第16話 ◆男が見つけた花
執務室の扉を閉めた途端、
「く……っははは! 冗談だろう、なんだあの女は」
一度決壊すると調整がきかず、次々と出てくる笑みに関玿は腹を押さえて耐える。
「何がただの宮女だ。ひどい猫かぶりだ」
ただの宮女が、窃盗品片手に犯人を脅したりするものか。しかも、それで金銭を得るわけでなく、それどころか犯人に別の稼ぎ方を教えるなどと。
悪どいのか、情に篤いのかよく分からない女だ。
「出会ったときから妙な女だとは思っていたが、考えていることがさっぱり分からん」
関玿はひとしきり笑い終えると、引きつった痛みを訴える腹をさすりながら、長牀にどっかと腰を下ろした。
「この俺が、まさか後宮に通う日が来るとはな」
さすがに宰相殿に辞められては困るため、後宮へ行くことにはした。が、どこの宮も訪ねるつもりはなかった。
迂闊にどこかの宮を訪ねて、あの妃嬪が皇帝のお気に入りだ、などと吹聴されても困る。しかし皇帝が後宮を訪ねて、どこの宮にも入らずウロウロするのも変な話だ。
だったら、皇帝とばれなければいいという結論の末、関玿は衛兵のフリをして日中に後宮を訪ねることにした。
「言われたとおり訪ねはしたからな。これで、永季も文句はないだろうさ」
半分は、行け行けと煩い宰相――安永季への意趣返しである。
もちろん、後宮に行ったとも、衛兵姿で行ったとも話してはいない。しばらくヤキモキしていればいいさ。
「それにしても、一度きりのつもりだったんだがな……」
二週間前、関玿は初めて後宮門をくぐり、後宮へと入った。
最初で最後のつもりだったし、それならば後宮全てを見てやろうと、見回るフリをして隅々まで歩き回った。
その中で、花を見つけた。
北壁の際に、数本の花が置かれていた。どこからか飛んできたのかとも思ったが、それにしては全て花の向きは同じで、茎にはちぎったあとがあった。
それは、誰かが故意に置いたものだった。
では、誰が、なんの目的で?
一度きりのつもりだった――が、その花の意味が知りたくて、翌日も衛兵として後宮を訪ねた。すると、花が置かれていた場所には、また別の花が増えていた。
その翌日も、そのまた翌日も。
訪ねるたびに違う花が置かれている不思議な現象に、関玿は図らずも夢中になった。
あの花に意味はあるのか。
もしかしたら何かの符牒かもしれない。
そうして北庭に足を運び続け、先日、やっとその正体を知った。
犯人は、珍しい白髪の宮女。
薄暗い北壁にいても彼女の色はよく目立った。木漏れ日の薄明かりに輝く彼女の姿を初めて見たとき、月を見上げたときのような切なさを抱いた。そして、今にも消えてしまいそうな儚さに、幻かと思わず手を伸ばしてしまったのだ。
結果、彼女はしっかりと生きた人間だったのだが、すると今度は『では、こんな後宮の端で何をしていたのか』という疑問がわいた。
本当に符牒なのかもと。
しかし、聞けばなんのことはない。花は供花で、相手は死んだ雛だった。
小さな命を憐れと惜しんだ宮女の、心優しい行いだったわけだ。
花が置かれていた謎も解けたし、関玿は、本当にこれでもう後宮へは行かないつもりだった。
「――のになぁ……」
初めて、あの日のことを『忘れなくてもいい』と言われた。
長い付き合いの安永季ですら早く忘れろと言っていたのに、まさか、出会ったばかりの宮女に肯定されるとは思ってもみなかった。皆、とうに先へと進んでいるのに、自分だけが進めないでいることが情けなかった。それがこの国の王だというから、また笑える話だ。失った命はもう戻らない。でも忘れもできない。
すっかり身動きができず、あの日の光景を強制的に思い出させる後宮には、自ずと足が遠ざかっていた。
『花でも供えたらいいと思いますわ』
思いのほか、その言葉はスッと胸に落ちてきた――そうだ、弔えば良かったんだ、と。
「不思議な宮女だ……」
関玿は天井を見上げ、細密な格子模様を見つめながら深く長い溜息をこぼした。
「どういう感情の溜息ですか、それは」
「なんだ、永季か」
ぬっ、と視界に入ってきたのは、宰相の安永季だった。
「なんだとは失礼ですね。誰のために私がこうして毎度毎度外朝と往復しているか――」
小言が長くなりそうな気配を感じて、関玿は問答無用に話を被せる。
「そうだ、永季。俺の顔なら、どんな妃嬪でも喜んで宮の戸を開くんだったよな」
「喧嘩したいんですね、いいですよ練兵場へ行きましょう。
「威勢良く代理を出すな」
「私は軍でも最弱ですよ。拳一発で死ぬ自信があります。そんな私を打ちのめして楽しいですか」
どこで胸を張っているのか。
「……いや、そうじゃなくて……もし、俺が名を呼んでほしいと女人に言ったら、相手はどんな反応をするんだろうかと」
永季は腰に手を置くと、首を横に振った。
その表情は「やれやれ」と言っている。
「それはもう、発情した猫のように、朝から晩まで名を呼んでうるさいでしょうとも」
とすれば、やはり彼女の反応は特殊だったのだろう。
最後に呼んだときも、やけくそだったし。
拒まれたのは『永季』であり『関玿』ではないのだが、それでも衛兵の名くらい呼べばいいものを、と彼女の頑なさに若干苛立ったのもある。
「……俺も負けず嫌いだからなあ」
意味の分からないことを呟く関玿に、安永季は『もしかして女人関係で何かあったのか』と興味がわいたが、下手につついてせっかくの機会を潰さないほうがいいと口をつぐむ。
「では、次は私の話も聞いてもらってよろしいでしょうか」
安永季が手に抱えた書類をバサバサと振る。目で「いいですか」と問われ、関玿は姿勢を正した。
たちまち緩んでいた空気が布をピンと張ったように引き締まる。
安永季は報告書を手早く捲り、次々に直近の出来事を伝えていった。
昨日は朱貴妃の父親が彼女を訪ねてきていたこと。その父親が王都に構えている店の羽振りが良いこと。
内侍省長官の
吏部が夜中に酒盛りをやって、人事考課書に酒をこぼして修復中とのこと。
後宮のことから宮中、王都や地方のことに至るまで、関玿は全てに耳を傾ける。
「朱貴妃の父親はよく訪ねてくるな。余程娘が大切と見える。店が上手くいっているのなら良いことだ。円仁は婚儀まで時間がかかったな。まあいい、奥方が喜びそうな品を贈ってやれ。吏部は全員ひと月の減俸と一週間の厠掃除。そして北衙は全員特別訓練だ。俺が直々に鍛えてやると伝えておけ」
全ての報告事項にざっと感想や指示を出していく。あとは適当な部省へと対処を振り分ければ報告も終わりだ。
「ああ、それと……以前報告しました後宮の失せ物の件ですが」
「それなら心配するな。既に手は打った」
安永季が目を丸くする。
「珍しい……陛下が後宮の件で自ら動くなどと……もしかして、後宮に行きたくなりました? 今夜行きます?
「……気が早いぞ」
「ええ、ええ。陛下の気が変わらないうちに押し切るつもりですから」
身も蓋もない。
「別に……そんなつもりじゃない」
「では、どのようなおつもりで?」
関玿は、楽しそうに口端をつり上げる。
「ちょっと、面白いものを見つけてな」
「へえ、興味を持たれるのは良いことですね。ちなみに、なんですか?」
関玿は、浮かんだ姿ににやつく口元を隠しながら「んー」と喉を鳴らす。
「強情な猫、かな」
安永季は、眉宇を曇らせ首を傾げていた。
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