第25話 あなたは私の大切な友達
宮女には、十人で一つの宿房が与えられている。
夜、隣からごそごそと音がして紅林は目を覚ました。
隣は
「あれ? 朱香?」
掛布の中はもぬけの殻だった。
「眠れないの?」
紅林は、宿房の表階段に腰を下ろしている背中に声をかけた。
痩せた小さな背中がビクッと揺れる。
「びっ……くりしたよ、紅林」
「私も、あなたがいなくてびっくりしたのよ」
冗談めかして頬を膨らませながら、紅林は朱香の隣に腰を下ろす。
振り向いた朱香の膝の上には、先日紅林が目にした木箱が置かれていた。
「ねえ……近頃、元気がないのって、その箱と関係してる?」
一度、箱のことを聞いてみたのだが、その時は『乞巧奠で使うものを預かったの』と教えられそれで納得していた。
まだ後宮ができて日が浅く、後宮に勤める者の数も、後宮の規模に見合った数より少ない。そのため、乞巧奠の準備には位階関係なく、宮女まで駆り出されることになっていた。
当日割り振られた役目は、紅林はその髪色のせいで裏方だったが、朱香は尚食局の女官と一緒に、配膳準備や酒や食料などの管理担当となっている。その関係で何かを預かったのだろうと思っていたのだが……。
朱香の箱を見つめる目は、あまりにも感情が乗りすぎている。
「その箱の中身、見せてもらっちゃだめかしら。もしその中にあるもので、何か悩んでるんだったら力になりたいの」
朱香はチラと紅林に横目を向け、手元の箱と見比べる。
そして、しばしの逡巡の後、分かったとおもむろに箱を開いた。
「紅林にだけだからね」
中に入っていたのは、黒い
「……変わった色をしているのね。これを朱貴妃様が乞巧奠で使うって?」
元は白い石作りの酒壺だろう。所々、黒がもやのように薄れた場所からは白地が見えていた。妙な照りがあり表面になにか模様が彫られているようだが、薄暗い場所では判別できない。ただ、取っ手が龍のような形になっているのは分かった。
「確かに龍なら、陛下に使うのには相応しいものね」
しかし……。
「ねえ、これって朱貴妃様がこの間の市で買ったのかしら?」
既視感があった。
「さあ、どうだろう。私は渡されただけだから」
朱香は、酒壺に手を伸ばした紅林から遠ざけるように箱を閉めると、紅林とは反対側に置いた。
――市で見てたのかしら。もしかしたら、その商人からの献上品かもしれないし。
などと一人で納得していると、先ほどまでの難しい表情から一変した朱香が、ニヤニヤとしながら紅林に身体を寄せる。
「それはそうと……紅林ってば近頃、毎日歩揺を挿してるよね。赤い石の」
確かに挿している――が、朱香の表情は、そのようなことを言っているのではない。
紅林の頬が夜でも分かるくらいに色づいた。
「――っあ、ち、いえ……っ!」
「もしかして、この間一緒だった衛兵さんからもらったの? なんか仲よさげだったしぃ」
口元をニヤつかせたまま目を細め、ずずいと紅林に迫る朱香。
完全に揶揄いにきている。
「大丈夫大丈夫、誰にも言わないからさ」
「ち、違うわよ! そんな意味があるものじゃなくて、彼の仕事を手伝ったお礼として渡されただけだから!」
「お礼ねえ? にしては、随分と高そうな歩揺だよね」
ぐっ、と紅林は喉を詰まらせた。
それは紅林も思った。
まだ仕事は終わっていない、と今後の協力も約束させられた後。
突然、手を伸ばしてきたかと思えば、後頭部に歩揺を挿されていた。その時彼は、『礼だ。大した物じゃないから気にせず受け取ってほしい』と言い、紅林もそういうことならと深く考えず受け取ったのだが。
夜、宿房に戻り歩揺を抜いてみて驚いた。
紅玉があしらわれた金歩揺。その質の高さは、一介の衛兵が『大した物じゃない』と言えるようなものではなかった。
相当無理をしたことがうかがえた。
「さすがに贈り物を突き返すのは失礼だし、だったらせめて挿してあげないと可哀想でしょ!?」
「はいはーい。そんな力一杯言い訳するとあやしいだけだよ、紅林」
「何もあやしくないわよっ!」
とはいえ、嬉しく思ったのも事実で。
紅林は、これ以上喋っても墓穴しか掘らないと、肩でグイグイと突いてくる朱香からプイと顔を背けた。これ以上は、何も答えてやらない。
すると、肩口に感じていた圧がふっと消える。不思議に思って目を向ければ、朱香の表情はまた変わっていた。自嘲の薄い笑みを口元に置いて、しかし、目は誰かを想っているような遠い目をしている。
「別に、全員が全員、皇帝の寵を求めてるわけじゃないのにね」
それは彼女自身のことを言っているのか。
それとも、目の奥に浮かべた誰かのことを言ったものなのか。
「……朱香はどうして宮女に?」
後宮に入る理由は女の数だけある。
それだけ、
「私ね、拾い子なんだ」
突然の告白に、紅林は上手く反応できず眉間を寄せてしまった。
「あ、そんな顔しないで。不幸なことはなくて、とっても良い人に拾われたんだ。その家は王都でも大きなお店を持っててね、そこの娘が路地裏でお腹を空かせて倒れていた私を家族として迎え入れてくれたの」
「そう。とても良い人に見つけてもらえたのね」
「義父は下女が一人増えたくらいにしか思ってなかったみたいだけど、姉は、本当の妹みたいに私を可愛がってくれたんだ。文字を教えてくれたり、本を読んで聞かせてくれたり。売り物のお菓子をこそっと分けてくれたこともあったんだ」
「それなのに、どうしてまた」
そんな良い家を出る必要はあるのだろうか。
「……恩返しかな。ここまで育ててもらったお礼として、少しでも力になりたかったの。ちょうど姉も家を出るって話だったから。それならって……」
なるほど、下女として扱う義父とは確かに一緒にいづらい。それなら支度金で少しでも恩返しをということか。
「姉は私の恩人だから。姉のためなら、私なんだってできる」
「そう。あなたがそこまで想うって、とても素敵なお姉さんなのね」
朱香は嬉しそうに頷いていた。
「あら、大変。朱香ったら震えてるじゃない。早く房に入りましょう」
気がつけば、箱に乗せてある朱香の手が震えていた。
「夜風に当たり過ぎちゃったかな、少し冷えたみたい」
箱を大事そうに抱きしめて立ち上がった朱香の肩を抱いて、紅林は宿房へと戻った。
「朱香、しわしわのおばあちゃんになるまで一緒にいましょうね」
「ありがとう、紅林。そうなれたら……嬉しいな」
そう。全員が全員、皇帝の寵など求めていない。
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