幕間

○○○、ウィプーラニア




※前章、第一幕「嘘つきたちの演奏会」のネタバレを含みます。











「ふんふ~~ん、ふふふふ~ん」


 日課にすると決めた森林浴のために近場の沢まで行った帰り、背丈の低い緑に彩られた石畳を、ルイスは鼻歌交じりに歩いていた。


 手には新調した楽器。自身の置かれた環境が変わるごとに行う儀式のようなもので、古いものは保管して時々手に取る。弾くと、そのころの記憶が音色となって蘇るような気がするのだ。


 ……最後に交換してからひさしいが、今こそ替え時で間違いないだろう。


 ――と。


「そこを動くな!」


 ウィプの声が聞こえたので、動きを止めた。


「な、なんだ?」


 狼狽うろたえながらも周囲を見渡すと、どうやらちょうど横切った家からウィプの声がする。


 普段は私物化した(といっても村に住んでいるのがウィプとミイシュだけだったので実質的には村の施設は二人が管理しているのだろう)図書館で寝泊まりをしていると聞いていたのだが――


 村を訪れて初日は大まかな施設と住居の紹介で終わり、詳しい話は後日ということで解散したので、おそらく後回しになったのだ。


 この家が本来のウィプの住処なのだろうかと、ルイスは興味を惹かれて見入った。


 やや横幅のある、二階建ての年季が入った家屋だ。木の骨組みが剥き出しになっていて、隙間を埋めるように漆喰しっくいの壁が立ちはだかる。全体的に小綺麗なまとまりを感じるのは、所々に見受けられる木細工の装飾のおかげだろう。


 特にこれといってめずらしい装飾はないし、他に見て回った家屋と比べれば〝村長〟が住む家としてふさわしいとは言えない。


 ただ、ルイス個人としては、ウィプが住んでいても納得に足るものがある。むしろ、こぢんまりとしていて、住みやすそうな良い家だと感じた。


 ――と、感慨に浸っている間も、目の前の家、それも一階の部屋からウィプの声が聞こえてくる。


 様子を探るべく、ルイスは背を伸ばして窓からのぞいてみようとして、


「…………」


 自分を見下ろすようにしてにらんでいるウィプがいたので、一瞬固まったが、


「ど、どうしたんだい? なにかあったのか?」


 訊ねると、


「うるさい! 帰れ!」


 窓から真っ赤に染めた顔を出して言うので、ルイスは困惑しながらも指示に従った。


 少し走ったところで、歩きに切り替えて、


「――大きな虫でも出たかな?」


 楽器の音色を確かめるように弾きながら、帰路についた。



 ※※※



「オウ、イエ~、フフンフンフ~ン」


 翌日も、森林浴を終えたルイスが楽器を掻き鳴らしながら歩いていると、


「何をしようとも無駄だ! 神妙にお縄につけ!」


 また、ウィプの声がしたので、ハッとしながら、声が上がった家の壁に張り付いた。


 部屋の中で物音が響いている。一人分の息切れする声が聞こえて、「はあっ!」という掛け声の直後、一際大きな物音が上がって静かになった。


 恐る恐る、ルイスは窓から室内の様子を確認する。が、カーテンが閉められてい

て、影しか見えなかった。


 人影が息を切らしながら立ち上がり、壁際にしゃがんだと思うと、何か人型の物体を起こして、


「フン、わたしを誰だと思っている。わたしは――」


 瞬間、ウィプが窓の方へ振り返った。


 咄嗟とっさに身を縮まらせたルイスだったが、頭上の物音を聞いて空を見上げる。


「…………」


「…………」


 ウィプと、目が合った。




「え?」


 目に涙を浮かべたランランが、ルイスの手を握っていた。


 何が起こったのか、いや、何が起きているのかがわからず、ルイスはランランと自分の手を交互に見つめる。


「あれ、お二人とも、どうしたんです」


 ちょうど通りがかったミイシュが足を止めて、変なものを見るような目を向けてきた。


「い、いや。わ……、私にも何がなんだかわからないが――」


 背後の家の窓は閉まっていた。室内の様子もカーテンで遮断されてわからない。


「この場所は、危険だ……! 逃げるぞ、ランラン!」


「え……?」


 ランランを連れて走り去っていくルイスを、ミイシュは見送って、


「うーん?」


 頬を掻きながら――ふと思い出す。


 そういえば、彼は去り際、背後の窓を気にしていたな、と。


「……ははあ。さては、のぞき見して〝消されてた〟かな? ――まさかね」


 クスリと笑って、数歩歩いたところで、


「…………。ウィプったら、帰ってきてから部屋に籠もりっぱなしで何やってるんだろ?」


 地面をにらみつけるようにして考えながら、その場を後にした。




 ※※※




 翌朝。

 

「気をつけろランラン。けして気を抜くなよ」


 コクコクと緊張感のある表情でうなずいて見せたランランに、自身も強くうなずき返して、ルイスは素早く行動を開始した。


 ウィプの家の壁に張り付き、用心深く聞き耳を立てる。後を追うように続いたランランが、木の枝で地面に四角形を描いた。横に方角を表す記号を添えて、四角形のやや左側奥に枝の先端で触れた。


 ランランが持つ人智を超えた聴覚をもって部屋の微細な物音を感知して、ウィプの居場所を詳細になぞり写す算段。


 ――だったのだが。


 二人はおもむろに顔を見合わせた。


 小首を振って見せたランランに、ルイスは視線を下げる。


 ……動きがない。連日のような物音もしない。


 事前にウィプが家にいることは確認済みだし、今だってランランは木の枝で彼女の現在位置を示している。


 ふと、ランランが木の枝を枠外に動かして一心不乱に何かを書き始めた。


 それは、線だった。


 縦線、横線、曲線。線という線が連なり、結果現れたのは文字だった。


 ――〝観測者〟〝記録者〟〝怪物学者〟〝選定者〟〝一望無垠〟〝筆舌〟。


 室内で起こった微細な衣服の擦れ方や筆を走らせる音、強弱の付け方、息遣い。様々な機微きびが発する〝音〟を歌鳥の特異体は聞き漏らさない。そして、どのような動きをすれば〝音〟を再現できるかさえ、ランランは理解していた。


〝観測者〟


 最後に、それを丸で囲ったきり、動きを止めた。


 再び二人が怪訝けげんな顔を見合わせた、その時だった。


「おーい! ウィプ! ウィプーラニア!」


 勇気ある一人の少年が、魔王の城に向かって走っていく姿を、二人は見た。




 ※※※



「ウィプ!」


 家主の名前を叫びながら、ミイシュは了承も取らずに家に転がり込んだ。


 あまりの勢いに落ちそうになった茶色のハンチング帽を手で押さえながら、ブラウンのコートを振り乱しながら、廊下を渡る。


 一目散に目的地に向かう彼の手には、書簡が握られていた。


 ドンドン、と扉を叩いて叫ぶ。


「ウィプ! いるんでしょ! 届いたよ、翼名授与よくめいじゅよの手続きが正式に終わったよ!」


 言って、応答を待った。


 慌ただしい物音がして、確かに何者かがそこにいることを知らせる。


 続いて、何か布を叩くような物音。付随する足音は小さいが、気配のようなものが、右から左へ、左から右へ、右往左往しているのが確認できた。


 ――扉が開いた。


「おはよ」


 ミイシュの挨拶に応じて、ウィプが顔を上げる。


「うわ」


 ボサボサとささくれ立った黒髪と、目の下にある真っ黒なくまを見て、ミイシュは思わず声を上げた。そうして、次々と異変に気付いていく。


 室内はひどい荒れようだった。乱雑に投げ捨てられた衣類の山。壁際で倒れた等身大の人形と、比較されるように隣に立つお洒落した人形。窓際に置かれた机の上と周辺には紙が散らばっていて、ブランケットが椅子から剥がれ落ちている。


「きみ、どうしたの……?」


 扉に引きずられる形で見えている煌びやかなドレスを救出しながら、ミイシュが訊ねた。


 白のシャツに黒のゆったりとしたパンツと、ラフな格好をしているウィプが赤茶の瞳を煌めかせて、


「ミイシュ。いや、ミイシュレク」


「は……、はい、そうです。僕はミイシュレクです」


「わたしの名前を呼んでみろ」


 しゃがれた老婆のような声で、問うた。


「はい?」


 ミイシュが訊ね返すと、ウィプはわざとらしい咳払いをした。続けて、ちらちらとミイシュの顔に物欲しげな視線を向ける。


 自分を見上げる期待の込められた眼差し。だが問いの意図が読み取れず、ミイシュは頭を悩ませた。


「――〝今日からわたしを指す呼び名に加わった呼称を言ってみろ〟と言っているのだよ!」


 やがて痺れを切らしたように、ウィプはカッと目を見開いて迫った。


 対してミイシュは「ああ」と短く応じると、


「〝翼名保持者〟〝国家公務員様〟〝上級国民〟〝成り上がり貴族〟」


「違う違う! そんなものではない!」


「〝国家の犬〟〝奴隷〟〝首輪付き〟えーっと、それから……」


 そこで、ミイシュはちらりとウィプを一瞥して、


「わたしは……、そんなんじゃ……」


 泣きそうな顔で肩を震わせていたので、大慌てで膝を折り、視線を合わせた。


「ごめん、ごめんよ。意地悪しすぎた」


 有り余る身長差を埋めたところで、


「フン!」


 ウィプの繰り出した頭突きがミイシュの鼻柱を強打する。


「ひどい……」


 鼻を押さえながらうめいたミイシュをよそに、ウィプは机の上に置いていた紙を手に取って戻ってきた。


「見ろ。わたしが考えた〝翼名候補一覧〟だ。ずいぶんと選別に時間がかかった」


「はあ……」


 赤くなった鼻を気遣いながら受け取って、ミイシュは、


「〝観測者〟〝記録者〟〝怪物学者〟〝選定者〟〝一望無垠〟〝筆舌〟……うわ、裏までびっしり。これでより分けた後なんだ……」


 宙に透かすようにしながら、羅列された名前に目を通した。


「ふん。わたしの超常的なセンスに剣聖共がついてこれるハズもないがな。それだけ書いていれば、どれか当てはまっているだろうな」


「この、丸印がつけてあるのは?」


「うむ。〝観測者〟は最有力候補だ。まさにわたしを象徴している」


「なるほどねえ……。で、予想が当たってたらどうなるの?」


「は?」


 ウィプが眉根を寄せて訊き返すので、


「え?」


 ミイシュも思わず訊き返した。


「…………」


「…………」


 沈黙と共に気まずい空気が流れて、


「――ええい! よこせ!」


 耐え切れず、ウィプはミイシュが持っていた書簡を奪い取った。


「あ、ちょっと! ずるいよ、一緒に見ようよ!」


 手早く開封して中身を取り出すウィプに慌てながら、ミイシュが背後に回り込んで、


「どれどれ?」


 書いてある内容に目を走らせた。


 そして、


「…………。ああ――。これは……」


 目を細めながら、ウィプから距離を置くように数歩離れると、耳を塞いだ。


「…………」


 ウィプが紙を折り畳んだ。


 それから中身が変わっていないかと、もう一度確認するように開いて、


「…………」


 肩を小刻みに震わせ始めた。


 短い黒髪が揺れて、赤茶色のまんまるな瞳が見開き、唇がわなわなと震える。


 おまけに頬がぷくっと膨らんだかと思うと、



「どうしてわたしの翼名が〝林檎姫〟なのだ!」



 リンゴのように顔を紅く染めて、叫んだ。



 ※※※



「…………」


「…………」


 一部始終を聞いていたルイスとランランが、互いを見つめながら瞬きした。


 やがて、


「行こうか」


 二人仲良く並んで、歩き出した。


 ――少し離れたところで。


 ルイスは楽器を構えると、おもむろに演奏を始める。


 暗いのに明るい、その不思議な曲を知っていたのか、ランランは愉快そうに目を細めると後ろ手を組んで、


「あ〜か〜い〜りん〜ご〜に――」









 幕間 林檎姫、ウィプーラニア

 了



――――――――


初見の方が興味を惹かれた作品を好きに読めるよう、ネタバレに配慮して各章の主要人物が別の章に出てくるような展開は控えようと考えています。


代わりに、章の間に〝幕間〟というものを挟んでいこうと思います。


幕間は前章の主要人物が出てきて、少し物語を動かしたり、動かさなかったり。次の章からは「それが当然」のような扱いになっていることもあるかもしれません。


幕間は余韻で書いているところがありますが、今回のように大事な転機が描写されるものもあるので、そういうところの区別はつけたほうがいいかな……と考える前に、書け。

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