第14話 見られてました
紅林が、水の中で拾いものをしてから数日。
北庭の池泉のほとりで、一人の女がしゃがみ込んでいた。
どうやら、草の根をかき分けたり、水の中を覗き込んだりと、焦ったように何かを探している様子。
「そこの
背後から忍び寄り、紅林は青い背中に声をかけた。
青い深衣の侍女は、「きゃっ」と小さな悲鳴を上げ、それこそ飛び上がらんばかりに驚いて振り返る。
「あ、あんた狐憑き!? ……って、なんであんたが!?」
侍女は背後にいた紅林の姿を確認すると、紅林が手にしていたものを見て瞠目した。みるみる顔が青ざめていく。紅林の手に握られていたのは、緑色の
「宋賢妃様の盗まれた歩揺って、コレですよね?」
「ち、違うわよ……ていうか、私は関係ないし?」
侍女の視線は泳ぎに泳いでおり、否定の言葉も空々しく聞こえてしまう。
「これを見つけた時、青色の深衣を纏った方が走り去っていくのを見ましてね……」
後宮に勤める者たちは、それぞれの身分に応じて身に纏う衣が変わる。
後宮の雑事担当の宮女は、織りも模様もない、簡素な綿の上衣と交領襦裙。
後宮運営の役職が与えられる女官は、同じ襦裙の裾に模様を入れることが許され、生地も紗などが許される。
そして、妃嬪に側仕えできる侍女には深衣が許されるのだ。
また四夫人の宮にはそれぞれ色が与えられており、侍女は皆その色の衣を纏うことになっている。
「青色は
侍女の目は今にもこぼれ落ちそうなくらいに見開かれ、足元の一点を見つめていた。その額には汗が滲みはじめているのだが、口は引き結ばれたままだ。
ふう、と紅林は鼻から薄い息を吐く。
「あなたでないのなら、私が落とし物として宋賢妃様に確認しに行きますね」
「っやめて!!」
歩揺片手に踵を返そうとした紅林に、飛びつくようにして侍女がしがみついた。鼻先を真っ赤にして今にも泣きそうな、必死の形相である。
「そ、それはあんたにあげるから……どうか、このことは宋賢妃様には黙っていて……っ」
「私にコレを渡したとして、また別のを盗む気ですか」
盗品を、しかも宋賢妃の物を手元に置いておくなど、絶対にろくなことにならないのは目に見えている。これ以上、彼女の覚えめでたくなどなりたくない。
「ねえ、お願い……っ、見逃してちょうだい……」
哀切に請う彼女の様子からするに、どうやら欲に任せた単なる窃盗ではないらしい。池で見つけた包みの中には、この歩揺一本しか入っていなかった。後宮では今、失せ物が頻発していると聞くが、恐らく彼女はこれが初めてなのだろう。
紅林の腕に巻き付いて涙目で震えている彼女を見れば、窃盗など向かない性格なのは分かる。
――ここで見逃すと、下手したら私にまで咎がおよぶ可能性があるけど……。
紅林は侍女をじっと見つめたあと、諦めたように深い溜息を吐いた。
乗りかかった船だ。
せめて、自分の夢見が悪くならない程度には面倒を見るべきだろう。
「小姐、この歩揺は今度の市で売るつもりだったのでしょう?」
半月に一度、後宮では商人がやってきて市が立つ。後宮に勤める者の数少ない楽しみのひとつだが、中には、商人に盗品を買ってもらい小遣い稼ぎをする者もいる。
パッと侍女の顔が上向いた。
目が「どうして知っているのか」と言っている。
紅林は呆れに肩をすくめた。
「小姐は分かりやすすぎるんですよ。それではすぐに宋賢妃様にもばれていたと思います」
先日、宋賢妃が歩揺が失くなったという話をしていた時、彼女だけ足先が忙しなく動いていた。宋賢妃達は気付かなかっただろうが、顔を伏せていた紅林の視界にはバッチリと映っていた。あれは、やましいことがある者の動きだ。
「それに、あまり商人を信用しすぎたら痛い目をみますよ」
「え、それはどういうこと……」
紅林は、侍女を腕から解くと歩揺を返し、自分は草花が生い茂る池のほとりへと入っていく。
「えっと、ここら辺りがちょうど良いかしら……
言いながら次々と草花をちぎっては、侍女に押しつけていく。
「え、え、え、なんなの突然!?」
「
「ちょっと待って、理解が追いつかないのよ!?」
「あと芍薬」
紅林は芍薬の花を――ではなく、茎を掴み根っこから引っこ抜いた。
これには侍女も口をあんぐりと開け、品格など微塵もない声を上げる。
「えええ!? あ、あんた今ズロズロって引っこ抜いて……!? さすがにそこいらの草花を摘むのとはわけが違うわよ!? 芍薬は怒られるって!」
「ズロズロって面白い表現ですね」
「言ってる場合!?」
驚愕している侍女をよそに、紅林は芍薬の根をブチブチとちぎっていく。
その姿にまた、侍女は目を白黒させていた。
「誰も来ない北庭の花がひと株なくなろうと、気付く人はいませんよ」
「蓮のように綺麗な顔して色々と大雑把ね、あんた」
手が土だらけになりながらちぎった根を、侍女に渡した。
「市の商人に売るのならコッチにしてください。全て薬草になる植物です。薬草は常に必要なものですから、結構いい値で買ってもらえますよ」
「な、なんで……」
侍女は腕の中にあるものと紅林とを、戸惑った視線で交互に見やった。
「理由は分かりませんが、お金が必要なんでしょう?」
侍女の口角が下がり、ぐっと息を呑んだのが分かった。
やはり何か事情があるようだが、こちらから聞くべきことでもない。言いたければ彼女から話すだろう。
「罪を犯して得たお金より、まっとうな手段で稼いだ方が気持ちよくありません?」
「……狐憑きのくせに、普通のこと言えるのね」
「コンコンとしか喋れないって思ってました?」
紅林が肩と一緒に片口を上げてみせれば、彼女の寄っていた眉間がふっと開く。
両手いっぱいに乗せられた草花を、ぎゅうと抱きしめる侍女。
ややあって、彼女の口が開く。
「……ねえ、あんたの名って何ていうの」
「紅林ですけど」
「本当はね……私も盗みなんてしたくなかったの……」
侍女は握りしめた
「――っありがとう、紅林。私は
宋賢妃から守るのは無理なのだな、と変に素直な徐瓔に、紅林は思わずぷっと小さく噴き出した。
「歩揺は、こっそりと宋賢妃様の衣装箪笥にしまっておくわ」
「それが良いと思います」
徐瓔は慌てることなく落ち着いた歩みで、青藍宮へと戻っていった。
徐瓔の背が見えなくなると、紅林は手にしたままの芍薬を見やった。
根はなくなったが、花は美しく咲いている。
「ちょうどいいわ。今日はこれを供花にしましょ」
「存外、お前は図太いな」
思いのほか近くで聞こえた、ふっと鼻で笑う音と重低音の声。
――――――――――――
※交領襦裙:襦裙(スカート)を腰の位置で締める(宮女、女官はこちら)
※斉胸襦裙:襦裙を胸の上で締める
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