアをひねり出してくれ」

 そう言い残すと花咲は勇ましく会議室から出て行った。


 転売のアイディア…。靴の販売ルートなぞ一切わからない清水にそうやすやすと思いつくわけがなかった。とりあえず、平日は通常業務に加え、主だった靴流通センターへ連絡したが、いくら安くても、わけもわからない業者からのわけもわからない製品を買い取ってくれるところなぞ、ひとつもない。

 仕方なく、土日は地元主催のフリーマーケットにでかけて、店先に高級サンダル並べて客を待つしかなかった。それでも、1日1~3足売れるのがせいぜい、もう2回の土日を潰したが、10足も売れてない。

 そんな週末のフリーマーケット。

「この青空に似つかわしくない疲れた顔しおっては、それじゃいくらいいモノを並べても売れはしまい」

 休日返上の出店で疲れ果てている清水に、声を掛けた老人がいた。見ると、薄くなった頭髪にメッシュのランニングキャップをかぶり、浅黒く焼けた地肌を露出させた短パン、半袖Tシャツ、そしてボロボロのサンダルを履いた細身の老人だった。とても買い物を楽しむような余裕あるシルバー層には見えない。その風貌から清水は直感的に、暇つぶしの標的にされたと感じ、視線をそらし気味にした。

「ところで兄さん、太陽シューズの高級サンダルに見えるが、なんでそんなに安いんだい」

「えっ、メーカーが分るんですか?」

「ああ、サンダルの底にある刻印は見覚えがある」

「そうですか…実はこの商品は訳アリでして…」

「訳アリって、寅さんじゃあるまいし、まさか退職金代わりって訳でもないだろ。太陽シューズが倒産したなんて聞いてもおらんし…」

「ええ、まあ…」

「そうか、それは太陽シューズに似せた偽モノか」

「違いますよ!正真正銘、太陽シューズで作られた優れものですが、ちょっと不良個所があって…」

 コンパウンドの配合ミスなどといったところで相手には通じまいと、清水はそれ以上の説明は諦めた。

「偽物か、不良品か、いずれにしても、君はサンダルの意味をちゃんと理解せずに売っているようだな?」

 おっと、話が変な方向に…。

「自分の足で歩ける幸せは、誰をも笑顔にするだろ。サンダルは、歩くことを支える道具だ。だから…今君は、笑顔を広げる道具を店先に広げていることになるんだ。そんなしけた顔で売る道理はないと思うがな」

 老人は口をつぐんだ清水も気にせず、会話を続ける。

「よく言うじゃろ、サンダルごころは母ごころ、履けば笑顔の泉湧くーって…」

 そう言って豪快に笑う老人を見ながら、清水はこれ以上この変な爺さんにかかわっているべきではないと確信した。彼はサンダルを1足手に取ると老人に差し出す。

「お客さん、もしよかったらこのサンダルひとつ持って行ってください」

「いや…残念ながら今日は持ちあわせがなくて…」

「お金なんていいですよ。このサンダルを履いて遠くへ歩いて行って、せいぜい笑顔を広めてください」

 今日は1足売れたことにしよう。彼は売上ボックスに自分の財布の金を入れながら、そう自分に言い聞かせるのだった。


 一方、花咲は社長に完売すると大見え切って買取りを納得させた都合上、引けに引けず悪戦苦闘していた。あちこちに当たるものの、思った成果が上がらず、そんな苦悩のオーラが、家庭に戻ってからも出ていたのかもしれない。

「あなたどうしたの、最近元気ないわね。体の調子でも悪いの」

 いつも帰りの遅い花咲の夕飯を配膳しながら彼の妻が問いかける。

「いや、体の具合はなんともない…」

 花咲は仕事を家庭に持ち込むのを嫌っていたのだが、今の自分の苦境を見抜かれて、心配する妻の顔を見るとそうもいかないかなと思った。

「実は…」

 彼は事の顛末と上がらぬ成果についてとつとつと話し始める。

「そんなに売れない酷い不良品なの?」

「そんなことはない。多少肌触りが違う程度で、正規品とそんな大差はないのだがな」

 花咲の答えに、黙って夫の箸を動かす姿を眺めていた妻だったが、おもむろに口を開く。

「売れないなら、あげちゃえばいいじゃない」

「何言ってんだ、そんなことしたら会社は大ダメージだよ」

「そうかしら、売れ残って廃棄するようなことになったら、地球の方が大ダメージだと思うけど」

「地球って…お前、いつからそんなSDGs妻になったんだよ」

「会社の社長さんが納得しないのなら…、いいじゃない、息子の住む将来の地球に投資したつもりで、うちで買い取れば」

「おいおいおいおい…」

「月5万積み立てで1年で返せる額でしょ」

「それでも結構な額だぜ」

「大丈夫。1年間あなたのゴルフを月1にして、道具を買い変えなければそれで済む話じゃない」

「本音は、そこか―ッ!」


 清水が出店するフリーマーケット。今日は花咲が陣中見舞いにやってきていた。

「おう、清水。調子はどうだ?」

「ああ、花咲さん。毎週末の出店でもう1か月近くなるけど、結局10足ちょいしか売れてませんよ」

「そうか、お前もここんとこ毎週だものな。そろそろ別の方法を考えなければ身が持たんだろう」

「いえ、もとはといえば自分のミスですし…他に方法もみつからないし…」

 広げられたサンダルを前に、腕を組んで思いにふけるふたり。そこに、割り込んできた人物がいた。

「兄ちゃん、この前は世話になったな」

「あっ、あの時の…」

 人物はサンダル1足で追い払ったあの貧相な老人だった。

『また、サンダルせびりに来たかもしれませんよ』

 清水は小声で花咲に経緯を伝え、警戒するように促す。

「ところであのサンダルな…」

 老人は勝手にふたりに話し始める

「おかげさまで見事に、現地で笑顔を広められたようだよ」

「現地?」

「ああ、わしらの基金ではアフリカに学校を作っておってな」

「アフリカに学校を?」

 老人はふたりに名刺を渡す。名刺には公益財団法人「学校を作りますプロジェクト」代表理事 阿夫利釜蔵 と書いてあった。

「ああ、だが学校の建設工事で現地の工夫が裸足で作業するものだから怪我が多かったんだ」

「裸足で学校建設?」

「そこであの、サンダルを送ったら、怪我も少なくなるし、作業も進むと大好評でな。ぜひともみんなに履かせたいということになった。で、在庫はどれほどあるんじゃ」

「186足です」

 清水は即答する。

「なら、全部買い取るよ。先日いただいた1足を加えて187足分をね」

「本当ですか!」

 清水は飛び上がると、嬉しさのあまり老人にハグを求めて突進する。

「ちょっと待っていただけますか」

 そんな清水に水を差したのは花咲だ。ハグを止められてキョトンとする清水。花咲を見ると彼の膝は震えていた。彼は老人の話しを聞いて、葛藤の渦に飲み込まれていたのだ。花咲は心の中で叫んでいた。お願いだ!誰か、この俺をとめてくれ!

「そういう…ことで…あるなら…」

 誰か、誰か、俺の口を塞いでくれ。それができなければ…殴り倒して気絶させてくれ。この口からこれ以上言葉が出ないようにしてくれ!

「お金を受け取るわけにはいきません」

 えっ、言ってしまったのか?

「すべて、無償で提供させていただきます」

 花咲はそう言ってしまった以後、本当に気絶してしまった。



 花咲と清水は六本木にあるアフリカ料理の店「アフリカンハウスタッチ」に招待されていた。招いたのはあの阿夫利氏である。

「どうですか、ガーナ共和国の食事は口にあいますかな?」

「ええ、どれもとてもおいしいです」

 阿夫利氏の問いに清水はそう答えたものの、スプーンを積極的に口に運んでいるようには見えない。

「ガーナの食事は、『主食1種類+シチュー1種類』という組み合わせが基本で、ほとんどの料理がトマトベースで唐辛子の辛さがガーナ料理の特徴なんじゃ」

 阿夫利氏はテーブル上の瓶をつまみ上げると言葉を続ける。

「それにこのお酒。ガーナ北部で伝統的に飲まれているモロコシのお酒でな、儀礼やお祝い、農作業の合間などに飲まれるもので、『暑く食欲がないときでも、これを飲むと力がみなぎる』と語られておる」

「へー、それならガーナの人は子作りの前にこのお酒を飲んだりするのですか…」

「清水、何下品なこと言ってるんだ。飲みすぎで酔っぱらってるのか…」

 花咲が調子に乗る清水をたしなめると、阿夫利氏が笑って花咲を押しとどめる。

「ははは、お気になさらず。この酒はアルコール度は低く、現地では子どもたちも一緒に楽しむものじゃから」

 その時、老人のスマホが震えた。

「すみません財団から電話みたいです。ちょっと失礼しますよ」


 老人が席を立つと清水が小声で話し始める。

「サンダルを無償提供すると言った時はびっくりしましたよ」

「ああ、今さらだが、自分でもなんであんなこと言ったのか…」

「でも結果的に、送ったサンダルで学校建設する現地の人の姿がYouTubeで流れてバズって」

「ああ、それが太陽シューズの幹部の目に留まり、今回のことがチャラになるとは思わんかった」

「うちの社長にも先方の社長から電話があり、感動のあまり涙したと礼を言ってきたそうですよ」

「涙も流すよな、そのおかげで同タイプのサンダルの販売数が倍増だから」

「結局今回の件でいったい誰が得したんでしょうかね」

「誰が得したか…まあ今回は『陰徳陽報』ってことでいいじゃないか」

「なんすかそれ?」

「陰徳ある者には陽報がある、人知れず良いことを行う者には、必ず目に見えて良いことが返ってくる。この『陰』って言う文字がミソなんだよな」

 花咲はそう言いながら妻の顔をなんとなく思い出していた。


「どうもすみません」

 阿夫利氏が電話を終えて席に戻ってきた。

「学校建設にもいろいろあって、どうも建設資材のトラック運搬に支障が生じたようです」

「ご苦労お察しいたします」

「まあ、今日はお礼の席ですから野暮な話は抜き。お礼ととともにお互いの発展を祈念して、もう一度 モロコシのお酒で乾杯しましょう」

 阿夫利氏の音頭で3人は高々とグラスを上げた。

「ああところで…」

 阿夫利氏がはやばやとグラスを飲み干してふたりに尋ねる。

「なんでしょうか」

「近々、トラックのタイヤ製造メーカーへ納品するコンパウンドに、配合ミスが生じる予定はありますかな」

 花咲も清水も口に含んだモロコシの酒をテーブルにぶちまけた。



(第3話/了)


 注※この物語はフィクションです。物語で起きる事件、および登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

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