第4話 林王朝の終焉

「――紅玉っ、あなただけでも逃げなさい!」


 さし迫る炎の中、媛玉の手が紅玉を押し飛ばした。

 生まれて初めて母の手からもらう痛みに、紅玉は落ちた穴の底で目を見開いて驚いていた。

 紅玉が連れて来られたのは、後宮最奥の城壁の麓。

 そこで媛玉は突然、箸を持つのがやっとというような華奢な手で地面を堀りはじめたのだ。何をしているのかと思えば、地面の浅い所から板が現れ、それを外した下は隠し通路となっていた。

 母は板を片手で支え、穴の底から瞠目の眼差しで見上げてくる紅玉に向かって、城壁を指さした。


「奥へと進めば王宮の外へ出られるわ! 早く行きなさい!」

「それなら母様も!」

「わたくしは……っ」


 必死に穴の底から手を伸ばす紅玉に、泣き笑いの表情で媛玉は首を横に振った。


「誰かがここを隠さないと」

「嫌です――っ!!」


 絹を裂いたような紅玉の叫び声も、後宮になだれ込んできた者達の声に掻き消される。近付きつつある声を気にしたように、媛玉の顔が一瞬遠くへ向けられた。


「この反乱は、民の声に耳を傾けてこなかった陛下への報いなの。そして陛下への報いは、妃であるわたくしも受けなければならないものなの」

「違うっ! 母様は誰より優しくて、誰よりも民のことを大事に想って、報いなんて受けるはずが……母様に責任なんてないのに……っ」

「ありがとう……紅玉。でも、わたくしは過去に誓ったの。どんな時も最後まで一緒にいると」


 誰と誓ったものなのか、母の少女のような笑みで分かってしまった。


「そんなの……っ! あんな男との誓いなんか破ってよ!」

「生まれる場所を選べなかったあなたに責任はないわ。だから、あなただけでも生きて」

「嫌っ! 母様――っ!?」


 母の手にしていた板が、再び被せられようとしていた。


「やめて! それならせめて母様と一緒にいさせて!」

「ごめんなさい、白い髪に生んでしまって」


 陰りゆく母の姿。

 もはや手を伸ばす隙間すらない。次第に視界が暗闇に覆われる。


「紅玉」


 その言葉と、残された僅かな隙間から母のいつもの笑顔だけが見えたのを最後に、紅玉の世界は闇だけとなった。


「嫌……っい、や……ぁ…………っかあ、さ――」


 耳に残る、母のいつもと変わらない自分を呼ぶ柔らかな声。

 目に焼き付いた、母のいつもと変わらない慈愛の籠もった笑み。

 土を被せるような音のあと、遠くで「林の血は絶やせ」という声と、女のくぐもった悲鳴が聞こえた。


 生まれて初めて聞く彼女の声。

 紅林は、最後に焼き付けた声と姿を忘れないよう、耳を塞ぎ目を閉ざし暗闇の中でうずくまった。

 そのまま、夢であってくれと願いながら意識を手放した。



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