第7話 『狐憑き』のおとぎ話

 王都を脱出した後、紅玉は紅林と名を変え各地を転々とする生活を送ってきた。

 母が名付けた名を捨てるのは心苦しかったが、『林の血は絶やせ』と王都のみならず、遠く離れた僻村の民にすら声高に叫ばれる中では、林紅玉という名は捨てざるを得なかった。


 全てを失った上に名まで奪われるのかと虚しく思ったものだが、しかし紅林には母が与えてくれた命を粗末になどできなかった。

 死ねないのなら、やはり生き続けるしかない。


 幸いなことに、紅林が林紅玉だと気付く者はいなかった。

 皆、高い壁に囲まれた後宮で育った公主の顔など知らなかったのだ。

 おかげで残党狩りの目に留まることもなく、争乱で焼け出され家族を失った娘として生きてこられた。


 しかし、林紅玉だとバレはしなかったものの紅林には別の問題があり、それによって一所に留まることが許されなかった。


「――っおい、あの髪色。例の狐憑きじゃねえか」

「うわ、本当だ! 俺初めて見たよ」


 背後から向けられるヒソヒソとした男達の声に、紅林はハッとして脇道へと逃げ込んだ。箒を胸前でぎゅっと握りしめ、身を小さくして男達が遠くへ行くのを待つ。


「あーあ、お前の声が大きいから逃げちまったじゃねえかよ。せっかく顔を拝みたかったのに」

「悪ぃ悪ぃ。いやでもあれは驚くだろ。真っ白の髪なんて」

「ばあさま以外に見たことねーもんな!」

「ばあさまでもあそこまで白くはねぇさ」


 男達はそれ以上の興味はないのか、残念半分揶揄い半分といった調子の笑い声を上げながらどこかへと行ってしまった。

 男達の声だ充分に遠ざかれば箒を握り締めていた手からも力が抜け、紅林はほっと息をつく。


「これだからあまり外には出たくないんだけど……仕方ないわよね」


 紅林が一所に留まり続けられなかった理由――それは、すっかり本来の色を取り戻した白い髪にあった。

 翠月国の歴史から、白を纏う者は不吉の象徴といわれているが、それを歴史になぞらえて『狐憑き』と表すことがある。

 むしろ、その呼び方の方が浸透しているのかもしれない。





 はるか昔の翠月国にはさいという王朝があった。

 狐憑きという言葉は、崔王朝を滅ぼした一人の女にちなんでいる。

 女の名を『ばっ』といった。


 末喜は、時の皇帝崔さいこういんを討った時にその美貌から殺さず自分のものにした、李允氏の姫であった。

 末喜は艶めいた美貌だけでなく、不思議な髪と肌をしていた。

 月夜に照らされた薄雲のように淡く輝く白髪。

 本当に生きているのか、体温すら感じられぬ雪のように白い肌。

 不気味なほどに彼女は他者を魅了した。


 白い髪と白い肌。それがまたあやめいた色香を助長し、崔甲だけでなく多くの男は彼女の虜になっていった。

 崔甲が末喜と共に過ごす時間が増えるほどに、賢帝といわれた崔甲の偉業は見る間に凋落していった。奢侈隠逸にふけり、国政を疎かにし、末喜を悪く言う者があれば処刑し、周囲には末喜の気に入った者達を侍らせた。


 結果、国の悪政に耐えかねた地方豪族の商氏によって崔甲は断罪され、崔王朝は幕を閉じた。

 まさに、傾国。


 最後は崔甲を守る者など誰一人としておらず、斬首後焼かれ、あっけない幕切れだったと史書には記してある。

 ただこの時、末喜だけは最後まで誰も見つけられなかったという。

 その後、不思議な噂が民の間で真しやかに囁かれるようになる。


『末喜は妖狐だったのでは』と。


 見たこともない白い髪と白い肌。同じ人間とは思えぬほどの無慈悲さ。

 それは全て彼女が妖狐の化身だったからとされている。

 以降、白を身に持つ女は末喜の生まれ変わりである『狐憑き』と言われ、不幸をもたらす不吉な存在とされた。




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