《感謝SS②》いつか朱蘭と呼ぶ日が来たら……

※まだ朱蘭が朱貴妃だった時の、朱貴妃と安永季の話



――――――――――――――――――


内侍省経由で朱貴妃が呼んでいるとの連絡を受け、安永季は『こんなごたついている時に、なんの用だろうか』と首を傾げながら赤薔宮を訪ねた。


「まあ、彼女もこのごたつきに、まるで無関係とは言いがたいですしね」


先日、一介の宮女が、乞巧奠で朱貴妃の酒杯に毒が盛られた謎を解いた。

双蛇壺などという稀な酒壺を使っての毒殺であり、今その捜査で内侍省などはてんやわんやだった。もちろん、宮廷全体の動きを常に把握している必要がある宰相も、そのてんやわんやに巻き込まれているのだが。


「あれは注ぎ手が毒の注ぎわけができる代物……そう考えると妙なんですよね。もしかして、注いだ後に別の妃の杯と入れ替えるつもりだった? いや、双蛇壺を使ってそんなややこしいことは――」


ブツブツと呟きながら歩いていれば、あっという間に目的地へとたどり着いた。

赤薔宮前の門兵に名と用件を伝えれば、宰相という肩書きに若い衛兵達は、すこし曲がり始めていた背筋をそそくさと伸ばし扉を開く。

自分もいつの間にか、誰かの背筋を正す存在になったのか、と妙に感慨深い。

目の前には、赤で統一された広大な宮が堂々たる姿で鎮座していた。


「ちょうど良い。朱貴妃本人に聞けば早い話ですね」




        ◆



「――ええ!? え、え!? それじゃあ自分で自分毒を盛ったと言うことですか!?」

「はい、そのようになりますね」


頬に手を当て、何でもないことのようにさらりと言ってのけた朱貴妃に、安永季はくらりと目眩を起こす。

紅林という宮女が、なぜ『誰が毒を盛ったか』よりも『誰が双蛇壺を渡したか』を重要視したのか分かった。

犯人の自死など調べるだけ無駄なのだから。


しかし、それは分かったが、こちらはわけが分からない。

貴妃という、後宮の女達が喉から手が出るほどほしがる地位にいて、自殺などとはどういうことだ。


「やはり、陛下のお渡りがないからですか?」


いつまで経ってもやって来る気配のない男を待つのも、なかなかに苦しいだろう。


「いえ、そのような些事、どうでも良いことなのですが……」

「さ、些事? どうでも良い?」


妃嬪に珍しく穏やかな気性で、宮女や女官の信望を得るという彼女の口から出た言葉だろうか。

その言い様からは、穏やかと言うより『豪胆』という言葉のほうが似合いやしないか。


その後、安永季は朱貴妃がなぜ自殺を図ったのか、どうやって双蛇壺を手に入れたのか聞かされた。どうやら今回の自分を呼んだ理由は、乞巧奠での騒動の告白するためということだった。


「紅林があそこで酒宴を止めてくれなければ、今わたくしはこの世にはいないところでした」

「それどころか、貴妃毒殺でもっと大騒ぎになっていたはずですよ」

「それなのに、紅林だけが罰せられ、わたくしがこのままというのは筋が通りませんでしょう?」

「あー……なるほど」


ここでようやく安永季は、自分が呼ばれた本当の理由を知った。

ただの告白であれば内侍省に言えばいいのだ。

それをわざわざ宰相をと指定してきたのは……。


「わたくしに罰を与えてくださいませ」


安永季は、目元を手で覆って天を仰いだ。


今回のこの真相はとても公にできたものではない。

しかし、確かに彼女の話を聞けば、紅林よりも彼女に罰を与えるべきなのは明白だ。

だからこそ、彼女は自分を指名してきたのだ。

適当な罪状を作り、裁きを指示できるほどの権力がある自分を。


「正直……地位の濫用でしかないんですが……」

「あら、こういう時に使わず、いつその地位をつかわれるのです?」

「あなたって人は……」


どこが穏やかなんだか。

今、自分は煽られているのだが。

穏やかなのは、今も楚々と笑っている見た目だけで、中身は相当に強い。


「安宰相様。上手くわたくしを使えば、本当に裁きたい者を裁けるのでは? それに、野心を持った外戚が生まれるのを阻止できる、良い機会とは思いません?」

「……どうやら、裁かない理由はないようですね」


安永季は苦笑と共に、肩を上げてみせた。

そういえば、彼女は大店の娘だったか。

この度胸の良さと交渉に長けた才能は、他の妃嬪にはないものだろう。罰を与えるのが惜しく感じる。


――謹慎程度の罰にして……


「あ! できれば、罰は貴妃位の剥奪でお願いしますわ」


彼女の貴妃位に傷がつくような罰は惜しいと思っていたところでの一言に、安永季は顔を引きつらせた。

こちらの思考を読んだかのような、釘の刺し方だった。

なお、惜しい。


しかし、彼女の意思を曲げるのは難しそうだ。


「……承知しましたよ、朱貴妃様」


了承してしまったのだから、こう呼ぶのもおそらく最後だろう。

安永季は、口の中で何度も『朱貴妃』と反芻させる。


赤薔宮の初代貴妃である彼女は、きっと一介の宮女となっても特別な輝きを見せるに違いない。それを、少しばかり楽しみにしている自分がいることに気づき、安永季は小さく笑った。






「いつか……朱蘭と呼ぶ日が来たら、後悔していないか聞いてみたいものですね」


閉まる門扉の音を背中で聞きながら、安永季は清々しい顔で後宮を後にしたのだった。







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