第20話 私はただの宮女です
話も終われば、今まで我慢していた
気がつくと、後宮門一帯の空気はすっかりと活況を取り戻していた。
商人達の客引きの声が場を賑わし、集まっていた衛兵達の中には、宮女や女官と会話を弾ませている者もいる。あちらこちらで楽しげな声が飛び交っていた。
その光景に、紅林は寂しさを覚えた。
恐らく、連れて行かれた侍女は獄に入れられ、罰を与えられたあとは冷宮で一生を終えるだろう。先ほどまで皆が彼女に注目を向けていたというのに、今や誰も気にする者はいない。あれはもう終わったことなのだ。誰も、いなくなった者のことを気にはしない。
――ここは……とても美しくて残酷な世界……。
今も、昔も。
そんなことを思って、市をなんとはなしに眺めていると、不意に「紅林」と呼ばれた。
「っうひゃ!」
「うひゃ? まあいいが、追いかけなくていいのか」
――そ、そうだった。彼も一緒だったわ。
というか、まだ一緒にいたのか。あまりに静かだったから、てっきり持ち場に戻ったのかと思っていた。
「私は元から買うつもりはありませんでしたし。朱香に誘われて付き添いみたいなものでしたから」
永季の手が顔に伸びてきて、頬横の髪を
「歩揺の一本でも挿せばいいのに」
指に絡む白髪をまじまじと見つめる永季に、紅林は気恥ずかしさを感じた。
珍しく髪色について触れてこない者だなと思っていたが、やはり彼も狐憑きは知っていたし、後宮で狐憑きと呼ばれている者――自分が、周囲からどのように思われているのかも察しているのだろう。
紅林が顔を俯けると一緒に、永季の手からするりと白い髪が逃げる。
「飾り立てる意味がありませんから」
わざわざ目立ちにいく必要がない。むしろ目立ちたくはないのだから。
「綺麗に飾るのは、誰かに綺麗だって思われたいからでしょう。妃嬪様達があれだけ着飾るのも、陛下に愛されたいからで……。そんなことを思ってくれる人がいない私は、飾ったところで虚しいだけですもの」
「紅林は、皇帝の寵をほしいとは思わないのか。後宮にいるということは、そういうことだろう?」
「でしたら、それこそ歩揺の一本でも挿してますよ。確かに、後宮にいる者たちの大半が少なからずそういう思いを持っているでしょう。ですが、私は進んで後宮に入ったわけではありませんから」
胸元に落ちた白い髪を、紅林は永季のように指に絡めてみる。
全て、この白い髪のせいだ。
後宮に入れられたのだとて、狐憑きが目障りだからと
「もし……違う色だったら……もう少し何か変わってたんでしょうか……」
「それは分からんが……俺は、紅林の髪は綺麗な色だと思うよ」
「…………え」
永季の言葉に紅林は弾かれたように顔を上げた。
永季の髪色と同じ真っ黒な瞳が、揺らめきながら彼の赤色を瞳に収める。
「真珠のようだと思う」
再び伸びてきた手が紅林の髪を梳いた。
永季は梳いた髪をまじまじと見つめては、指に絡んだ髪を指で撫でている。
「い……いえいえいえ……き、宮女にお世辞を言っても、何も差し出せるものはありませんよ」
「さすがに宮女にたかるほど落ちぶれちゃいない。素直な感想を言っただけだ」
返ってきた予想外の真面目な声音に、紅林は視線を右へ左へそして足元へと落とした。
「……すみません」
紅林は消え入りそうな声で詫びた。
しかし、生まれて初めて自分の髪にかけられた言葉は、あまりにも馴染みないもので、正直、冗談にしか聞こえなかったのだ。散々、恐ろしいだの不気味だのと、正反対の言葉ばかりかけられてきたのだから。
「気持ち悪くは……ないですか」
確かめるように問いかける紅林。
「ないな。むしろ、何色の
間髪容れず返ってきた言葉はやはり、初めて聞くもので。
「……っそのように……言ってくださいますか……」
自分ですらも美しいか汚いか分からない髪色。
母はこの髪色を見るたび、ごめんなさいと言った。自分に良くしてくれる人でも――朱香でも、徐瓔でも、世話をしてくれていた
「ありがとうございます……っ、永季様」
目が熱すぎて痛かった。
「それにしても、今回もお前には驚かされたな。初めから犯人が分かっていたのか?」
「まさか。行われていることが分かっただけで、誰がとまでは分かりませんでしたよ」
「それだけでも凄いのだがな。……徐瓔、とか言ったか。あの侍女も言っていたが、どうも紅林には変わった知識があるようだな」
「ですから、それは様々な所を流浪してきたからで……私はただの宮女ですよ」
なんだか話が怪しい方向へ流れていっていると感じたのも束の間。
「そういえば、紅林の生まれはどこだ」
嘘のような早さで、自分の血の気が引くのが分かった。
「流民……でしたから」
ちょうど俯いていてよかった。
このような表情――顔を青くして、唇を震わせたものなど見せられない。
「流民でも生まれた場所はあるだろう。両親はどこに?」
「……両親は……五年前の争乱で亡くなりまして……」
永季が「争乱」と、声を詰まらせたような気がしたが、今の紅林は他人を正確に把握できる状態になかった。
「それ以前は?」
伏せた顔の下で、紅林は静かに深呼吸を繰り返す。次第に遠のいた体温は戻り、引きつっていた口元も柔らかくなる。
心の中で『一・二・三』と数を数え、そしてパッと顔を上げた。
「朱香達が心配するので、私、もう行きますね」
「……!」
紅林の顔を見て、永季は目を
「失せ物の事件も犯人が捕まり無事解決しましたし、これでお仕事は終わりですね。無事解決して良かったですわ」
「紅林、急にどうしたんだ」
「衛兵様、そういうことですから。今後も見回りのお仕事頑張ってくださいね」
「待て! 何故そんなことを――」
永季の言葉など聞こえないとでもいうように、紅林は「それでは」と会釈すると、あっという間に賑やかな市の雑踏へと紛れていく。
「紅――っ!?」
永季は、遠ざかっていく背に向かって手を伸ばし、呼び止めようとした――が、次の瞬間、後宮門一帯の空気が変わったことに気付いて、喉を詰まらせた。
あれだけ賑やかだった商人達の声が、ひそひそとした陰湿なものばかりになる。商人だけでなく集まっていた衛兵達にも、揶揄した声を上げる者や、眉をしかめて声を潜める者までいる。
そして、永季は気付いた。彼らの視線や言葉は、たった一人にだけ向けられたものだと。たった一人、白い髪を持つ紅林へのものだと。
「市に出て来るだなんて信じられない。自分の立場を分かってんのかしら」
「なあ……さっきの騒ぎって狐憑きがいたからじゃ……」
「不吉を運ぶって本当だったんだ。
飛び交う「狐憑き」だの「不吉」だのという遠慮無い言葉。
しかし、紅林は平然として悪意の中を進んでいく。
永季は、伸ばした手をしばらく下ろせないでいた。
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