第15話 最悪な男に捕まってしまった

 驚きで肩を揺らしてしまった自分が悔しい。


「そんな大物を引っこ抜くとはな」

「見に来ない方達のために咲くより、眠るものを慰めるために咲く方が花も嬉しいでしょう」


 声がした方を振り返れば、そこには案の定の男が、木の幹にもたれるようにして立っていた。永季は鳩が豆鉄砲をくらったように目を丸くして、パチパチと瞼を瞬かせている。


「……見回りでしょうか? 衛兵様」

「やはり、名では呼ばないか」

「ええ、衛兵様とは北庭で偶然会うだけの関係ですので」


『だけ』の部分を殊更に強調して言ってみたが、永季はやれやれと言わんばかりに片方の眉だけを上げ、首を揺らす程度にしか反応しない。

 美丈夫と関わって良いことはない――これだけは、いつの時代の後宮にも共通して言える真理である。何度も史書で読んだ。


 ――後宮に入れる衛兵は、醜男ぶおとこでないと駄目ね。



「それにしても、随分と面白い会話をしていたな。盗まれた宋賢妃の歩揺がどうとか……」


 核心部分の全てを言っておいて、どうとかと濁す必要はあるのだろうか。


「てっきり、紅林はあの侍女を脅すつもりなのかと思っていたが……。まさか、別の商売方法を教えるとは。随分と後宮事情に詳しいようだな」

「後宮に勤めておりますので」

「……それもそうだな」


 それに、と紅林は続ける。


「彼女、何か事情があった様子ですし。自分にできることがあるのに、そのまま……だなんてできませんよ」


 俯いたことで視界に入ってきた顔の横の髪を、紅林は無意識に指で弄ぶ。


「あのままいけば、彼女には間違いなく咎めがありました。窃盗の罪であればじょうけいですが、はたして五発も彼女が耐えられるとは思いませんでしたし」


 少なく見積もって五発だ。通常であれば、両手は優に超える数が課される。男でも十発も叩かれれば、皮膚が破れ血まみれになるというものだ。

 薄い体つきの徐瓔が耐えられるとは思えない。人はあっけなく死ぬ。


「刑罰にも詳しいのか」


 永季が感心した声を漏らすが、紅林はもう反応しなかった。


「衛兵様、お仕事に戻られなくてよろしいのですか」


 正直、これ以上彼と一緒にいたくない。

 なぜだか、ただ会話しているだけでも探られている感じがするのだ。ただの衛兵に抱く感情としては少々警戒心が先走りすぎかとも思うが、立っているだけでも滲む、彼の清冽な威圧感に触れれば、無防備に受け答えなどできなかった。

 永季は、「仕事……な」と形の良い顎に指を這わせ、見下ろすようにして紅林を見る。


「仕事相手であったら名を呼んでくれるんだったな」

「へ?」


 嫌な予感がする。

 聞きたくないという思いが先行して、紅林の足がジリと後退る。が、伸ばされた永季の手によって腕を掴まれ、無理矢理その場に留められてしまう。


「ど、どうして、そんなに呼ばせたがるのです」

「さあ? 俺にも分からんが……呼ばせてみたいと思っただけだ」



 ――そんなよく分からない浅い理由で……!


 これには紅林の口元も引きつるというもの。


「近頃、後宮では失せ物が多いと聞いている」

「そ、そうなんですね。存じませんでしたわ」

「それで、どうやら『狐憑き』と呼ばれる者が、最有力容疑者として名が上がっているのだとか……」


 向けられた赤い目は品定めするように、紅林の頭のてっぺんからつま先まで視線をゆっくりと往復させ、意味深に口端をつり上げた。


 ――この男……っ、てっきり鈍いだけの男だと思っていたら……。


 先日、一度も髪色に触れてこなかったから、ありがちな武官――噂話などには疎い質かと思っていたのだが。


「後宮を守る衛兵として、この件を放置して綱紀が乱れるのは見過ごせないからな。一連の犯人探しを手伝ってくれないか」

「……っそのようなことは、内侍省が調べられると思いますが」

「そうか……だが、宋賢妃の歩揺を盗んだ犯人を隠匿した者がいると知れば、内侍省はどうするだろうか?」

「こ――っ!」



 ――この男っ!


 思わず口走りそうになった言葉をぐっと飲み込んだ。

 これは、考えるまでもない。はっきりと脅されている――『手伝わなければ、先ほど見た件を内侍省に言いつける』と。


「これで仕事相手だな」

「そうですねっ、様!」


 目を細めた永季の胸に、紅林は手にしていた芍薬を押しつけ、さっさと宿舎へと戻った。『最悪だわ!』と胸の中で舌打ちをしながら。

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