第41話 ねえ、挿してくれる

 いつも閑散としていた北庭らしく、やっとこの場にも夜の静寂しじまが戻ってくる。


「助けてくれてありがとう。でも、どうしてここだって分かったの?」

「実は、紅林が内侍省を出てから、紅林には見張りを付けさせてもらったんだ」


 内侍省を出てからというと、安永季に双蛇壺の説明をした後か。


「勘違いしてほしくないんだが、紅林を犯人だと疑っていたわけじゃなくて、毒杯の仕組みを解いた紅林は、犯人に狙われる可能性があったんだ」

「ああ、なるほど」


 だが、と関玿は抱きしめていた紅林の身を少し離すと、紅林の首に指をわせた。


「すまない……間に合わなかった」


 紅林の首には、赤い線が残っていた。

 関玿が悲しそうに目をすがめて見てくる。見ている方が痛々しくなるような表情に、紅林は眉と肩を上げた。


「間に合ったわよ。私はこうして生きているんだもの」


 首を撫でる関玿の手に紅林も手を重ねる。

 僅かに関玿の表情が和らいだ。


「それにしても、いったいどこから来たのよ」


 声が聞こえたと思ったら、既に背後にいたのだから驚愕ものだ。

 まだ桂長順けいちょうじゅんの背後から現れたのなら分かるが、紅林の背後にはもう木と北壁しかない。


「実はその……北壁から俺だけ縄で下りて……木の上で、だな……」


 紅林の口は、関玿が喋る度に開きを増していく。


「あ……」

「あ?」

「あっぶないじゃない! なんでそんな所から来るのよ、もう少しあったでしょ!?」


 開いた口がふさがらないとはこのことだろう。

 関玿も、視線を明後日に飛ばして言うあたり、普通でないことをしたとの自覚があるのだろう。


「犯人にばれるわけにはいかなかったし……それに、昔から城壁越えとかやってきたから……その……案外慣れたら簡単だぞ」

「だぞ、じゃないわよ! 慣れてるからいいってものじゃないでしょう!? もしそれで落ちてたら、怪我じゃ済まなかったわよ! いくら下に木があるからって……」


 心配が心労になり怒りになった紅林の叱責に、段々と首をすくめていく関玿だったが、突然、紅林は言葉を切った。

 いきなり、動きを止めてしまった紅林。

 関玿が、大丈夫かと紅林の顔の前で手を振る。


「……待って。木の上にいたって……いつから・・・・?」


 動きを止めたままの表情で、口だけが動いた。

 見開いた目の中で黒い瞳が小刻みに揺れている。

 それは驚きよりも恐怖によるものからだと、関玿には見えた。関玿は紅林が何を恐れているのか、瞬時に察する。


「…………」

「ま、さか……聞いて……」


 何も言わない関玿に、紅林はうっすらとその意味を感じ取った。そして、関玿の視線が下げられれば、それは肯定も同じだった。


「――――っ!」


 目は口ほどに、とはよく言ったものだ。

 自分が、滅ぼせと願われた林王朝の公女だということが、関玿に知られてしまった。


 衝動的に、紅林は手にしたままだった歩揺を、自分の首へ突き刺そうとした。


「何をしているんだ、紅林!!」


 が、すんでのところで関玿の手に阻まれてしまう。

 ぼろぼろと、紅林の瞳から真珠のような涙があふれ落ちた。


「……っだって、私の存在はあなたを苦しめるわ、絶対に」


 後宮を、母を燃やしたのが関玿でなくて本当に良かったと思った。

 もう彼への気持ちは、自分でも誤魔化せないほどに大きく膨らんでいて、認めないなんてことはできなくなっていた。だから、恨まなくていいと知ったときは、本当に安堵したのだ。

 しかし――。


「林王朝が……林景台りんけいだいがどれだけ恨まれていたか、知ってるでしょ。しかも、私は悪女って言われた妃の娘なのよ」

「だが、本当は悪女とはほど遠い人物だったんだろう」


 やはり、彼は全て聞いていたようだ。


「今更賢女だったって言って誰が信じるの? それどころか、旧王朝の直系は断絶させなければならないのに……どちらにせよ、私はあなたにとって、不幸をもたらす女でしかないのよ」


 自分で言っておいて、胸がえぐられるように痛かった。

 初めて好きになった人を、自分が不幸にしてしまうとは。

 これはいったいなんの罰か。


「やっぱり、私は狐憑きなのね」

「紅林……っ」



 ――こうなりたくなかったから離れたのに。あなたにそんな顔をさせたくなかったから、ただの宮女でいたかったのに。


 笑おうとしたが、上手く顔に力が入らず、変に気の抜けたへらっとした笑い方になってしまった。涙は止まらないが、せめて笑っていれば、彼の表情も少しは晴れてくれるだろう。

 そう思ったのに、関玿は依然として沈痛な面持ちで紅林を見つめていた。


「ねえ、関玿。私を後宮から追放――」


 して、と言い切る前に、紅林は関玿の腕の中に閉じ込められていた。

 それは今までの優しい力でも、支えるような力でもなく、ただただ関玿の精一杯が伝わってくるような苦しいほどの力。


「俺は、何も聞いていない」


 え、と紅林は耳を疑った。


「何も聞こえなかった。お前は結構図太い神経をした、美しい白髪のお人好しな宮女で、俺の大切な人で、それ以上でも以下でもない。お前はただの紅林だ」


 そんなはずないのに。


 そんなはず……ないのに。


「だから、俺から離れようとしないでくれ。俺の前からいなくなろうとするな」


 耳元で囁かれる懇願にかすれた声からは、彼の本心だけが伝わってくる。

 後宮という、嘘や偽りが蔓延はびこる場所で、関玿の言葉は紅林の胸の中にスッと落ちてきた。


「今までと変わらず、後宮にいてくれ」


 隙間すら与えないとばかりに抱き締められ、布越しの体温は馴染んで二人の境界線が曖昧になった時、ゆっくりと関玿が腕を緩めた。

 離れたことでできてしまった、二人の距離。

 腕は腰に回されたままだったが、間を通る夜風の冷たさを少しばかり切なく感じた。


「返事を聞かせてくれ、紅林」


 赤い瞳が紅林を見つめていた。

 微かに揺らめいて見えるのは、不安からなのか。


 ――不安に思うことなんて一つもないのに。でも、それも仕方ないわよね。

 

 いっぱい嘘を吐いてきた。

 出会ったときから、ずっとずっと嘘を吐き続けてきた。もし、ここで「はい」と言っても彼の不安を完全には打ち消せないと思う。

 だから、紅林は関玿に手を差し出した。


「挿してくれる? 関玿」


 紅玉が輝く金歩揺を乗せて。


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