第4話
「いやあ、すまないねえ。夕飯をご一緒させていただいて。恩に着るよ、お二人とも」
羽帽子をかぶった男が、弦楽器を膝の上に乗せながら上機嫌そうに話す。
「かまわん。キサマらにはキサマらで、別に請求したいものがあるからな」
リンゴのデニッシュを乱暴にかじって、ウィプが言った。
「なんだろう? ――もしかして、一曲お望みかい?」
男が弦楽器を構えて、隣の少女もタイミングをうかがうように口を開く。
「違う。騒音被害によって食事を邪魔された精神的苦痛を
ウィプから冷えた視線を向けられた男が「なんだ、違うのか」と残念そうにつぶやいて、楽器を下げた。少女も、しょんぼりと肩を落とした。
大きく予想と期待を裏切られたからか、男がため息をついて、
「精神的苦痛だなんて、ひどいおねえさんだ。すばらしい演奏だったろう。現に、私たちの演奏を聴いて、店主は惜しみない賛辞を贈ってくれた」
「見ていなかったのか。男が、演奏の中止を求めて殴りこんできていただろう」
「うーむ」
なんのことだかさっぱりわからない、という顔で、男が思案するように髭を弄って、
「なんのことだかさっぱりわからない」
やはり口に出して、後頭部を掻いた。
「気が付かなかったのか?」
ウィプの問いに、
「演奏に集中していたのでね。終えた後で、お二人に話を聞いて〝そういうことがあった〟と知ったんだ。当然、何やら騒がしいことが起きているなとは思った。が、食事処とは得てしてそういう場だから、気に留めなかったよ」
男はさらりと答えた。ウィプが呆れ顔で付け加える。
「辺りを見ろ。空席だらけじゃないか。確かにここは食事処だが〝そういう場〟ではない」
「ん――?」
男が、辺りをキョロキョロと見渡して、
「ああ、確かに。
「……ナイフを持って、キサマらを殺してやると意気込んでいたぞ。刃傷沙汰一歩手前だ。連れが止めていなかったら危ういところだった」
「そうなのかね? どうもありがとう」
ボロロン、と楽器を鳴らして謝意を示した男に、ウィプが、
「止めなければよかったか」
ドスの利いた小声で言った。
思わず楽器を持ったまま苦笑して、男がイスに座り直した。
そうして、襟元を正してから、
「自己紹介を。私はルイス・ローウェン。ご存じルイス家の出身だ。いまは知見を広める旅の途中さ」
ルイスはしたり顔で言った。
ウィプとミイシュが顔を見合わせた。
頭を振ったミイシュを見て、ウィプはうなずくと、視線をルイスに戻す。
「ルイス家? 聞いたこともないな。どこかの貴族か?」
ウィプが怪訝そうな表情を浮かべながら言った。
おおげさに驚いた後、ルイスはうくく、と笑いながら口を開く。
「まあ、致し方ない。知らないのもおかしくはない、過去の栄光にすがる没落貴族さ」
「……そうか?」
「して、隣にいるのは相棒のランラン。恥ずかしがり屋で、あまり人と話そうとしないんだ」
「いま話題の歌姫だな」
ウィプの発言に、ルイスが
「彼女のほうは知っているんだね。自分のことのようにうれしいよ」
「ああ。知っているとも。時の人だからな」
ふふ、とルイスが機嫌のよさそうに笑って、
「こうして出会ったのもなにかの縁。よろしければ、お二人のお名前もうかがいたいのだが」
ボロロン、と弦楽器を鳴らして促した。
「ウィプーラニアだ。ウィプどの、と呼べ」「ミイシュレクです。ミイシュと呼んでください」と、二人が手短に述べた。
「ウィプどのに、ミイシュくん。どちらもめずらしい名前をしているね」
「うむ。あまり知られていない村の出身でな」
「なるほど。ぜひ、一度訪れてみたいものだ」
「いいぞ。……まあ、もう、人間は――わたしと、こいつくらいしか住んでいないがな」
無表情でウィプが言って、ミイシュを肘で小突いた。
ルイスが目を丸くして驚いて、口を開けたまま硬直する。
「いやあ――それは……。不配慮なことを言ってしまったね。すまない」
「問題ない。移住者を
ルイスの白い歯が揺れた。
「ははっ、いいね。じつは、拠点を探していたんだ」
「旅路に拠点が必要か? そも、実家があるだろう」
「拠点を探す旅さ。各地を回って、気に入った場所があれば居住する。――ここだけの話、実家からは
ボロロン、と楽器を弾いて、ルイスが言った。
「
「持って出てきたぶんは、とうの昔に使い切ってしまった。いまは持ち合わせていないね」
「飯はどうしている」
その問いに、ルイスが楽器を構えて、ランランが口を開けた。
「やめろ」
ウィプから鋭く冷たい制止の言葉を受け、二人が残念そうに構えを解いた。
そんな様子を見たウィプがため息をついて、
「やれやれ。しかし、わかったぞ。技能で飯を食っているのだな」
「そうとも。〝一曲
「なら、わたしが四人分の食事を頼む必要はなかったか」
「そんなことはないよ。念押しの意味もあっただろうからね」
「そうか」
ウィプが言って、一区切りつけるように息を吸ってから、
「ランランといったか?」
唐突に話を振られて、ルイスの隣にいた少女が、動揺したように震えた。
「そちらも、めずらしい名前だ。どこの出だ? その玉虫色に輝く不思議な髪も気になるところだな」
背中に流れる長髪が揺れて、視る角度が変わるたび、緑や紫の色彩を帯びる。
「……あまり彼女については
苦い顔で言うルイスだが、ウィプは「知ったことか」と彼の願いを
「最初に言ったとおり、わたしはキサマら二人から精神的苦痛を受けたという理由で損害賠償を請求してもいいんだ。招集され公の場に引きずり出されることがイヤならば口答えするな。
「ああ――わかったわかった、それは困る。ウィプどのの言うとおり、いま、まったく身銭は持ち合わせていないんだ。私が知っている限りのことを話そう」
ウィプによる店主への脅しをルイスたちも聴いていたようだった。その矛先が自分にも向けられているとなれば、さすがに穏やかではないだろう。
慌てたルイスが一呼吸置いてから、
「まあ、とはいえ、特におもしろい話ではないのだが」
ボロロン、と楽器を鳴らして、語り始める。
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