第10話

「……ん?」

 気の抜けた声を発して、ルイスは掲げていた左手を下ろした。

「……は?」

「どうかしたか?」

 激しく狼狽えていたところに声を投げかけられて、ルイスは顔を上げる。

 言葉が出ない、とばかりに口を開けて放心する男を見て、ウィプは目を細めた。

「……ふむ。その反応からして、わたしは魔法を発揮したようだな」

「あの。ウィプ? 前が見えないのだけど」

 顔を――両目を、手のひらで覆い隠されていたミイシュが心細そうに言うので、ウィプは無言で目隠しを外してやった。

「……何を、した?」

 沈痛な面持ちで訊ねたルイスに、ウィプは、

「わたしは〝特定の何かを消す魔法〟を使えるんだ。そしておそらく――今、それを使った」

「……からかっているのかな」

「そう思うか? キサマの中にある違和感が、すべてではないか?」 

 問われて、ルイスは自問する。

 やがて激しく動揺したようにひたいを手で覆うと、

「困る。戻してほしい」

 率直に、懇願こんがんした。

「まあ待て。この魔法の特質の一つとして、消失した対象が人々の記憶から消える点が挙げられる。何が言いたいかというと、わたしは何を消したか覚えていない」

「……もとに、戻せないのかい?」

「確実にとは言えないが、戻す方法はある。……が、戻したくない」

「どうして?」

「〝時間切れだ。殺すつもりはなかったが、失礼する〟――キサマが言ったことだろう。キサマは殺意を持って、わたしたちに攻撃を仕掛けた。だから、わたしは〝何か〟を咄嗟とっさに消したんだ。正当防衛というやつだよ」

「……謝れば許してくれるかい?」

「ふむ」

 逡巡しゅんじゅんするように視線を下げたウィプが、再びルイスを見上げて、

「信用できないから許せない」

 つとめて冷静に判断を下した。

「だがまあ、戻す方法があるとだけは言っておく。勝手に戻せばいい。また攻撃を仕掛けたら、今度はキサマごと消すだろうがな」

「――ふざけないでくれ!」

 狼狽ろうばいしていたルイスが、ついに耐えきれなくなって怒号を放った。

 それまでどこか柔和な雰囲気をまとっていた男が見せる激情に、ウィプは一瞬怯んで、

「ふ、ふざけてなどいるものかっ! もとはといえば、キサマがわたしを刺激したんだろう。こちらは相応の対応を取らざるを得ない状況だった!」

「刺激したのはそちらのほうだ! 怪物学者がコソコソとぎまわっていたからだろう!」

「わたしたちを招聘しょうへいしたのは、警備隊だ! キサマが後先考えず暴れたのが悪い!」

「――私はっ!」

 悲痛な表情を浮かべて、ルイスは固まった。

 やがて、胸に当てて主張していた両手が力なく落下する。振り子のように揺れて、それでも握ったナイフがきらめく。

「…………。私は、ただ――」

 脱力した体で、隣を、虚空を、一瞥いちべつする。

「生きていた、だけだ。……私達は、ただ、生きていただけだ。〝暴れたとはなんのことだ〟?」

「…………」

「どうして、私達が追われなければならない? なぜ、賊に、警備隊に、怪物学者に、付きまとわれなければならない? 〝不快〟だからか? 〝めずらしい〟からか? ……私達の安住の地はどこにある?」

 そんな、悲嘆にくれる様子を見て、ミイシュは眉を寄せる。

「――ねえ、なんだかかわいそうだよ。許してあげたら?」

「…………」

「ねえ、聞いてる? おーい?」

 ちらりと、ウィプがうっとうしそうにミイシュを横目で見た。

 それからため息を吐いて、

「バカはだまれ」

「……あのねえ。いつも言ってるでしょう。独りで考えていないで、言語化して、僕と共有して。きっと助けになるから」

 ぐい、と顔を近寄せてミイシュが迫るので、思わずウィプは後ずさる。

 顔を背け、考え込むような沈黙の後で、

「〝それ〟を戻さないようにしながら、戻してよいかどうかを思考するので忙しいんだ」

 渋々、頭の中を説明した。

「はあー、器用だねえ。ちなみにいま、どっち寄り?」

「……ちょうど中間だ。戻さないでおく理由の方が弱い」

「なら、戻してあげたら?」

「わたしが魔法の使用に踏み切った理由を考えると、相手は飛び道具を持っている可能性が強い。考えなしに戻すとそのまま殺される可能性がある」

「じゃあ頼んでみよう」

「は?」

 不意を突かれたウィプを差し置いて、ミイシュが息を吸い込んだ。

「ルイスさん。消えた人を戻す手助けをする代わりに、僕らに危害を加えないでほしいんです」

「…………。いいだろう」

 あっさりとルイスは答えたが、その声色はどこか胡乱うろんで、表情も影が差している。

「ありがとうございます。では――」

「あ――おいっ!」

 ウィプの制止する声を背に受けながら、ミイシュは動く。

 ズカズカと、〝なぜか〟倒れている警備隊員を越えて一直線にルイスのもとまで歩くと、

「約束ですよ。――僕らを信じてください」

 ルイスの、刃物を握っていないほうの手を取って、握手した。

「…………」

「…………」

 眉間にしわを寄せるウィプの視界に映るのは、ミイシュの後ろ姿と、こちらを見つめているルイス。――ちょうど目が合った。

 背筋に緊張が走るウィプの期待を裏切るように、彼は――ルイスは、

「ふふ」

 どこか自嘲気味な薄い笑みを浮かべて、ミイシュが握った手を、ほどいた。

 そうして、ナイフを、

「え?」

 くるり、一回転させて、柄の方を向けて差し出した。

「あげよう。どうやら私達にはもう、必要ない」

 続けて、ベルトの内側に隠していたポーチを手に取り、同じように差し出す。

「……あれ? ん?」

 ひとまず受け取ったナイフをポーチにしまいながら、ミイシュが不思議そうに小首を傾げていると、

「ウィプどの」

 ルイスが、自分をにらんでいた少女に声を掛けた。

「私を信用したくなければ、しなくていい。私はもう、君達を騙すつもりもなければ、危害を加えるつもりもない」

「……そうか」

「信用しろとも言わない。口から出た言葉というのは、あまりにも信頼性に欠けているからね」

「そうか」

「だから、協力を申し出てくれたミイシュくんには誠に申し訳ないが、ウィプどのが言った通り――勝手に戻すことにする」

 言って、反応を待たず、ルイスは空いた両手を見つめ、夜空に掲げた。

 しばしの間、そうやって妖しい光を全身に浴びて、夜の冷たい空気で体内を満たす。

「……戻し方は、教えていないが?」

 ウィプの、微かに心配の混じった声を聞いて、

「問題ない。私には吟遊ぎんゆうの心得がある」

 不敵な笑みを浮かべながら、肩に掛けた楽器を手早く構えた。

「さて――興じよう」

 瞳を伏せ――男は揚々ようようと、音をかなでる。

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