第5話 林王朝の終焉2



 どのくらい、経ったのだろうか。

 意識を取り戻し辺りを確認するが、真っ暗で何も分からない。

 ただ、頭上からは何かが崩れ落ちるような轟音だけが聞こえていた。

 人の声はもう聞こえない。


「臭……っ」


 紅玉は鼻を腕で押さえた。どうやら煙が少しずつ漏れ入ってきているようだ。

 夢でなかったことに絶望が押し寄せる。


「逃げなきゃ……」


 しかしそれでも、紅玉は壁に手を当て暗闇を進み始めた。

 そこからどのように歩いたのか、どれくらい歩き続けたのか覚えていない。

 暗闇の中では一秒すらも永遠と思えた。

 息が切れ、足が棒になり始めた時、ようやく視界の先の方に光が見えた。

 疲れた身体と精神に鞭打ち、穴から這い上がる。どうやら、坑道は官営の貯水小屋に繋がっていたらしい。

 紅玉が這い出てきた場所は、封された空井戸だった。

 小屋の扉を恐る恐る開けて外へと出ると、ツンとした焦げた臭いが鼻を突いた。


「うっ……」


 思わず袖で鼻を覆った紅玉。

 辺りを窺えば、自分が立つ場所が王都の西壁の近くだと分かった。

 道は王都中心地と比べ、手で線を引いたかのようにぐねぐねとしているし、王都西部にある歓楽街の残骸があちらこちらで散らばっている。

 花楼や飲み屋はどこももぬけの殻だった。

 皆慌てて逃げ出したのだろう。水桶や草履の片っぽが道に落ちているし、先程までそこの飲み屋で酒を飲んでいたとばかりの徳利と杯も、割れて地面に転がっていた。

 そして、遙か向こうには王宮の西壁が見えていた。

日はまだ天高く輝いているというのに、そこだけは夕焼けのように鮮やかな茜色に染まっている。


「……どうして」

 何かが崩れ落ちる轟音が耳をつんざき、黒い灰をともなった風が遠慮なく身体にすさぶ。

 炎に包まれ崩れ落ちていく、昨日までは壮麗優美だった建造物群。

 いつもの姿を失った現実が、紅玉の視線の先にはあった。

 どうして自分一人だけが、この光景を外側から眺めているのだろうか。高い高い城壁の内側に、先程まで自分もいたというのに。

 次の瞬間、荒々しい風が紅玉の髪を巻き上げた。

 空に流れる髪は黒色。しかし、それはいずれ失われる黒色。

 彼方で業火を巻き上げる王宮を見て、もう髪を染めてくれる者も、抱きしめてくれる者もいない世界に、一人放り出されてしまったのだと気づいた。


「こんなの……嫌ぁ……っ」


 何もかも全て消えていく。

 この世で唯一、自分を愛してくれていた人さえも。


「――っ全部……失ったのね……私……っ」


 紅玉は、背後にそびえる王都を取り囲む城壁を見上げた。

 その上には『林』ではなく『関』の旗が翻っている。二度とあの場に『林』が翻ることはないのだろう。

 いや、翻ったとしてももう母は戻ってこない。

 後宮での幸福だった日々は戻ってこないのだ。


「やっぱり、私のせいかしら……ははっ……不吉の象徴って本当だったのね……」


 紅玉はよたよたと力ない足取りで西門を抜けた。

 後宮が焼ける光景など見ていたくなかった。

 幸か不幸か、争乱の最中ということもあって門に衛兵はおらず、紅玉は誰に見咎められることなく王都を抜け出せた。


「もう……この世に私を愛してくれる人はどこにも……」


 紅玉は涙に濡れた顔で自嘲した。


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