終章 皇帝の執愛

第42話 ついに皇帝がつかまえた寵妃

新作)和風シンデレラストーリーの短編(6話)始めました。

いつも通り21:11更新です

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 突如、内侍省の長官が捕縛されたことは、後宮に少なからぬ動揺をもたらした。

 罪状は、後宮内の女人を使った妃嬪達からの私物の窃盗と、乞巧奠きこうでんでの毒の混入。

 朱貴妃については、円仁えんにんが毒を混ぜた酒を知らずに注いだだけとし、重い刑罰が科されることはなかった。


 本当は、朱貴妃自ら真実を安永季あんえいきに語っていた。

 李徳妃りとくひに毒を盛れと言われていたことも、そのために父親が双蛇壺そうだこを渡してきたことも、それで嫌気がさし自分で飲もうと思ったことも全て。

 本来であれば朱貴妃が裁かれるはずなのだが、ただでさえ騒がしかった後宮をこれ以上混乱させるわけにもいかないということで、円仁に全てを背負ってもらったと聞いた。

 元はと言えば、円仁達が考えた策謀だったのだから、当然の帰結きけつではある。


 また、桂長順けいちょうじゅんについてであるが、彼は名を上げられることもなくひっそりと処分された。数多いる内侍官のひとりが消えても、誰も気にする者はいなかった。前王朝を腐敗させた大奸臣だいかんしんにしては、あまりにあっけない最期であった。


 そして紅林は、関玿が約束してくれた通り、身に流れる血で罰せられることも、公にされることもなく、今までと変わらずに後宮にいるのだが……。




 

「――って、こういう意味じゃなかったわよね!?」


 紅林は、長牀に頭を打ち付けん勢いで頭を抱えた。

 拍子に、袖がひらりと軽やかに宙を舞い、紅林の腕の形に添ってふわりと落ちてくる。肌の上を滑り落ちる生地のなんと心地良いことか。ゴワゴワもガサガサもしておらず、実に優れた生地だ。


 胸元で締められたあでやかな深紅の襦裙じゅくんには、吉兆を表わすようらくもんが金糸で刺繍され、羽織った長袍のえりや背面には、同じく金糸で、牡丹ぼたん瑞獣ずいじゅうである鳳凰が躍動感たっぷりに描かれている。

 宮女が纏う衣でないことは間違いない。


「私は……ただただ普通の宮女として、ひっそり生きていければ良かったのに……うぅ」


 全てが解決し、これで日常が戻ってきたと安堵した紅林。

 いつも通り、朝起きて、食事して、ほうきを持って北庭へと出掛けたのだった。――が、突如やって来た内侍官や女官達に囲まれてしまったのだ。

 その場で、顔を汗でぐっしょりに濡らした内侍官から聖旨せいしを読み上げられれば、紅林の顔からもドッと汗が噴き出した。


【宮女・紅林を貴妃に封じる。以降、赤薔宮せきしょうきゅう居所きょしょとせよ】

 

 宮女からの大躍進である。

 確かに宮女が寵を受け、位階が上がるというのは過去の歴史にも幾度かはあった。しかし、彼女達は皆段階を踏んでいたし、いきなり後宮妃嬪の中で一番の高座についた例はひとつもない。

 しかも、狐憑き。


『と、いうことです……お、おめでとうございます、紅貴妃こうきひ様』


 内侍官の言葉を復唱するように、女官達が『おめでとうございます』と声高に叫んだ。

 一方、事の重大さを理解している聖旨を持ってきた内侍官と紅林は二人して、『あ、あへへぇ……』とぎこちない笑みを交わすこととなったのだった。

 それからは、本当にあっという間に赤薔宮に移され今に至る。


「絶対、宋賢妃そうけんひ様からの当たりが強くなるわよ、これ」


 会話の全てが嫌みと毒舌で返されそうだ。


「どうしましょう、すごく面倒臭いわ。いっそのこと後宮から抜け出そうかしら」


 安定的な衣食住を手放すことになるのだが、命あっての物種ものだねだ。

 後宮には、聖旨が来た時点で話が広まっているだろう。今頃、宋賢妃が暗殺方法を考えているかもしれない。


「まったく、紅林は何が不満なの? 一夜で貴妃だよ。後宮の女達がほぞ噛んで悔しがる幸運じゃん」

「そんなこと言ったってぇ、朱香しゅきょう


 腰に手を当てて、「もうっ」と聞こえてきそうに頬を膨らませている朱香。

 彼女が今纏っている衣は、宮女の目印だった薄黄色の衣から、薄紅の深衣へと変化している。


 聖旨が告げられた後、紅林は尚局しょうきょくへと連れて行かれ、侍女を選べと言われた。

 たいていの場合は、妃嬪のおこぼれに預かろうと、侍女の席には女人が殺到するのだが、当然、狐憑きである紅林の侍女となりたがる者はいなかった。主人の権力がそのまま侍女達の力にもなる。その中で、最初から狐憑きなど厄介な肩書きがある紅林など、恩恵などないに等しいことを考えると当然であろう。


 そんな中、話を聞いた朱香が跳ねながらやって来て、『紅林の傍にいさせて』と笑って言ってくれたのだ。その時の嬉しさは、一生忘れないと思う。

 そして、侍女はひとりいてくれるだけで充分だと思っていたのだが――。


「こらっ、きょう。もうあなたの同僚ではないのですから、わきまえた言葉遣いをなさい。失礼いたしました、紅貴妃様」

朱蘭しゅらん様」

「やめてください、今はあなたの侍女なのですから。香と同じく、わたくしも朱蘭と呼んでください」


 朱香の姉であり、かつて赤薔宮の主だった朱貴妃こと朱蘭。

 彼女もまた、紅林の侍女になってくれた者のひとりだった。


「……朱蘭、本当に良かったの。きっと、あまり良い思いはさせてやれないわ」

「そんなこと全く構いませんわ。わたくしは望んで、今ここにいるのですから。わたくしの命と名誉を守ってくださった、紅貴妃様の恩に報いたいと思うことの、何がおかしいのでしょうか」


 朱貴妃に重い刑罰が科されることはなかったのだが、その代わり、彼女には貴妃位の取り上げという判断がくだされた。

 場を騒がせたとがということだが、本当の理由を知っている安永季からの、少なからずのいましめだろう。


「それに、わたくしはただの商家の娘です。元より貴妃など分不相応で憂鬱に思っていましたの」


 謙遜や世辞せじでなはく、そう言う朱蘭の表情は、憑き物が落ちたようにスッキリとしていた。


「二人とも、ありがとう」


 三人の間に穏やかで、面映おもはゆい空気が流れる。


「――って、本当は言いたいところなんだけど……」


 しかし、紅林だけは表情を一変させる。


「やっぱり、無理よ!!」


 ワッと、紅林はやはり頭を抱え、そんな紅林に、朱姉妹は顔を見合わせ「やれやれ」と肩をすくめていた。


「せっかく穏やかな生活を手に入れたって思ったのに。どうしてまた、一番苦労するって分かってる渦中に飛び込まないといけないの!?」


 薄紅や淡色でまとめられたとばり絨毯じゅうたん、視界に入る物だけでも全てが名匠による上等品。身に纏うものも当然一級品。朱香が言ったように、他の者達はこの生活を羨むというが、かつて公女であった紅林にとっては『こんなもの』だ。

 それよりも、妃嬪達の間で行われる、寵争いという深謀遠慮しんぼうえんりょの憂鬱具合の方が大きい。


「いっそ後宮から逃げたほうが……」

「それは、聞き捨てならんなあ」


 声に驚き顔を上げると、端正な顔立ちの男が口を引きつらせて、目の前に仁王立ちしていた。

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