第23話 まだまだ付き合ってもらうぞ

「花っていうか、ほぼ木だったけど」


 大きな緑の葉と白い小花が茂った白雲木はくうんぼくの枝。しかも、紅林の片腕の長さほどある大物だ。切り口が綺麗にってあったから、きっと鋭利なもので――例えば剣などで伐ったのだろう。

 はて、誰が置いたものか。などと頭を悩ませずとも、紅林の脳裏にはすぐに一人の衛兵の姿が浮かんだ。


「私のことを図太いだなんて言ったくせに、自分だって充分図太いじゃないの」


 白雲木はくうんぼくの木は、北庭近くにはない。一体彼はどのような顔をして、花の茂った枝を北庭まで持ってきたのだろうか。

 想像したら、ふっと思わず笑みが漏れてしまう。

 それにしても、自分より先に花を供えるとは、衛兵の朝は思ったよりも早いらしい。

 もしくは、会わないようにしているかだが。


「やっぱり、この間の態度は少し失礼だったかしら……」


 何かを言おうとする彼に、一方的な別れを告げ立ち去ったのだが、あの後彼はどのような顔をしていたのか。


「――って、ほだされない! だめよ、だめ。ただでさえ彼は危険なんだから!」


 先ほど聞いたヒヨドリの声の中にも、永季えいきのことと思われる話が含まれていた。黒髪を後頭部で結い流した赤目の美丈夫と、ここまで一致すれば間違いなく永季のことだ。

 他の女人達からいらない嫉妬を買うのは賢くない。


「それに……」


 自分の過去は誰にも知られてはならない。

 興味を持たれることすら避ける必要がある。

 どうせ聞かれても、答えることなどできない。

 五年より以前は――。


後宮ここにいたんだから」


 林王朝最後の皇帝・林景台りんけいだいの第一公女・林紅玉りんこうぎょくとして。

 紅林は手に絡むほうの袖に視線を落とした。

 薄黄色一色の袖先は土汚れがよく目立つ。襦裙じゅくんの生地は少々ごわついていて、ずっと歩いているとすそと足首が擦れてヒリヒリとしてくる。

 かつては、今の四夫人すら羨むような鳳凰の刺繍が入った汚れ知らずの袍を纏い、しだり尾のように長い裳裾もすそを引きずって歩いていたというのに。


「これでいいのよ。私はもう……紅林だもの」


 紅林は、胸に垂れた髪を一房手に取ってまじまじと眺めた。


「あんなこと……初めて言われたわ……綺麗だなんて」



 ――綺麗……なのかしら?


 そうだったら嬉しい、とは思っても、市で向けられた不躾ぶしつけな視線や言葉の数々を思い出せば、やはり紅林の表情は曇った。


「やっぱり、あの衛兵が変わってるだけよ」


 市の皆の反応は、実に見慣れたものだった。

 中には今回の件で侍女が連れて行かれたのすら、狐憑きのせいだと言っている者がいたが、正直堪ったものではない。

 何でもかんでも狐憑きのせいにするのは、やめてもらいたいものだ。


「そう思うと、よく内侍省の高官っていう人は私を後宮に入れたわね」


 一体誰なのか。

 この間現れた内侍省の人間は長官と呼ばれていた。名は円仁えんにんだったか。

 彼だろうか。

 いかにも長官といった、肩で風をきる横柄な歩き方から、ふてぶてしい者だなという印象をもった。

 紅林は視線を斜め上へ飛ばし、しばし考える。


「……いえ、ないわね。わざわざ彼みたいな人間が、面倒事の塊である私を後宮に入れる理由がないもの」


 侍女を見るなり、いかにも『面倒事は勘弁してくれ』とばかりの顔になったのに。


「そういえば、あの侍女……長官が来る前に何か言いかけていたような……」


 離れていたせいで断片的にしか聞き取れなかったが。


「ない……が……? ないかが? んー、内侍、官、が……内侍官?」


 もしかして、『内侍官が』と言ったのだろうか。


「よく分からないわね」


 まあ、自分が首を突っ込むことでもないしいっか、と頭の横で手を振って、雑念を追い出した紅林。

 視線を宙から前方へと戻す。

 すると、目の前の妃嬪宮から見覚えのある者が、ちょうど出て来るところだった。


「あら、もしかしたら朱香しゅきょうじゃない?」


 朱貴妃のせきしょうきゅうから現れたのは、ふわふわとした赤茶けた髪が特徴的な朱香だった。彼女の手には、大事そうに木箱を抱えられている。


「朱貴妃様の宮からだなんて、どうしたのかしら。もしかしたら、あの木箱は下賜品かしひん? って、侍女でもないのにそんなはずないわよね」


 きっとちょうど宮の近くにいて、何か運んでくれと頼まれたのだろう。侍女達が出払っていれば、あり得ないことではない。


「ま、聞けば早いか」


 紅林は片手を上げ、朱香に駆け寄ろうとした。 


「今日の掃除はもう終わったのか」


 が、踏み出した足に二歩目はなく、一歩踏み出したまま地面に縫い止められてしまう。

 本当、いつも神出鬼没な男だ。

 この低い声音に、もう驚かなくなってしまった自分が少々悔しい。


「……何かご用でしょうか、衛兵様」


 この間はっきりと距離を置いたつもりだったが、横から近づいてくる男――永季えいきは、何事もなかったかのように、柳眉りゅうびを垂らしてクスクスと親しげに笑っている。


「そんなつれない呼び方をするなよ、仕事仲間だろう」

「いえ。失せ物の件でしたらもう片付きましたので」


 彼とはこれ以上関わらないほうが良いと、紅林の中の何かが訴えていた。

 しかし、心とは相反して紅林の足は動かない。


 ――関わってくれなければいいのに……そしたら私もこんな思いせずに済むのに。


 紅林は遺憾だとばかりに、恨みがましい目を下から見上げるようにして永季に向けた。

 しかし、永季は片口を上げたのみで、さらりと紅林の意図を受け流す。


「実は、内侍省からの情報でな。後宮内から報告された失せ物と、侍女が自供した失せ物の数が食い違っていたそうだ」


 たちまち、半分閉じていた紅林の目が全開になる。


「え、それってつまり……!」


 永季は頷いた。


「まだ事件は解決していなかった、ということだな」

「と……いうことは……」


 言っていて紅林は頬を引きつらせた。


「さあ、手伝ってもらうぞ、紅林!」


 にこやかな顔の永季の手が、紅林の肩に置かれる。

 ずしりと重い彼の手は、『まだまだよろしくな』と言っていた。


 ――どうして……っ! どうして、静かに過ごさせてくれないのよ!?



「あ、それから名だが……」

「――っ分かりましたよ、永季様!」



 

 こうして、再び後宮の失せ物について、永季と共に調べることになったのだが。


「ひとまず、易葉えきようさんに話を聞きたいです。あの方法を一人で思いついたとは考えられませんし……」

「紅林は知っていたじゃないか」

「花楼で似たようなことを経験したからです」


 後宮の外にある冷宮の獄へは紅林が勝手に行くことは許されず、ひとまず内侍省への許可を求めに行った。


 しかし、そこで紅林は、数日前に易葉は亡くなったということを知った。


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