《発売記念SS》例の5日間 side安永季

※side関玿の話の後です。


――――――――――――――――――――――――


やっと今日の分の仕事を終え、安永季が宮内にある官舎へ戻ってきたときには、どっぷりと日が暮れていた。というより真夜中だ。

官服を脱ぐ気力もなく、倒れ込むようにして牀に前面から突っ込む。

顔面に押しつけられる敷布からは、皇帝の敷布のような花香の薫りなんかしない。微妙に老いを感じさせる自分のにおいのみだ。


「……癒やしがない……」


ボソリと呟かれた声は切実さが滲み出ている。


「これだけ頑張っているのに! 私だって少しくらい楽しみがほしいんだよ!」 


布団に顔を埋めて思い切り叫ぶ言葉は、疲れ果てて理性まで緩んでいるのか、すっかり昔の口調だ。


「誰だよ! 宰相なんて七面倒な役職に私をつけた奴! ……私だよ!!」


そうだった。自分からなると言ったのだった。

いや、あれはそうせざるを得なかったのだ。




念願の林王朝を討ち果たしたあと、皇帝には反乱軍の総大将である関玿がなるべきだとの声が上がった。安永季もそれは当然だと思ったし、彼以外を皇帝として仰ぐつもりなどなかった。

軍のほとんどの者も同じ事を思っただろう。


林王朝が腐敗していく中で、誰もが「地方役所を叩けば苦しみから解放される」と目の前のものを正そうとした。

しかし、関玿は「そんな末端を正したところで何も変わらない」と、最初から林王朝打倒を掲げて立ち上がったのだ。最初、誰もが無理だと思っていた――むしろ中には彼を叶わない夢を語る阿呆者と謗る者までいた――が、彼は言葉にしたことはすべて行動に替えてきた。

確かに、その結果すべてが成功とは言いがたかったが、それでも最前線に立ち、進み続ける彼に、「関玿ならもしや……」といつしか皆が希望を見出していた。


史書に名を残してきた者達の中には、燦然とした輝きを放つ者がいる。

おそらく関玿もその類いなのだろう。光り輝く者なのだ。


対して自分は、反乱軍時代は関玿の軍師としてずっと傍らにいた。

彼が光ならば、自分は影だろう。


戦では、時に死地と分かっていても、策のために兵を送り込まなければならない場面がある。「死にに行ってくれ」と言うようなものだ。死なせたい兵などいるわけがない。ひとりひとりの名前と顔も思い出せるのだ。それでも、安永季は命令してきた。

これが今回の作戦だと、各部隊の将軍から反発が起きようと、すべて軍師の名の下、黙殺してきた。

何度か関玿が自分を庇おうとして、「この作戦の立案は自分だ」と口にしようとしたことがあった。当然、「この」の時点ですべて止めてきたが。


恨むのなら自分を恨め。死にゆくときは自分を呪いながら死ねば良い。

決してその負の感情を関玿に――光には向けさせてはならなかった。


光は陰らないから光なのだ。


仲間内から何度も憎しみの目で見られてきた。

「友があなたの策のせいで亡くなりました」

「可愛がっていた部下をお前が無駄死にさせたんだ」

様々な批難を受けた。眠れない日が続くことも、血を吐くこともあったが、すべて受け止めた。自分はそれ以上の苦しみを兵達に強いてきたのだから。

すべての受け皿になる。

それが自分の役目だった。


だから、新王朝の人員配置はという話になったとき、自分は宰相の役になどつかないつもりだった。


もう充分に役目は果たしてきただろう。もうただの一官吏でいさせてほしいと関玿にも言った。


関玿は「苦労を背負わせたな」と、肩を叩いて頷いてくれた。やっとこれで肩の荷も降りる。



「――っと思っていたのに……ッあいつは!!」



『永季は確かに宰相にはならないが、ちょっと意見を聞くくらい良いだろう?』と、関玿は各部省に配置する人事図を、何食わぬ顔で見せてきたのだ。

安永季も、『まあ、意見を言うくらいなら』と軽い気持ちで図を見たのだが……


「あの時に戻れるのなら、私はあの時の私に『やめろ見るな』と言いたい……」


人事図の中身は、これを実行したら地上に未曾有の地獄が誕生してしまう代物だった。

算盤が得意なものを禁軍将軍に、槍術が得意なものを礼部尚書に、飲み癖が悪いと有名な将軍を内侍省長官にと、まあ、よくもここまでオモシロ人事を思いついたなと、きっと当時の自分の顔は引きつっていただろう。


極めつけは、一番頭脳と調整感覚が必要な宰相の席に、脳筋王とまで言われている史芳しほう将軍の名が入れられていたことだ。

机は割るもの。竿は振り回すもの。壁は壊すもの。花は糖分補給するもの。

そんな脳の持ち主が、何十とある部省――地方まで入れれば百を超える――に常に目を光らせ、下心を抱くものには密かに裏調査をすすめ、何を言われても柳のごとくのらりくらりと躱せる話術が必要な宰相など絶対に無理だった。

絶対に毎晩飲み歩きに出るだろうし、下心アリとの噂を聞いただけで殴り込みに行くだろうし、反対意見など出た日には「うるさい」のひと言で、相手の口に石を詰め込んでボコボコに殴るに決まっている。


『どうだ、永季! せっかく戦も終わったし、空気を一新したいと思ってな!』

『……やめてくれ、一瞬で王朝が一新される』


すごいだろう、とまるで自作の画を見せに来た童子のように、きらめく笑顔で関玿は言っていたがまるで笑えなかった。


『じゃあ、例えば永季ならここの者はどこの部省が合ってると思うんだ?』

『この者は確か、人の顔を覚えるのが得意だったはずだ。尚書省だな』

『じゃあ、こっちの者は?』

『これは、せいぜい地方軍隊長だろう』

『へえ。じゃあこっち』

『こっちは――』


と、一緒に人事図をのぞき込みながら朱で訂正を入れていき、最後。

残った訂正箇所は『宰相』のみ。


『今回の戦で育った者も多かったし、史芳には軍を勇退してもらって、やはり宰相だな! 史芳なら、どんな者相手でも纏められるだろうし』

『腕力でな』

『そんなに心配するな、永季。身体を鍛えてきた男だ。頭も鍛えられるさ』

『これ以上脳筋にさせるなよ』

『まったく文句ばかりだな、永季は! 俺は宰相には永季か史芳しかいないと思っているんだ。だが、永季はただの官吏になると言うし、だったら……史芳しか残らないだろう?』


目の前で、今し方朱で訂正しまくった人事図をヒラヒラと振られる。


『くっ!』


してやられた。

自分には劣るが宰相をやれるだろうという者達は皆、先ほど他の部省の長官席へと配置させたばかりだ。

自分でも、これ以上はない適材適所の人事図。ひとつでも動かせば、すべてが崩れる。


『宰相席だけが埋まってないんだよなあ……さて、どうしたものかなぁ?』


ねっとりといやらしく語尾を上げる関玿に、安永季はとうとう言ってしまった。


『~~~~っ私が宰相になるよ!!』



そしてまた苦労の日々を五年過ごしてきた。


「だから! そろそろ私も報われたい!!! 私も後宮ほしい!!! いらないなら寄越せもったいない!!!!」


欲望が次々と吐き出される。


「女人と触れ合いたい!!!!」


美姫である必要はないが、それでもこんな自分臭い敷布に抱き留められるんじゃなくて、花の香りのする女人に抱き留められたい。太股の上で眠りたい。ヨシヨシされたい。きっと天女のように甘やかしてくれるに違いない。


「と言っても、私が言葉を交わした後宮妃など、紅貴妃と元貴妃の朱蘭殿だけだが……」


朱蘭は、毒酒事件の真相を話すということで呼び出された時に言葉を交わしたのだが。


「……綺麗な方だったな」


穏やかに下げられた眉に、柔らかな微笑。何かつけているのか、彼女のフワフワの髪が揺れるたび、少し甘い花の香りが漂ってくる。

細い彼女の指に自分の指を絡めたら、あの指はどのように動くのだろうか。

なまめかしくか、それともぎこちなくか……。

それとも爪を立てられるのだろうか。


「関玿の貴妃だったんだよな……」


少々胸の内側がムッとした。


「ん? いや、なぜ私が?」


そういえば確か、朱蘭は関玿の渡りがないことを『そんな些事さじどうでもいい(意訳)』と言っていた。

つまり、関玿は彼女には相手にされてなかったということだ。


「ははははは! いい気味だ! ……ッチクショウ!!!!」


それでも、侍女になった彼女はやはり彼のものにかわりなかった。


「なんですべてを手に入れた上に持ってるモノまで皇帝なんだよ!」


憤慨ついでに昼間のあの光景が蘇る。


「おかしいだろ!? そこは並であれよ! あってくれよ!! 苦労人の私に三寸くらいわけてくれてもいいだろう!?」


なにも良くはないのだが、こうして僅かに残ったなけなしの気力がなくなるまで、安永季は自分臭い敷布に感情を叩きつけて、また一日を終えるのであった。




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