第43話 いずれ傾国悪女と呼ばれても

「かっ……陛下!」

関玿かんしょうでいい」


 関玿は、少々粗野そやな動きで、紅林の隣にドスッと腰を下ろす。

 彼は、紫紺色しこんいろの羽織に冠姿という出で立ちで、こうして改めてみると、やはり皇帝なのだなと思う。

 元将軍だっただけあって、肩幅があり体つきもしっかりして、ヒラヒラと柔らかい雰囲気の衣を着ていても、気圧けおされるような威厳がある。


「それで、どこから逃げるって?」


 気怠けだるげに上体を預けた背もたれに腕をかけ、少し顎を上げて妖艶な視線を送ってくる関玿。


「俺がみすみす紅林を逃がすと思うのか?」


 彼は口端を緩く上げ、紅林の肩口に落ちた髪を手に取って唇を落とす。


「――っ関玿! 約束が違うじゃない。今までと変わらずって、あなた言ったわよね」


 一瞬、彼に見とれてぽーっとしていた。

 危うく雰囲気に流され、言いたいことも言えなくなるところだった。首を左右に振って、紅林は邪念を追い出す。


「私は、宮女でいられれば満足だったのに」

「確かに。今までと変わらず後宮にいてくれとは言ったな。だが、変わらずに『宮女のままで』とは言ってない」

「罠じゃない!」

「違う。詳しく聞かなかった紅林の落ち度だ」


 詐欺だ。

 ぐぬぬぬ、と紅林が口角を下げて悔しそうな顔をしていれば、フッと噴き出した関玿が、わらべにでもするように紅林の頭に手をポンと乗せた。


「それに、お前は隙あらば俺から逃げようとする猫のような女人だからな。貴妃くらいにしておかないと、本当に逃げるだろ」

「そ、そんなことはぁ……」

「俺の目を見て言え。さっき、早速逃げようと言っていた我が貴妃殿」


 そむけかけた顔を、頬を掴まれ無理矢理正面に戻される。


「それに、情があつい紅林のことだ。侍女を置いて勝手に逃げ出すことはしないよな」

「うっ……」


 すっかり読まれていた。

 妃嬪には侍女がつくのだが、一度誰かに仕えた侍女は、たとえ主の妃嬪が宮からいなくなったとしても、よその妃嬪に再雇用されることは少ない。

 他人の手垢が付いた侍女を、他の妃嬪達は嫌がるものだ。

 そうなると、元侍女は都落ち。女官か宮女となるのはまだいい方で、最悪の場合、冷宮で下女となることもある。


 つまり、朱姉妹という紅林にとって大切な者を侍女にした時点で、紅林は逃げたくても逃げられなくなっていた。ちなみに、朱貴妃についていた侍女達は、狐憑きの侍女になるくらいならと女官や宮女になっている。


「せめて宮女に……」

「諦めろ。俺に愛されたのが悪い」


 いや、皇帝が衛兵のふりして後宮に来たのが一番悪い。


 ――でも、それがなかったら、きっと一生会うこともなかったのよね……。


 紅林は、目の前で白い髪を指に巻き付けて遊んでいる男を見つめた。

 多分、いやもう、自分は嘘をつけないほどに彼にかれている。彼のためなら、自らの死を選ぼうとするくらいには。

 それでもまだ、素直にこの気持ちを口にはできない。


 ――だって私は、林の血を引いた狐憑き。


 紅林が聖旨せいしを受けた時、誰かがぼそっと「さい王朝の再来」と言っていた。

 国を傾け、妖狐と言われた『傾国』の末喜ばっき

 そして、皇帝をたぶらかし朝政ちょうせいを疎かにさせ『悪女』と呼ばれた母。

 傾国を持ち、悪女の娘である自分は、もしかすると民に『傾国悪女』などと呼ばれる日が来るのかもしれない。


「関玿、本当に私を傍に置くつもり? 皇后がいないこの状況では、貴妃が国事行為にも、代理で出なければならなくなるって分かってるの」


 狐憑きを妃にしたと表側にも広まれば、きっと彼は厳しい追及にさらされる。しかも、秘密がばれて血のことまで知られたらどうなるか……。


「秘密はいつかばれるものでしょう?」


 あなたにばれたように。


「心配するな。ばれないようにするし、ばれたところで俺もそんなにやわじゃない」


 不安に俯いた紅林の頬を、関玿の手が優しく包んだ。


「ずっと、俺が守るから……」


 そのまま上向かされ、関玿の顔が近づいてくる。


「だから、大人しく俺の寵妃でいてくれ」


 かすめるよりは長く、交わすよりは短い時間、二人の唇が重なった。

 



 唇から熱が遠ざかったところで、紅林はやけに部屋が静かなことに気付いた。

 口づけを見られたのであれば恥ずかしい、などと思ったが、部屋を見回してみても彼女達の姿は見当たらない。


朱香しゅきょう? 朱蘭しゅらん?」


 すると、関玿が「ああ」と紅林の意図を察する。


「あの二人なら、紅林が俺に見とれてる間に下がってもらったが」

「みっ!? 見とれてないわよ!」


 とっさに全否定してしまった。

 しかし、自分でも顔が熱い自覚があるから、きっと赤くなっているのだろう。

 関玿が声を押し殺して、渋るように笑っている。


「ははっ、まあ今はそれでもいいさ」


 だが、と関玿は紅林の腰をぐいと抱き寄せた。


「必ず、紅林のほうから『離れたくない』と言わせてやるからな」


 関玿は紅林の耳元に口を寄せ、耳朶じだを甘噛みするように囁く。


「覚悟してろよ」

「~~っい、言いませんからね……」


 そう言う紅林の声は、かつてなく小さかった。

 自分でも、そう遠くない日に言うことになるだろうと予感がしている。


 

 だって、ここは後宮。

 何が起こっても不思議ではないところ。


                                      【了】



――――――――――――――

最後までお付き合いくださいありがとうございました!

少しずつ増えていくブクマやPVに日々励まされておりました。

読者の皆様、本当に感謝申し上げます。

読んでくださる方、更新してすぐにいいねを付けてくださる方、貴重な★をくださる方、ブクマの上に作者フォローまでしてくださる方。

(嬉しすぎて反応してくださった方全員、ページを訪ねさせていただいておりました。また★をくださった方へは、近況ノートの「★ありがとうございます」という記事で、お一人ずつへメッセージを書かせていただいております)

様々な方々のおかげで、最後まで書ききることができました。

何かしらのアクションがあるのが嬉しく、「今日はどうかな。楽しんで貰えるかな」と、日々の原動力となっておりました。


重ね重ね、感謝申し上げます。

今後も様々な物語を中華や令嬢もの問わず、書いていきたいと思います。

是非、この先も長くお付き合いいただけますと幸いです。

どうか、皆さまの日常が素敵な物語であふれますように。

巻村螢


※新連載の【悪役令嬢の遺言状】もまたよろしくお願いします。

《全国民に対し、「わたくしと結婚した者に、全ての財を譲る」という遺言状が発表されたが、この令嬢は一週間前に死んでいた。》

と、いうような、ミステリーファンタジーものとなっております。それと恋愛をちょびっと。

お楽しみいただけますと幸いです。

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