《発売記念SS》例の5日間 side朱蘭

※side安永季の翌日です。

※今回はちゃんとしたもの(?)です。

――――――――――――――――


「ねえ、蘭姉。蘭姉って好きな人とかいなかったの?」

「えへぇ!?」


脈絡もなくいきなり朱香がそんなことを言うものだから、朱蘭は驚きで変な声をもらしてしまった。


「ちょ、ちょっといきなりなんなのよ、きょう。危うく茶器を落としかけたじゃない」

「そこまで驚く? 別に、そう言えば蘭姉ってば街でも評判の美人だったからさ、後宮入りが決まったとき、離ればなれになった人がいたのかなって」

「美人って……並だと思うけど」


宋賢妃のように華があるわけでもないし、李徳妃のようなかっこよさがあるわけでもないし、景淑妃のように愛らしさがあるわけでもない。あっても十把一絡げの美だ、と朱蘭は思っている。

自分は美しさで貴妃に選ばれたわけではない。

元いた貴妃の座など、どうせ父親が大枚はたいて買ったものなのだし。

他の四夫人が貴族や豪族だということを考えても、父親は内侍長官あたりによほどの鼻薬を効かせたに違いない。きっと金銭的なものだけでなく、一応家は王都の大店おおだなであったし様々な便宜を継続的にはかるからとか言ったのだろう。


「そうねえ……確かに声を掛けてくれる男の人はいたわね」

「どれと付き合ってたの! よく店に来てた客で背の高い人? 隣の青兄ちゃん? 取引相手の細工師のおっちゃん?」

「どれとって……なんで複数人が前提なのよ」


朱香は目を輝かせ、食い気味に朱蘭のひと言に反応する。まるでスッポンだ。絶対にこの話題を広げるぞという気概がヒシヒシと伝わってくる。

しかも、細工師のおっちゃんとは誰のことだ。妹には何が見えていたのか。

朱蘭は洗った茶器を拭き終わると、「ふぅ」とひとつ息を吐いた。


「声を掛けてくれた男の人はいたけど、どれもわたくしではなくて、お父様の力が欲しかっただけなのよ」


王都の大店の娘。

結納金も大層なものが期待できるし、その後も嫁の実家と言うことで色々と甘い汁が吸えるという下心が、言い寄ってきた男達からは透けて見えていた。


「有力な家の若い娘に断られた果てに、行き遅れの大店の娘ならいけるかも……そんな下心を持った相手なんか、たとえ行き遅れていても受け付けるはずないわ」

「確かに。私でもそんな相手に蘭姉を渡すのは嫌だな。でも、よくお父様が許してたよね」

「お父様は、自分が商人だということで色々と貴族達に馬鹿にされてきたから、同じ商人には嫁がせたくなかったのよ。でも、貴族様が行き遅れた商人の娘なんて相手にするわけもなし。一度、身なりの良い方が縁談をと持ってきたけど……多分、地方の小貴族ね。お父様はにべもなく断っていたわ。後で理由を聞いたら、地方の小貴族なぞでは足りん、ですって。ふふ、本当に欲深いわよね」

「笑い事じゃないよ、蘭姉……」


朱香は口端を引きつらせていたが、朱蘭には本当にどうでも良かったのだ。

子供の頃、家の裏でげっそりと痩せた子供が倒れているのを見つけた。

男か女かも分からないようなボロボロの姿で、思わず声を掛けてしまったのだが……。

その子はゆるゆると顔を上げ、必死に笑おうとしたのだ。

このまま放っておいたら死んでしまいそうなくせに、まるで『気にしないで』とでも言うように。


王都にも貧しい者や乞食になってしまった子はいる。自分は確かに商家の娘で恵まれている。でも全員は救えないのだ。倒れている者ひとりひとりを相手にはできないのだ。今までもそういった者達は何人も見てきた。そっと水と饅頭を置いて去るくらいしかできなかった。

でも、その子だけはたとえ差別だと言われようが、救いたかった。救わなければと思った。一時しのぎではなく、この世からこの子を亡くしてはいけないと思ったのだ。


それが、朱香だ。


父親には渋られたが、折れなかった。生まれて初めて反抗したと思う。


「わたくしは、別に誰かに嫁がなくても充分に幸せだったから良いのよ」

「そお?」

「まあ、嫁がなかったおかげで、まさか後宮に入れられることになろうとは思わなかったけど」

「あの時のお父様の喜びようはすごかったよね」

「ええ……」


あの時、父親は「嫁がせなくて良かった」と跳ねるようにして喜んでいた。生まれて初めて父親が地面から浮く瞬間を見た。そんなに跳べたんだと思った。


「……大きくなったわね、香」

「そうかなあ? 私、全然身長伸びないし。蘭姉や紅林みたいにスラッとなりたいよ」

「いいのよ。あなたはあなたのままで」


朱蘭は朱香の頭を撫でた。偶然にも自分と同じふわふわのくせっ毛が愛おしい。

朱香はくすぐったそうに首をすくめて、へへと笑っている。

彼女の純粋な優しさがいつも隣にあったことで、救われたことも随分と多い。

誰かに嫁ぐよりも、「蘭姉、蘭姉」と言って後ろをついて回る可愛らしい妹の傍にいたほうが確かに幸せだったのだ。


「男の人を好きになるような余裕はなかったのよね。小さな妹を愛でるのに手一杯で」

「え!? 私のせいだったんだ! じゃあもう大丈夫だよ! 私ももうひとりで生きていける年になったし、たくさん誰かに恋して良いんだよ!?」

「そうじゃないってばあ、ふふ。それにわたくし達は後宮にいるんだから、恋愛なんて御法度でしょう」

「あ、確かに」


確かに、もう朱香に自分の手は必要ないだろう。いつの間にか勝手に宮女になって、しっかりと素敵な友人まで見つけて、自ら侍女になると決めた彼女は、立派に独り立ちできている。

しかし、新たな恋などここではできない。皇帝に恋い焦がれるのが当然なのだろうが、あいにく大切な方の愛する人に横恋慕する趣味もないし、まず好みでもない。


――私が恋する日は来るのかしらね。


「じゃあ、好みだけでも! 蘭姉って、どんな人が良いなって思うの?」

「そうねえ……」


皇帝のように、あまり男らしさを前面に出した殿方は苦手だ。


「理知的で自制心があって、それと……可愛らしい方、かしら」

「カッコ良いじゃなくて?」

「ええ。外ではいくらでも格好つけていいけど、わたくしの前では甘えてほしいわ」

「めっずらしい」

「可愛がるのが癖になっちゃったのよ。誰かさんのせいで、ね」


朱蘭は朱香のそばかすのある丸っこい頬をツンと指先でつついた。


「あ、あと、頭が良い方ね。馬鹿と話してると会話が噛み合わなくて腹が立つのよ。一度ね、そういう方が店にいらっしゃって……『帰れ』ってハッキリ言うまで帰ってくれなくて困ったのよ」

「ら、蘭姉……?」

「うふふ」


もう後宮にいる自分には、一生男など無縁なのだろう。

そこに未練はないが、ただほんの少し、もし紅貴妃のようにどうしても惹かれてしまう相手に出会った時、自分がどうなってしまうのか興味がある。


「頭が良い人って言ったら、やっぱり陛下を除いたら次は宰相様じゃないかな」

「あら、じゃあわたくしは、宰相様の奥方の座でも狙おうかしら」

「いいね、後宮脱走手伝うよ! 蘭姉」

「冗談よ、ばか」


そう言えば一度、毒酒事件の時に彼と言葉を交わすことがあった。

怜悧で、とても温情のある方だった。


「さあ、紅貴妃様のところへ戻りましょう、香」

「うん、蘭姉」


――私が恋をする日は……














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