第13話 男の正体

 チリ、と肌を焼くような緊張感が二人の間を満たしていく。

 どうやら不審人物と思われたようだ。

 さて、どうしたものか。


 素直に話すことは当然できない――死者を弔っていただけなどとは。

 まだ、関玿の後宮はできて日が浅い。当然、死者が出たなどと聞いたこともない。

 その中で死者を弔うなどと口にすれば、前王朝の後宮関係者だと勘ぐられる恐れがある。林王朝の後宮関係者に生き残りはいないと言われているのに、そのような者が現れれば徹底的に尋問され、身元を洗われることになる。

 そして、その先に待っている結果は『死』のみだ。


 ――そんなの駄目よ! 私は生き続けるべきなんだから。


 紅林は眉を下げ、視線を足元へと落とした。

 なるだけか弱く、悲しみに暮れた、ただの宮女に見えるように。


「それは……先日そこで亡くなっていた雛を弔う花です」

「雛だと?」


 こくり、と小さく頷く紅林。


「勝手に墓などとは思ったのですが、あのまま放って他の鳥の餌になるのも忍びなく、人目に付かぬ場所ならと……勝手をしてしまい申し訳ありません、衛兵様」


 信じてくれとばかりに、紅林は真っ直ぐに青年の赤い瞳を見つめた。

 それにしても、見れば見るほど不思議な瞳だ。

 赤色だというのに、青く澄んだ湖面を想起させる清涼さがある。木々に囲まれ薄暗いこの場にあっても、彼の瞳は水晶のように静かな輝きを放つ。


「では、この雛芥子ひなげしも単なる供花きょうかだったと。符牒ふちょうなどではなく」

「ふふ、面白いことを言われますね。後宮で誰が符牒などつかいましょうか」


 どうやら彼は、衛兵としての素質はずば抜けているようだ。

 草地に落ちている花ひとつでそこまで思考を巡らすとは。想像力逞しいというか、危機管理能力が高すぎるというか。

 青年は納得したのか、掴まれていた腕がようやく解放された。


「それで、お前は……」

「宮女の紅林と申します」

「紅林か。俺は衛兵の……永季えいきという」


 紅林は軽く膝を折り、伏し目がちに会釈した。


「その、疑って悪かった。それに、腕も……」

「え、ああ……」


 手首を強く握られていたせいで、解放されても皮膚の下にじんじんとした妙な感覚があった。紅林は無意識にその部分を手で撫でていたのだが、彼はめざとく気付いたらしい。


「すまない、女人の腕が細いということを忘れていた」


 引く手数多の看板を背負っていそうな顔貌をしておいて、まるで女を知らないとばかりの言い方ではないか。冗談が下手な男だ。


「お気になさらずに」


 紅林は落ちた雛芥子ひなげしを拾い、改めて雛の墓へと供える。


「……墓か」


 紅林が座って花に手を合わせていると、後ろで男がぽつりと言葉を漏らした。


「昔、俺のせいで亡くなった者たちがいてな……皆はもう忘れて前を向けと言うが……正直、俺は前への向き方が分からない……」


 独り言のような声の大きさだったが、人気がなく静かな北庭では互いの息づかいまでもハッキリと聞こえた。


「皆ができていることを俺だけがまだ引きずって……」


 後ろにいるため彼の顔は見えないが、おそらく自嘲しているのだろうと思う。それくらい投げやりな言い方だった。

 彼に何があったか知らない。先ほど知り合ったばかりなのだし、当然といえば当然だが。ただ特にこれ以上も知りたいとは思わない。皆色々なものを抱えているものだし、本人から話さない限り、不躾に他人が入っていい領分でもないと思う。


 ――私にだって入られたくない部分はあるもの。



「どうやったら忘れられるんだろうな」


 彼は衛兵だし、言い方からするに、きっと先の争乱で部下などを亡くしたのだろう。

 踏み込むつもりはない。


「忘れなくていいのではないですか」


 だから、これはただの気まぐれ。

 同じく、自分のせいで亡くなった人をもつ者としての、ただの安い共感。


「忘れないからこうして花を供えられるわけですし。史書だって、過去を知ることで、同じ過ちを繰り返さないようにするためにあるんです。忘れることが前を向くことではないと私は思います」


 背後で草を踏む音が聞こえた。


「弔いって、実は故人のためのものでなく、残された者のためだって知ってました? 葬供律書曰く、前を向くための儀式らしいです」

「弔い……」

「好きなだけ思い出して、こうして花でも供えたら良いと思いますよ」


 すると隣に気配を感じた。横目で窺えば、永季が大きな身体を紅林のように丸め、雛芥子へと視線を落としていた。


「……俺も、手を合わせていいか」


 紅林は眉を上げることで返事とした。

 若草色に映える真っ赤な雛芥子の花に向かって、二人は並んで手を合わせ、しばし穏やかな時間を過ごした。


「あ、衛兵様。どうか、このことは内密にしていただけませんか。雛とは言え、勝手に後宮に墓など、内侍省に知られたら怒られてしまいます」

「それは構わないが……名は先ほど伝えたと思うが、呼んではくれぬのかな」


 顔を横から覗き込まれるが、紅林は躱すようにして立ち上がった。


「私はただの宮女ですから。仕事相手以外の殿方と結んで良い縁などないのですよ」


 などと、分をわきまえた宮女のごとく格好付けて言いはしたが、本音は『勘弁してほしい』だ。ただでさえ皇帝が来ない、もぬけの後宮なのだ。はけ口のない欲望を身に抱えた女達は、皇帝以外の男――内侍官や見回りの衛兵を相手に、一時の恋を楽しもうと日々品定めをしているというのに。

 そんな中、見目の良い衛兵を名で呼んでいたとなれば、どのような感情を向けられるか。考えただけで面倒臭い。ただでさえ今でも狐憑きと、周囲には良く思われていないのに。


 ――目立たず、なるべく地味に。それが長生きの秘訣なのよ!



「衛兵様は、こちらへは見回りでしょうか?」

「あー……まあ、そうだ」


 歯切れが悪い返事だ。

 もしかすると、彼は見回りをさぼりに来ていたのかもしれない。

 妃嬪宮の周囲や、宮廷側と繋がる後宮門に近づくほど衛兵の数は多くなり、見回りの必要性も高くなる。反対に、妃嬪宮からは離れ、後宮のどん詰まりである北庭まで見回る必要性は低い。

 なるほど、さぼるにはうってつけの場所だ。


 先ほどの乱暴な行いも、慌てて取り繕った結果の尋問だったのかと思えば、紅林の口からは苦笑が漏れた。堅物そうに見えたが、案外人間味がある。


「……何がおかしい」

「いえ、確かにさぼるにはうってつけの場所だなと」

「見回りをしていただけだ。決してさぼってなどは……いや、その……」

「はい、存じておりますわ」


 さぼっていないと言いつつも言葉が怪しくなっていく永季に、紅林は首肯してみせた。が、その肩が揺れ続ければ、永季の顔もだんだと渋くなっていく。


「……俺は仕事に戻る。春とはいえまだ日は短い。あまりこんな所に長居しすぎるなよ」

「気をつけますわ」


 永季は、紅林の返事が言葉だけと分かった様子を見せたが、しかしそれ以上何も言わず、踵を返し戻っていった。

 長い足だと進みが良いのだろう、あっという間に背中も見えなくなってしまった。


「……ただの衛兵で良かったわ」


 紅林はほっと安堵に胸をなで下ろした。

 瞬間、ガサッと音がしたと同時に、視界の端で何か鮮やかな色が動いた。

 なんだと音がした池泉の方へ目を向ければ、青い深衣の女が急ぎ去って行く姿が見えた。


「あれは……青藍宮せいらんきゅうの侍女? 随分と慌ててるわね」


 北庭から近くもない青藍宮の侍女が、一人でこんなところで一体何をしていたのだろうか。まさか、掃除でもあるまい。

 紅林は、人差し指で頬を打ちながら、池泉のほとりへと向かってみた。


「彼女、こんな所になんの用だったのかしら」


 瞼を閉じ、走り去る侍女の姿を思い返す。


「袖は濡れてなかったけど……靴先は土で汚れてたのよね」


 紫や黄色の花を咲かせる草花をかき分け、紅林はどんどんと池の縁に近づいていく。そして、侍女が飛び出してきた場所らしきところで、顔を巡らせた。

 何も変わったところはない。花が手折られても、土が掘り返されたりもしていない。しかし、紅林は足元に広がる池の一点を眺め、そして、やにわに水の中へと手を突っ込んだ。


「手中は三流。土中は二流。一流は――」


 池の手前側にそこまでの深さはなく、すぐ底石とは違った感触が指に触れる。


「――水の中……ってね!」


 引き上げた紅林の手には、黒色の包みが握られていた。


「あらあらあらぁ?」


 図らずも、侍女一人の命を握ってしまったようだ。


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