第8話 後宮への招待状は突然に
おかげでどこへ行っても、特異な白い髪を持つ紅林は粗末な扱いを受けてきた。
生きるためには食い扶持を自ら稼ぐ必要があるのだが、これが中々に難しい。
手巾で髪を隠して裏方や雑用などで雇ってもらったり、物好きな者が雇ってくれたりしたのだが、結局は噂が広まり騒ぎになるとすぐに解雇されてしまう。
そうしてその街で働ける場所がなくなると、他の街へ移るという日々の繰り返しだった。
どこへ行っても、紅林には安心して暮らせる場所は手に入らなかった。
そして、一年前。
どうせどこにも居場所がないのなら、いっそのこと王都――かつて母と過ごした場所の近くにいたいと思い戻って来たのだ。
常々近寄らないようにと避けていたのだが、さすがに四年も経っていれば残党狩りもいなかった。
そうして今は、人と接する機会が少ない花楼の下女として働いている。
「私にあるのは今となっては役立たない後宮知識だけだし、こうして雇い続けてもらってるだけありがたいって思わなきゃ」
歓楽街に出入りする者の間では、狐憑きの娘がいると噂になってはいるのだが、王都全体で見れば取るに足らない程度であった。
王都という巨大都市である点と、人の流入出が多い点が、王都の片隅にある歓楽街のまた隅の一軒に勤める下女になど焦点を当てさせなかった。
今のところは少々居心地が悪いだけ。
ただ、もっと騒ぎ立てられれば追い出されるのも時間の問題だろう。
紅林は足元へと目をむけた。
落ち葉が一枚落ちている。
「王都で――母様の傍で生き続けるには目立たないようにしなきゃ」
箒を握り直し、紅林は掃除を再開させた。
◆
紅林は手にしていた白い花束を、王宮城壁の麓へと丁寧に供えた。
王宮正面にあたる南側は人通りが多いが、反対に位置する
「母様、今日はナズナですよ。綺麗でしょう?」
膝を折り、地面に置いた小さな花束に向かって手を合せる紅林。
まるで、その向こうに誰かいるかのように、彼女は声を潜めつつも楽しそうに話している。
「南門を出たすぐ近くで摘んできたんです。一面真っ白で何かなぁって行ってみたら全部ナズナで、すっごく幻想的だったんですよ。……母様にも見せてあげたかったなあ」
紅林が花を手向けた北壁のちょうど向こう側は、かつて母の宮があった場所だ。
ここに花を供え祈りを捧げることが、紅林の日課となっていた。
そして、これこそが王都へ戻ってきた最大の理由である。
林王朝が滅んだとき、王宮関係者を偲ぶ声は全く聞かれなかった。
当然、後宮と共になくなった女達を憐れむ声も。
それどころか国を転々とする中で、紅林は媛玉が民にどう思われていたのかを知って愕然としたものだ。
『皇帝を誑かし朝政を疎かにさせた悪女』――そう言われていたのだ。
確かに一番の寵愛を受けていたのは母である媛玉だ。しかし、媛玉は皇帝を慰めこそすれ決して誑かしなどしていない。それは傍にいた紅林が一番よく知っていた。
「むしろ母様は、いつも民のことを大切に思ってたっていうのに……っ」
纏う衣一枚にすら、民が懸命に働いてくれるから自分達はこうして身に纏えるのだと、感謝の念を絶やさなかった人だ。
だというのに、この国のどこにも母を哀悼する人はいなかった。
だったら自分だけでも母に花を手向けたかった。
心優しい母を近くで弔いたかった。
おそらく、林王朝に関係した者達の墓などない。
空を焼くほどの大火だったのだ。骨すら灰になって何も残ってはいまい。
「本当は、この壁の内側で……もっと近いところで弔いたいんだけどね」
かつて母の宮があった場所で。
目の前の白壁にそっと手を這わせ瞼を閉じる。
壁の内側で生まれ育った自分が今、壁の内側へ入ることは許されない。
この内側は、とうに他人のものになってしまったのだから。
冷帝『関玿』――彼は自ら馬を駆り兵を率いて残党狩りを行った。その残党には女子供も含まれ、後宮を焼いた血も涙もない皇帝との意味から民の間でひそやかにそう呼ばれている。
チリッと唇に痛みが走ったことで、紅林は自分が唇を噛んでいたことを知る。
痛みを誤魔化すため、舌先で唇を舐めたら錆びた味がした。
「……じゃあ母様、また明日ね」
紅林は、最後に淡い笑みを花束に向けその場を後にした。
「さて、早く帰んなきゃ。おつかいってことで出てるから、あまり時間を食うと今度はおつかいを禁止にされちゃう」
花楼への道を早足で駆けて行く。
楼主に頼まれた客用茶碗が入った懐を着物の上から片手で押さえ、飛び出ないようにしながらできるかぎり急いだ。
◆
紅林が花楼に戻ると、楼主が満面の笑みで出迎えてくれた。隣には同じ表情の女将が並んでいる。今まで見たことないような綺麗な笑みに、思わずビクッと身体を震わせてしまう紅林。二人の笑顔が薄気味悪く、紅林の足も一歩後退った。
一体何だというのか。
「た、頼まれました茶碗を買ってきました」
懐から茶碗を取り出し、楼主へと差し出す。
「おお、そうだったな。ご苦労」
楼主は、使いを頼んでいたことを忘れていたような素振りを見せつつも、手を伸ばした。
しかし、楼主が掴んだものは茶碗ではなく――。
「――っ!」
茶碗を持った紅林の手首だった。
ぞわりと怖気立つ。
「な、何か……!?」
早く茶碗を置いて去りたかったが、がっちりと掴まれていて引けどもびくともしない。チラと隣の女将に目を向ける紅林。
いつもであれば、楼主と近付くだけで不機嫌に眉を顰めるというのに、彼女はニヤニヤと気持ち悪い笑みを保っていた。
ここで紅林は、何かがおかしいと気付いた。
「あの……っ! 離して……離してください!」
反対の手を使って楼主の手を剥がそうとするも、彼の指はどんどんとキツくなるばかり。そうして紅林が痛みに持っていた茶碗を落としたとき、ようやく楼主が口を開いた。
「お前は後宮へと入ってもらう」
ガシャン、と何かが砕け散る音がした――身体の奥底で。
――――――
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