第37話 陰謀の正体

 全て聞き終えた順安じゅんあんは、中指でこめかみをとんとんと叩き続けていた。


「なるほど……あの狐憑きの宮女がなぁ……」

「どうすればいいんです、順安殿!? 朱貴妃の父親を調べられたら、あの酒壺しゅこを送ったのが私だとばれてしまう! いや、それだけではない……全て洗われたら、失せ物の件まで!」


 頭を抱えて、足の間にうめき声を漏らし続ける円仁えんにん

 まるで重篤じゅうとくな患者のように、上体を起こしたり伏せたりと、苦しみにもがいている。


「クソッ! 私は金さえ手にできていればよかったんだ。なのに、あれだけ後宮に興味を示さなかった陛下が、突然失せ物を調べろと言ってくるし、なぜか朱貴妃の杯に毒が仕込まれるし……っ。クソッ! クソッ!! 計画が滅茶苦茶だ!」


 一方順安は、顔を蒼くしたり赤くしたり忙しいものだな、と円仁の狼狽うろたえようを観劇気分で眺めていた。


「順安殿、分かっているのですか!? 私が捕まれば、あなたも一緒の運命だと! 最初に計画を持ちかけてきたのは、順安殿ですからねえ!」


 共感して貰えない苛立たしさに、円仁の怒りの矛先が順安に向いた。

 しかし、すぐに間違えたと円仁は気付く。


「ほお……私を脅すと?」


 ゾクッと円仁は身体を震わせた。

 順安は薄ら笑いを浮かべているだけというのに、まるで蛇に睨まれた蛙の心地だ。


「わ、私は順安殿の身も心配、している……だけで」

「そうか」


 すっかり閉口して静かになってしまった円仁に、順安は腹の中で「小物」と嗤った。


「まあ、落ち着くんだ、円仁殿。朱貴妃の父親を捕らえて吐かせるまで……つまり、私達に調査の手が及ぶまで時間はある。早急にこちらから手を打てば事も無しだ」


 順安の余裕に満ちた態度に、円仁も落ち着きを取り戻す。


「そうですよね……こちらが先に手を打てばいいだけですもんね」


 順安は口端をつり上げて、顎髭あごひげを何度も撫でていた。


「そういえば、以前、狐憑きの宮女に会ったな。その時も、妙に失せ物の件について気にしていた様子だった。易葉えきようのことも聞かれたし」

「易葉……ああ、あの死んでもらった侍女ですか。元はと言えば、あの侍女がへまをしなければ、もっと稼げていたはずなのに……っ」


 失せ物の事件が、何故皇帝に命じられるまで積極的に調査されなかったかというと、内侍省長官である円仁が主犯だったからである。侍女達に、市の商人は、妃嬪達が身につけるような良い品物は高値で買ってくれる、という話をしたのも彼だ。


 円仁は、窃盗を見逃す代わりに、女人達から売り上げの半分を徴収して私服を肥やしていた。円仁が最初に声をかけたのは、強欲そうな数人の侍女だけだ。しかし、今では彼女達を仲介として、その下に様々な女人がぶら下がっている。侍女達の按分率あんぶんりつを下げる代わりに、女人達の徴収を任せたおかげで、円仁は何もせずとも、噂が広まるほどに懐が潤っていった。


 女人達はいくら盗んでも捕まる心配がないと分かると、次第に盗みも大胆になっていった。宝飾箱の隅にあるような使用していない小さな耳環じかんから名匠めいしょうの耳環になるまで、そう時間はかからなかった。

 しかし、まとめ役の侍女の一人である易葉が、欲を出した。

 彼女はもっと金がほしくて、李翠玉りすいぎょくという足がつく希少物を盗んで売り、商人は希少物なら街で売るより、後宮の妃嬪達の方が高く買ってくれるだろうと欲を出した。市で騒ぎになっていると内侍官から報せを受け、まさかと思いとんで行けば、最悪の偶然が重なっていた。


「あの場で順安殿が歩揺ほようを出してくれて助かりましたよ。おかげで、問答無用で即投獄できましたし」

「後ろ暗いことをするときは、あのくらいの用意はしとくものさ、円仁殿」


 ちまちまと聞き取り調査をしていれば、皇帝や宰相が口を挟んでくる恐れがあった。きっと、あの女人は余計なことを喋っただろうから、いち早く隔離する必要があったのだ。

 誰かに『内侍長官が元凶』などと喋られては困る。


「随分と獄で叫んでいたみたいですが、皆気が狂っただけと相手にしなかったのには笑いましたね」

「それでも、危険因子はとっとと葬るに限る」


 円仁は、易葉については尼寺追放か、そのまま冷宮の下女にするかと思っていたのだが、順安は躊躇無ちゅうちょなく易葉を殺した。

 悩むこともなく、顔色を変えることもなく、歩く先にいたありを意識せず踏み潰すように、机のほこりを息で払うように、気負いなくあっけなく、さもそれが当たり前だとばかりに殺した。

 それで円仁は、この、ただの内侍官でいつづけている男に逆らっては駄目だと悟った。


「あの市での騒ぎ以来、女達はすっかり臆病になってしまいました。この間など、盗んだはいいが売るのが怖いと言って、私のところに帯を持ってきた侍女もいましたよ。しかも図々しく私に売りつけようとして。盗みを黙っていてやる代金だと没収にしましたが」

「ほう、その帯はどうしたんだ?」

「私も持っておけるわけがないので、さっさと妻への贈り物にしましたよ。今朝も喜んで巻いていましたね」

「ははっ! 元が上級花楼の妓女様だと苦労するな。下手な貴族の姫より、金がかかるだろうて」

「だから、あの騒ぎで実入りが減ったのは痛いのですよ」

「それで、次は朱貴妃の父親だったわけだが……」


 途端に、円仁は再び頭を抱えた。


「良い金脈だと思っていたんですが……」


 朱貴妃の父親は実に欲深かった。

 娘を皇太后にしたいという大それた夢を持っていた。いや、夢などという清らかなものではない。かつての林王朝の大奸臣だいかんしん桂長順けいちょうじゅんになろうとしていた。幼き皇太子を、祖父として操ろうという魂胆がありありと見えた。

 王都では大店おおだなだが、宮中においてそれがいかほどのものか。家格は金では買えない。

 だが、時に四夫人の椅子くらいなら買えもする。


 それからは、定期的に『娘をよろしく』といった、袖の下が届けられていた。

 しかし、四ヶ月経っても一向に現れる気配のない皇帝に、とうとう朱貴妃の父親が痺れを切らした。これ以上皇帝が来ない日が続くのなら、贈り物を止めると言ってきた。

 そこで、円仁は順安に助けを求めた。順安は『双蛇壺そうだこ』を円仁に見せ、朱貴妃の父親から朱貴妃へと渡るようにすると言った。


『円仁殿からの使いというていで私から渡そう。これを使う場は乞巧奠きこうでんだ。妃が亡くなれば、今は後宮に無関心な陛下も、後継の危機を感じ、慌てて子をこさえに来るだろうて。父親には、その時に円仁殿が朱貴妃を陛下に推すからとでも言っておくさ』


 そうして双蛇壺は、朱貴妃の父親の手から朱貴妃に渡り、乞巧奠で使用する酒壺しゅこの一つとして紛れ込まされたのだ。

 この時、朱貴妃が毒を盛る相手は李徳妃りとくひだったのだが。


「ついでに小煩い李徳妃も処分できて一石二鳥だと思ったのに……間違えやがって、使えん商人娘め!」


 酒を飲んで死ねば毒酒という証拠はなくなり、杯は双蛇壺のように内侍省が押収してしまえば、病などと適当言って誤魔化せたはずなのだ。

 あとは、『狐憑きがいるから、こんな不幸がおこるのだ』とでも言っておけば、皆、納得して深く追求することもなかった。


「全ての悪意を狐憑きに被ってもらうはずだったのに!」

「そのために後宮に入れたというのになあ」


 順安が、円仁の通っていた花楼に珍しい下女――狐憑きがいると知り、妓女の身請けと一緒に、下女も後宮に入れさせるようにと指示していたのだ。


「だが、私達の邪魔になるようであればなあ……」


 もったいぶるような言い方だったが、円仁には順安が言葉を切った先に何を言うのか予想が付いていた。

 好々爺こうこうやのような柔和な笑みを浮かべている順安。

 表情は半分しか見えないというのに、全て見えている者より何故か迫り来る圧のようなものがある。


「もったいないが、さかしいのは好かん」


 では、と円仁が聞くと、順安は軽妙に頷いた。


「死んでもらうとしよう」


 空に雲が流れている、と言っているような、当然とした言い方だった。


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