第8話

「次の細道を曲がれ」

 ウィプが指示を飛ばして、先行するルイスとランランが従う。

 ……どれほど歩いただろうか。

 たどり着いたのは、せまい路地裏だった。

 とうに夜がちている。表通りであれば、民家の玄関を仄暗ほのぐらく照らす魔石ませき幾分いくぶんか頼りになるだろうが、ここでは外灯の間隔かんかくは広く、月光の灯りさえ心もとない。

 やがて、ルイスが歩みを止めた。

「どうした。まだ宿には着かないぞ」

 むちを打つようなウィプの声に、

「……まだ〝何者か〟はついてきているかな?」

 ルイスは、振り向かずに訊ねた。

 ミイシュが心配そうに横目を向ける中、ウィプは、

「ああ。どうやら、そのようだ」

 少し時間を空けて、しかし、周囲を確認せずに答えた。

「……そうなんだね」

 暗く重い声で応じたルイスが、再び動き出す。

 先刻から、ミイシュは暇さえあれば〝その一点〟を観察していた。

 それは謎を解く鍵だったから。

 それを軸にして洞察どうさつすればするほど、明瞭めいりょうに浮かび上がるものがあったから。

 ウィプの思考が、わかるような気がしていたから。


 だから、ルイスの指が、繋いでいるランランの手のこうを三度叩いたのを、見逃さなかった。



 音。



 世界にひびいたものを形容するならば、それだった。

 絶叫ではない。

 喜怒哀楽を表したものでも、ないだろう。

 何か金属をいたような無機質な音でも、自然がもたらした安らぎの音でもない。

 悪意でもなければ、祝福の音ともまた違う……。

 ただ、純粋で、綺麗で、直向きで、無情で、おぞましく、うつくしい――幾重いくえにも重なった糸を極限まで薄く束ねた、音の線。


 余韻よいんからだっするように、ミイシュが我に返る。

 何か恐ろしい超常に見舞われたような倦怠感けんたいかんが体をおそう。全身から汗がき出していた。手が、足が、震えていた。歯を食いしばりながら、グッと腹の底に力を籠めると、震えは止まった。

 時間の経過は感じられない。世界は何も動いていない。

 ただ一点。ルイスとランランが目の前から消えていることをのぞいては。

「あれ――?」

 反射的に、ミイシュは隣を見やった。

「…………」

 自分と同じだろう。カタチのない、強い衝撃に襲われたように立ち尽くしているウィプがそこにいた。

 ちょうど、かぶりを振って意識をより明瞭にしているところだった。

?」

 ミイシュの問いに、ウィプは震えながらもけわしい表情で答える。

?」

「あ、そっか」

「まずいな。逃げられたぞ」

 気の抜けた声を発するミイシュを気に留めず、ウィプはせわしなく辺りを見渡して、

「いたぞ!」

 後方、自分達がやってきた道の奥。表通りに駆けていく人影を寸前で指差した。

「――ウィプ、ずっと言ってた、追っ手のことだけど……」

 走りながら、ミイシュが訊ねた。

「なんだ、走ってるときに話しかけるな」

 やや後方からかすれた息の混ざった声が聞こえて、ミイシュはすぐに足を切り返す。

 優しく、しかし急いでウィプを抱きかかえると、遅れを取り戻すように再び走り出した。

「話しかけていい?」

「……ああ」

「追っ手なんて、いないよね? どうしてあんな嘘を?」

「いや。確かにいたぞ。〝店を出た時からヤツらのことをつけている人間〟がな」

 息を整えながら、ウィプはふくみを持たせるような口調で言った。

「うーん? ――あっ!?」

 一瞬遅れて、ミイシュが理解する。

「ああ、そういうこと。〝ぼくら〟ってことだよね?」

「〝気付いた素振りを見せて姿を消されるよりは、このまま認識できる状態のほうがいい〟。だろう? だが、勘付かんづかれたな」

「……姿を消される前に、見つけなきゃ」

 言って、ミイシュはぎゅっとくちびるを閉じた。人影が消えたほうをにらみ、加速する。

「ところで――気付いているか?」

 腕の中で語り掛けてくるウィプに、ミイシュは言葉ではなく視線をやる。

 一瞬ではあったが、その眼光がするどいものであったことから、ウィプは「うむ」と鼻を鳴らした。

「念のために言っておくぞ。ルイスに注意しろ。ヤツは目が――」

 刹那、それは再び世界にこだまする。

 反射的に、ミイシュはウィプをかばうように上半身をかぶせた。

 足を止めて耐えなければならないほどの衝撃。脳内が更地さらちになる。

 先刻せんこく聞こえたものが依然いぜんとして耳鳴りとなって残留ざんりゅうしていたおかげか、発生源から距離が離れていたからか。二人は意識までは手放さずに済んだ。

 しかしミイシュが目を開いたとき、過去数秒間の記憶が消えていた。いや、頭が更地になった影響で思考ができないために、思い出せないといったほうが正しい。

 ……体が硬直していなければ、腕の中にあるものを落としていただろう。

「――あれ?」

 しばらく、呆然ぼうぜんとして腕の中にいるウィプを見つめていたミイシュだったが、

「コラ、しっかりしろ!」

 突然の叱咤しったと、側頭部を叩きつけるような頭突きを胸に受けた衝撃で、理性が追いつかぬままに体を動かした。

「えーっと……。わからない。どうすればいい?」

 動揺を口にしながら、ミイシュは走る。ウィプを抱えて。

「そのまま、まっすぐだ。表通りに出ろ。おそらく、巡回している警備隊員とルイス、ランランが接触しているはずだ」

「わかった。……さっきから頭がハッキリしないんだ。どうにかならないかな」

「問題ない、おまえはわたしの頭突きを食らって、すぐに走った。どうすればいいか、体が覚えているんだ。頭のほうも、じきに整理がつくだろう」

「うん……。ところで、どうしてウィプは無事なの?」

「知らん。わたしも思いついたことを片っ端から口に出しているだけだ」

「そっか」

「だが……、やはり〝あの音〟は厄介だな」

「だから耳栓を用意していこうって言ったじゃないか」

「〝歌姫〟と会いにいくのに耳栓なんて用意するやつがあるか。……それに、耳栓でアレを防げる確証もない」

「まあ、確かに」

「……だったんだがな」

「え?」

「なんでもない。それより、出るぞ」

 月明りに照らされた表通りが近づく。

 ――勢いよく、ミイシュは飛び出した。

 そして、見た。

 地面に倒れ伏す、数名の人間を。

 その中央で手を繋いだまま立ち尽くす、二人の男女を。

 民家に吊るされた魔石の光が、ルイスのにぎる刃物を紫紺しこんに照らす。

 降りそそぐ月明りを浴びたランランの長髪が、玉虫色たまむしいろの輝きをびていた。

 一組の無感情な双眸そうぼうが、ウィプとミイシュを待ち構えていた。

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