第11話

「…………」

 理解できないものを目の当たりにしたように、ミイシュが後ずさる。

 ウィプの隣に戻って、それから、自分の目や耳を手でこすったり、触れたりして確かめた。

「ねえ――どういうこと?」

 それでも思わず疑問が漏れたのは、やはり、わけがわからないからだろう。

「…………」

 ウィプは答えない。ただ、今起きている事象に目を細めていた。

 それは、旋律だった。

 夜の静けさを乱すことのない、じつに繊細で厳かな、気品に溢れた音色。

 卓越した技術をもって世に響かせるのは――ルイスだった。

 声はない。音を発するのは、自らの手指で弾く楽器のみ。

 ――ふと、彼の傍に近寄る影があった。

 青白い月の光に照らされて、ルイスの口元にたたえた笑みが浮かび上がる。

 悲しさ交じりの音を最後に、彼は重たい息を吐くと、影に向かい合う。

「やあ、お嬢さん。――こんなところでお会いするとは、奇遇ですね」

 瞬間、ルイスは、

「う、おっ――」

 歌鳥の特異体から突進されてよろめいた。

 だが、彼女を離すことはない。笑みを浮かべたまま、抱擁ほうようした。

「…………」

「…………」

 一部始終を見守っていたウィプとミイシュが視線を交わす。

「どうする?」

 困惑顔で訊ねられて、ウィプは数秒の沈黙の後で口を開く。


「しかたない。殺すか」


 一切のよどみなく言うと、そのまま続ける。

「わたしたちは遊びで来たわけではない。依頼を受けてここに来た。それも〝この街の警備隊〟からだ。相手は平隊員ではなく、手配できる権限を持った人間なんだ」

「……それなりに偉い人だよね。引き受けておいて〝できませんでした〟じゃ通らないってこと?」

「ああ。それに、わたしは翼名授与を控えた身だ。今更反故ほごにはならないだろうが……。どのみち名誉に傷がつく」

「……殺すっていうのは?」

「無論、そのままの意味だ。〝消しても戻るなら物理的に殺すしかない〟」

「わあ、怖いこと言うね。それで、遺体は引き渡すの?」

「わたしは学者で、相手は貴重な特異体だぞ。まずはその体の神秘を暴く。引き渡すのは後からでもいい」

「でも、証拠もなしに報告しても、信じてもらえないんじゃない?」

「そうだな。だから――」

 ウィプが、ミイシュの持っていたナイフを、奪った。

「体の一部だけ渡して、ひとまず納得してもらう」

 ……二人は、歩き出した。

「ルイスさんは?」

「必要ない。おまえに任せる」

 ……今もなお、抱擁している男女に向かって。

「僕ら、いつかばちが当たるね」

「……これだから、バカは」

 ウィプが、ポーチからナイフを引き抜いた。

「知ってるだろう。わたしの魔法は使んだよ」



 ※※※



「それで――その、歌鳥の特異体はどうされたのですか?」

 閉ざされた薄暗い部屋の中で、ウィプの報告を聞いていた男が振り返った。

 歳は二十歳を越えて半ばに差し掛かるか。黒の制帽に黒の制服。胸元の徽章えりしょうと共に、横に流した茶髪が揺れる。清潔感のある風体で整った顔立ちをしているが、取ってつけたような笑みを浮かべていた。

「うむ。これがそうだ」

 男が、差し出された紺色の髪の束に手袋越しに触れる。

 横のテーブルに置かれた魔石のランタンに照らされると、それは不思議な色彩をせた。恍惚こうこつの息を吐いて見惚みとれる男に、ウィプが話しかける。

「どうだ?」

「――ええ、じつに、すばらしいです」

 にこやかな笑みを浮かべて髪を受け取った男が、ふと思い出したように訊ねる。

「で、肝心の本体は? まさか、髪の毛だけではないでしょう?」

「髪の毛だけだが?」

「は――?」

「本体は我々が持ち帰る。怪物学者としてはこれ以上ない標本だ。隅々まで調べて後世に記録として残す責務がある。――何か、不満でも?」

 男の目元が痙攣けいれんするように揺れた。

「髪の毛だけで、依頼解決の証拠に足るとでも? 依頼書には対象の生死は問わないが遺体は届けるよう記載したはず」

「ならば、写真をやる」

「…………」

「しばらく待てば、わたしは怪物の記録を著した本を発行する。そこに歌鳥の特異体について記した事柄もあるはずだ。写真付きでな」

 呆気あっけにとられ、口を開けたまま放心している男の顔からは、笑みが消えていた。

 数秒経って、男は手中に収まった髪の毛を見つめる。

 それから、

「まあ、しかたない」

 顔を上げて、ぱっ、とはなやぐような笑みを見せた。

「ご苦労様でした。此度のご協力、感謝します。ウィプーラニア殿。それから、ミイシュレク殿も。これからのご活躍、楽しみにしていますよ」

 ウィンクしてみせた男に、二人は、

「うむ」

「ありがとうございます」

 軽い礼を述べて、部屋を後にしようとして、

「――ちなみに、今、遺体はどこに?」

 背後から掛かった言葉に、振り返った。

「なぜそんなことを?」

「いや、なに。こんな辺境の地までご足労頂いたのに、高名な学者様に遺体を引きずって帰らせるというのは心苦しい。お二人さえよければ、人手を貸しましょう」

「……ふむ」

 逡巡するように瞳を伏せて、ウィプは、

「いいだろう。人手に加えて、荷車と布を用意しろ。大きさは、そうだな……。人が横になれるくらいの幅だ。それから――数日分の食料を、五人分」

 要望を聞いて、男はきょとんとしていたが、

「キサマも、見送りくらいはするだろう? ついてこい」

 追随ついずいした言葉を聞いて、

「了解しました。すぐに用意します」

 さわやかな笑顔で、快諾した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る