第5話
「その日、私は森の中を歩いていたんだ。樹々に囲まれて、導かれるがままに。途中、立ち入り禁止の看板と
「……つまり危険を
「物は言いようだね、ウィプどの。
「どっちがだ」
「さておき、一夜が明けた。私は切り株に腰掛けて旋律を奏でた。起床後のルーティンのようなものでね。すると、どうしたことだろう。どこからかきれいな歌声が聞こえてきた」
「ふむ」
「私は走った。そのうち視界が開けて、沢に出た。そこに、ランランがいたんだ。一瞬で心を奪われたよ。楽器を奏でてみせると、彼女も歌って返してくれた。私たちは意気投合した。彼女は身よりがなく、いつ死ぬかわからない旅をしているそうで。私も同じだったから、共に旅をすることにしたんだ」
「ランランという名前は?」
「私がつけた芸名のようなものだ。本名は明かしたくない。理解してくれ」
言って、ルイスはウィプの反応をうかがうように黙った。
視線で
「……終わりか?」
「ああ。面白味に欠ける話ですまないね」
「まったくだな。想定していた以上につまらん話だった。……まあいいだろう」
「……ウィプ?」
突如、ミイシュが暗い表情で相方の名前を呼んだ。
「なんだ、いま取り込み中だ」
「――いや。いやいや。ごまかさないで。僕のほうに焼き魚を寄せないでよ」
手元に視線を落として、ミイシュが言った。
見れば、ウィプが左手の甲を使って、焼き魚が乗った皿を押し退けている。ミイシュの拳が拒否するように立ちふさがっていた。
「変な絡みはよせ。人前だぞ」
「デニッシュだけじゃなく、魚も食べなよ」
「断る。わたしは魚がきらいなのだ。生臭いからな」
「だって、焼いてるんだよ? さっきだってデザートのパンケーキだけ食べてあとは残してたでしょう」
「ええい、うるさい。わたしは小食なんだ。それに、わたしは〝気に入らないものを消せる魔法〟を使えるんだぞ」
「それは、毎度のこと僕が食べているだけだよね。きみが深刻そうな顔で料理を
「ああ、もう! まったくもって、うるさいやつだな!」
「うるさいってなにさ!」
――と、二人の間にナイフが割り込んだ。
切っ先を視線で追うと、ランランが何かを期待するような
「……なんだ? わたしたちに喧嘩をするなというのか?」
困惑するように目を細めてウィプが訊ねると、ランランは首を横に振って、右手に持ったナイフで再三、行儀悪く焼き魚を指し示した。
「……ほしいのか?」
ウィプが訊ねると、ランランは
ならば、と、ウィプは焼き魚を対岸へ渡した。
刹那。
ランランがナイフで焼き魚の兜を串刺しにした。
ひょい、と宙に魚を放り上げて、その小柄な
「…………」「…………」
唐突過ぎて、目の前で何が起こったのか理解が追いつかないウィプとミイシュが無言でランランを見つめる。
好奇の視線を受け止めるランランが、じつにおいしそうに焼き魚を頬張る。骨ごとむしゃむしゃぺろり、ごくんと飲み込んで、ふう、と幸せそうに息を吐いた。
「なんだ……? こいつは……?」
思わずウィプが動揺の声を発した。
対するランランは、はて、なにかおかしなことをしたのかな、と言わんばかりに目を瞬かせると、まあいいや、と気にも留めない様子で隣のルイスからも焼き魚を奪う。
数秒前と同じ要領で焼き魚をナイフで打ち上げ、ぺろり、むしゃむしゃごくんとたいらげる。そこには小骨すら残らない。
次に、彼女はルイスのかばんから布袋を取り出した。
どうやらルイス一向の旅路が困窮していることは嘘ではないようで、自身にあてがわれたパンと、ルイスの前に並んだパンを手早く詰めていく。
詰めて、詰めて、そうして――ウィプと視線が合った。
「……む」
物欲しげに瞳を輝かせるランランに、ウィプがひるむ。
ウィプがバスケットに積もったパンと彼女の顔を見比べて、
「…………。いいぞ」
やがて根負けしたように、そして少しだけ興味ありげに、自分のパンを差し出した。
ランランの表情が、ぱあっと華やいだ。
ウィプの気が変わらぬうちに、やはりパンを袋に入れていく。
詰め終えた彼女の視界に、あらたなパンの群生地が現れた。
「僕のも、あげるよ」
ミイシュがパンを差し出すと、ランランは、ありがたくそれを受け取った。
「
ミイシュが、つまみ食いするように長細いパンを一口で頬張るランランを見てつぶやくと、
「そうだな。……〝人並みより〟強靭な内臓をしている」
ウィプが、目を細めながら同意した。
さて、先ほどから黙りこくっている吟遊詩人のほうは何をしているのかとウィプが見てみれば、
「ふんふーん、ふふふーん」
ボロロン、ボロロン。鼻歌交じりに弦楽器を弾いていた。弾くだけだというのに音は汚い。
――むしろ、これだけ汚い音が、人に出せるのだろうか?
そう疑問に思うほどの不快な旋律を掻き鳴らしていた。
「おい」
「ふふーん、ふんふーん」
「おい、キサマだ。ルイス」
ウィプに名前を呼ばれて、ようやくルイスは楽器を弾く手を止めた。
「失敬。話題が尽きたかと思ってね。旋律を奏でることで貢献させてもらっていたよ」
「こちらはキサマがあまりに静かなので、何か悲しいことがあったのかと心配になっていたところだ」
「心配無用。わたしに悲しいことなどあるわけがないさ」
「なぜだね」
「〝気楽に生きること度合いなし〟――〝喜怒哀楽〟なんてちょっと弄ればこんなもの」
「言葉遊びに精を出す前に、楽器の扱いを心得たほうがいいのではないかね」
「私は吟遊詩人。詩を
「吟ずるのはキサマではなくランランだろう。……さておき、ルイス。キサマは食べなくていいのか?」
「ん? ――ああ、なるほど。いや、私はいいんだよ。寝る前にゆっくり食べるのが私流でね。空腹は最高のスパイスというだろう?」
自分にあてがわれた一切手付かずの料理を前にして、ルイスはボロロン、と音を鳴らした。
すると、横から手が伸びて、残っていた彼の料理はすべてランランに奪われた。
無言でぺろりと食べ終えたランランに動じず、ウィプはその様子を横目で観察する。瞳を伏せて、「そうか」と納得して、
「今日、泊まる宿はあるのかね?」
訊ねて、
「我々は風来坊。この町に寄ったのは食事をするためさ。このひと時が終わり次第、町を出て、適当な丘の上で眠るつもりだ」
ルイスが答えた。
自身が述べた情景に思いを馳せているのか、彼は惚けたような表情で続ける。
「芝生のベッドに星空の天井。夜風を浴び、親しい者と身体を寄せ合いながら食事する。中々に
「……ふむ」
ウィプが軽くうなずいて、
「喜べ。今宵は連れが、キサマらのぶんまで、宿代を負担してくれるらしい」
ミイシュには話を一切通さず、独断で話を進めた。
「えっ――」
呆気にとられたミイシュが、何か言おうとする前に、
「なに、それは本当かい!?」
ガタン、と、テーブルに身を乗り出してルイスが歓喜した。
「いや、ありがたいよ。じつは最近ロクに眠れていなくてね。私はまだ耐えることはできるが、ランランに同じ想いをさせていると思うと心苦しかったんだ。ああ、今夜は暖かいベッドの中で眠ることができるぞ、よかったなランラン!」
口を開けたまま硬直していたミイシュの顎を、ウィプが押し上げて閉じてやる。
「…………」
ランランの嬉しそうな顔を見て異を唱える気力を削がれたのか、ミイシュが息を吐いた。
自身に言い聞かせるように
「まあ……。お金に余裕はあるし。大丈夫か」
渋々了承した次の瞬間、
「――――」
「…………」
それは紛れもなく目の前の少女、ランランから発せられていた。
歌詞こそないが、かつて聴いたことがないほどに完成した唄だった。
記憶の中にあるどんな音よりも美しく、そして尊い。
ランランの唇が揺れるたび、卓越した歌声が辺りに響き渡る。
幾千、幾万の語彙がミイシュの脳を駆け巡るが、どれもパッとしない。
ランランの歌声を表現するにはどんな言葉を並べようが届かない。結果、ミイシュの口は開いたまま塞がらない。
……先ほどまでの淀んだ歌声は演技だったのか?
否。
彼女が今現在、発している美声こそが本物。
――もしかしたら、彼女ほどのすばらしい技術を持った実力者ならば、意図的にあのような歌声を発することができるのかもしれない。
そう信じて疑えぬほどに――
「うつくしい……」
自身の足りぬ語彙から、一番相応しいと選出された言葉を口にしたミイシュが、己の教養不足を恥じた。
ス――と、ランランが歌うのをやめて口を閉じる。
気付けばミイシュは、両手を叩いて拍手を贈っていた。
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