第35話 毒酒の種明かし

 翌日、紅林の元に内侍官がやって来て刑を告げた。

 けいくらいは受けるのだろうなと覚悟していたが、言い渡されたのは宮女として後宮に戻ることだった。既に五日は獄に入れられていたことが、刑としては充分と見なされたという話だった。


「まあ、儀式をぶち壊したわけじゃないからな。ご温情を与えてくださった陛下に感謝するんだな」


 良かったな、と内侍官は興味なさそうに、さっさと立ち去ろうとしたが、紅林が声を上げて引き留めた。


「お待ちください。朱貴妃様の杯にだけ毒を入れる方法が分かった、と内侍省の方にお伝え願えますか」



 


 牢屋から出て冷宮で待っていた紅林の元へ、先ほどの内侍官が呼びに来た。

 すぐに用意された、内侍省建屋の一室。

 必要最低限の調度品しか置かれていない殺風景な部屋には、紅林の他に宰相の安永季あんえいきと内侍長官の円仁えんにんが並んで立っていた。


「紅林殿、話は本当ですか? 朱貴妃だけに毒を盛る方法が分かったというのは」


 真偽を見定めようと、難しい顔して紅林の上から下までじっくりと視線を這わせる安永季。


「はい、それを今から証明してみせます」


 紅林は、自分と安永季達との間に置かれた卓へと歩み寄った。

 卓の上には、話を聞こうと返事をもらった時に、用意してほしいと言ったものが置かれている。

 黒い酒壺しゅこ――双蛇壺そうだこと五つの酒杯。そして、酒。


「その酒杯は、当日、陛下と四夫人が使用していたものです。酒も尚食局しょうしょくきょくに言って当日と同じ物を用意させました」

「感謝いたします、安宰相様」


 紅林は全ての杯をあらため、最後に双蛇壺を手にとる。

 ずしりとした重みがあり、細部まで目を凝らしてみると、やはり双蛇壺で間違いはない。

 蓋を開け、紅林が酒を注ごうとした時だった。


「宮女、嘘ではないな」


 円仁の声に、ピタと紅林の手も止まる。


「嘘と言いますと?」

「分かったというのは出任せで、本当は先ほど杯を検めたときに、酒杯の内側に毒を仕込んだのではないか」

「嘘を吐く理由が私にはございません」

「陛下の寵ほしさではないのか? せっかく陛下の目に留まったのだ……理由はなんであれ。謎が分かったとなれば、陛下の覚えもめでたくなるだろうなあ」


 目の下をひくつかせ、足先で小刻みに床を叩き続けている円仁。


「今ならまだ許してやる。完璧な証明ができなければ、我々を騙したということで、再び獄に入ってもらうぞ」


 彼にとって、謎が解けることは喜ばしいことだと思うが、何故か円仁は紅林を忌々いまいましそうに見つめる。

 狐憑きだから、ということなのかもしれない。

 不幸をもたらすと言われる者を、最初から嫌悪する者は多い。

 言いがかりに近いが、隣の安永季が何も言わないのを見るに、円仁の言い分にも一理いちりを認めたようだ。

 紅林は酒を置いた。


「分かりました。でしたら、安宰相様か内侍長官様が好きな杯をお選びください。選んだ杯にだけ毒を注ぎましょう。もちろん、選ばれた後、私は一切杯に触れません」


 これには、安永季がほうと口を縦にして、感嘆の声を漏らしていた。


「そこまでの自信があるとは……では、私が選びましょう」


 安永季は卓に近づき、紅林から一番遠くにあった杯を選んだ。


「かしこまりました」と、紅林は酒を酒壺に注いだ。なみなみに酒をい入れ、蓋を閉める。安永季はというと、元の場所には戻らず、そのまま興味深そうに紅林の手元を注視している。


「これでもう準備は完了です」

「え? しかし、酒を注いで蓋を閉めただけでは……」


 あまりのあっけない完了に、安永季は目を点にして、酒壺と紅林との間で視線を往復させた。

 紅林はふっと笑むと、『まあ、見てろ』と言わんばかりに杯に酒を注ぎ始めた。

 一つ、二つ、三つ――。

 そして、安永季が指定した五つ目の杯に酒を注ぎ終えたとき、安永季は卓に乗り上げんばかりの驚嘆を見せた。


「どういうことです、これは!? 全て同じ酒壺から注がれていたのに――」


 五つ目の杯を囲うように置かれた安永季の両手は震えている。触るわけにはいかないが、しかし触って確かめてみたいという欲がせめぎ合っているのが、手に取るように分かった。


「何故、この杯だけ酒が赤いのですか!」


 五つ目の杯だけ、中の酒が薄らと赤く色づいていた。

 安永季の声に反応して、離れた場所にいた円仁も近寄って中身を確かめる。


「これは……っ、何故!?」


 やはり円仁も、安永季と同じ反応を見せた。


「これは、双蛇壺という特別な酒壺なんです」

「ソウダコ……ですか」


 酒壺を安永季に手渡せば、彼は首を捻って上下左右から確かめていた。


「実は口が中で二つに仕切られていて、今回は、片方に毒物ではなく潰したようばいを詰めています。なので、飲まれても大丈夫ですよ。ただの甘酸っぱいお酒ですから」


 安永季は酒壺の口を眇めた目に近づけ、中を確認すると「おお」と声を漏らした。


「確かに、下側の奥にだけ赤いものが見えますね。しかし、口が別れただけでは、酒壺を傾けると両方の口から酒が出てくるのでは?」


 紅林は酒壺を安永季の手ごと高く掲げ、底をのぞき込めるようにする。


「分かりにくいですが、取っ手の底に小指の先程度の穴が開いています。そこを押さえて注ぐと上の口から。穴を開けたまま注ぐと上下両方の口から酒が出てきます。これを利用すれば、毒酒の注ぎわけは簡単にできるのですよ」


 残った酒で安永季も試しにとやっていたが、しっかりと赤い酒と透明な酒の注ぎわけができていた。

 同じ酒壺でいかようにもできるのが、双蛇壺である。


「安宰相様。この取っ手、実は右手にして見た時と、左手にして見た時とでは、見えるものが違うんです」

「どれどれ――っと、本当ですね。黒くて気付きませんでしたが、これは……龍と……?」

「蛇です。ご覧の通り、双蛇壺を使う時というのは限られます。面従腹背とでも言いましょうか」

「だから双蛇壺という名なのですね」


 顎をさすりながら、彼は興味深そうに何度も双蛇壺を見つめていた。

 もしかすると、彼の気質は宰相というより、学者寄りなのかもしれない。

 目の輝きに子供っぽい探究心が宿っている。


「はぁーなるほど。これを使えば、朱貴妃の杯にだけ毒を入れることも可能ですね――って、うん?」


 ただただ感心に唸っていた安永季であったが、どうやら自分が言った言葉の矛盾に気付いたようだ。

 片眉がへこみ、口がへの字になる。


「……朱貴妃の杯に毒が盛られていた。その毒酒を注いだのは……朱貴妃……? え、待ってください。え? ではこれは……まさか朱貴妃の自殺!? そんな馬鹿な!」


 両手で側頭を押さえ、混乱の音を上げる安永季。

 まあ普通に考えればそういうことになってしまう。

 しかし、問題はそこではない。


「安宰相様。一番問題視しなくてはならないのは、この双蛇壺を誰が彼女に渡したのか、ではないでしょうか」


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