第21話 ◆誰がための金歩揺
「
長牀に怠惰に横たわった関玿は、処理を終えた書類の片付けをしている
「ええ、この国の者なら当然ですよ。というか、昔話ではなく史書にも記載されている、れっきとした正史ですけどね」
結いを解いた長い黒髪を肘掛けに散らし、
「お前は……本当に髪が白いだけで、不幸を呼び寄せる力が宿るとでも思っているのか?」
赤い瞳が目の縁を滑り、ジロリと安永季を睨み付ける。
おや、と安永季は整理中の手を止めた。
てっきりただの雑談かと思いきや、どうやら関玿にとっては何か意味がある様子。
「ふむ……狐憑きですか……」
安永季は細面の顎を手で撫で、真面目な雰囲気を醸し出す。
「これは、私個人の考えですが……狐憑きと呼ばれる者は、不幸を呼び寄せるというより人の心を惑わせる力……まあ、魅了する力があるということだと思うんですよね。初代である末喜は、それこそ皇帝の寵愛をほしいままにしたわけですし。不吉だと言われ出したのは、彼女以降ですから。きっと、不吉という印象は、美しい者には気を付けよという
「魅了する力……」
「希少価値――類を見ないというのは、それだけでとてつもない価値になるんですよ」
関玿の脳裏には、先日の市での光景が焼き付いている。
紅林が市に出て行っただけで、空気が一変した。
女人も商人も衛兵も――誰もが皆、紅林を見ていた。
それは、言い換えれば、誰もが紅林に目を奪われていたということ。確かに、狐憑きだとなんだのと揶揄する声の中に、時折、下品で卑猥な声も混じっていた。
「…………チッ」
込み上がってきた不快感に思わず舌を打ってしまう。
「一度くらい白い髪というものを見てみたいですね。老いた色とはまた違うんでしょうか。と、まあ、実際問題難しいでしょうがね」
「何故だ」
「
関玿には安永季の言わんとしていることが分かった。
彼の表情は気の毒そうな暗いものになっていたから。
恐らく、赤子で捨てられた者もいれば、無事に育ったとしても常に邪険に扱われ、満足に生きてはいけなかったのだろう。
そう思うと、紅林は稀有な存在だろう。
――一体、どうやってここまで……。
「永季……女人は、己の過去のことを聞かれるのは好きではないのか」
明らかに、紅林は過去を尋ねられるのを嫌がっていた。
「人によると思いますよ。ほら、
「宋賢妃の実家は、確か
後宮へと通っていたここ半月で聞いた宋賢妃の噂は、確かにどれも出自を後ろ盾とした行動による被害のものばかりだった。
「なるほど。自慢なことであれば喜んで勝手に話すか」
「語れない、語りたくない者は、私や陛下のような者ですよ。『
「面白くない……なあ……」
宮女らしくない知識をもち、冷ややかな視線にさらされても堂々と歩める流民らしくない度胸もある。しかも、おそらくは文字の読み書きもできる。以前、
――一体、彼女は何者なんだろうか。
ただの宮女というには、あまりに並の枠を超えている。
「……なぜ、話してくれないんだ」
呟くと一緒に、目の前に掲げていた関玿の右手が拳を握った。
拍子に、シャランと繊細な音が奏でられる。
「それはそうと、陛下は先ほどから何をなさっているのです? ずっと
「ん? あ、あぁ……」
関玿の右手には金色の歩揺が握られていた。
柄を持って、手遊びのようにしてクルクルと回している。
「女物ですね――って、ハッ! どなたかへの贈り物ですか!? すぐに
「だから気が早過ぎると……」
この世の一大事くらいの勢いであたふたしはじめる旧友に、関玿は瞼を重くした。
「これは、贈り物なんかじゃない」
そう。ただ、市で似合う色を見つけたからで。
ただ、何も挿していないあの髪がもったいないと思っただけで。
「え、ご自身で挿されるのですか? そんなシャラシャラ煩そうな、花型の愛らしい歩揺を?」
「馬鹿、挿すか」
「でしたら、どうされるおつもりで?」
「ど、どう……って……」
確かに。これをどうするつもりだったのだろうか。
失せ物の件も解決し、もう彼女と会わなければならない理由はない。
手の中でクルクルと回る金歩揺の先端には大小様々な紅玉がはまっている。回す度に窓からの光を受け、石の内側で細やかな光が爆ぜた。
「まったく……陛下も隅に置けませんね。自分の瞳と同じ色の歩揺を渡すつもりだなんて」
「は……?」
くふふ、と気持ち悪い笑みを漏らしている安永季よりも、関玿は今し方彼が言った台詞に引っかかりを覚えた。
歩揺にはめ込まれた貴石は確かに赤色――確かに、その真っ赤な色は自分の瞳と同じではあるが……。
「いや……そんなつもりは……」
そんなことを気にして選んだわけではない。
元より贈るために買ったわけではないのだ。しかし、買う時に想像した光景は、自分が彼女の髪に歩揺を挿している場面であり、彼女の髪を飾りたいと思った色が……。
――待て、これでは本当に俺が……っ。
関玿は横たえていた身体を、衝動的にガバッと起き上がらせた。
めざとく関玿の変化に気付いた安永季は、口元を隠した
「独占欲の塊ですねえ。重い男は嫌われますが、皇帝陛下のご寵愛なら
「――っ永季!!」
「あははー、そんな顔で凄まれても怖くありませんよー」
悔しいことに自覚がある。
きっと今、自分は相当笑える顔をしているに違いない。
「…………クソッ」
手で覆うしかなかった。
「――それはそうと、後宮の失せ物の件ですが。実は先日、進展がありまして」
関玿は片眉をピクリと微動させた。
「
「……ほう」
手遊びしていた関玿の右手が止まった。シャランというか細い音を最後に、歩揺は沈黙する。
「そういえば、この件は確か陛下も関わられていたと……もしかして、今回の犯人逮捕は、陛下の計らいですか?」
安永季はまだ、関玿が衛兵のふりをして後宮へ行っていることを知らない。
「まあ、そんなところだ」
自分の手で捕まえたわけではないが、彼女にはこうなることが分かっている節があった。
――まったく……彼女には予知能力でもあるのか?
彼女は、以前勤めていた花楼で似たようなことがあったから分かった、と言っていたが、それでも普通であれば、花楼の失せ物と後宮の失せ物を結びつけては考えないだろう。
とことん、謎が増える女人だ。
「どうやら、他にも犯人はいそうですね。まあ、盗まれた者が李徳妃に限らずなので、当然と言えば当然なのでしょうが。報告を聞いたときは、これで一つ片付いたと思ったんですがねえ」
安永季は肩を手で揉んでは、やれやれと疲労の滲む溜息を吐いていた。
しかし、関玿は実に対照的な表情を玲瓏な顔に描く。
それこそ新たな楽しみを見出した童子のように、赤い瞳を輝かせた。
『これでお仕事は終わりですね』
『衛兵様、そういうことですから』
蘇る、彼女の暗に関係はもう終わりだと告げる声。
握りしめた歩揺が楽しげに鳴いた。
「どうやらまだまだ終わらないらしいぞ、紅林」
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