第2話

「……ミイシュ」

 と、少女がとなりの少年を呼んだ。

「なあに?」

「いますぐアレを止めてこい。耳がくさる」

 テーブルへ頬をつけながら焼き魚をナイフでつつく少女が、倦厭けんえんするように言った。

「あっ、こら。行儀ぎょうぎが悪いよ、ウィプ」

「だまれ。ほかでもない、わたしが命令しているのだ。わたしは誰だ? 言ってみろ」

「ウィプーラニアだよ」

「いまは少ない貴重な怪物学かいぶつがくの第一人者であり、王国をおさめる剣聖から正式に天才であると認められた権威けんいある翼名保持者よくめいほじしゃでキミの雇い主であるウィプーラニアだ」

 ところどころを強調しながら言ったウィプーラニア――ウィプが、それが安全であるかどうかを用心深く確かめるように再三焼き魚をナイフでつつく姿を見て、少年は若干ばかりまゆを寄せた。

「まったく、もう」

 さっ、とウィプの手からナイフをうばい取り、彼女の手が届かない高さまで持ち上げる。

「む」と怪訝けげんそうな声と共に自分をにらみ上げたウィプに対し、少年は、

「まだ正式に翼名保持者になったわけじゃないし、僕はあくまでも、きみの補佐官、相棒であって、雇われているわけじゃないでしょ。あまり舞い上がっていると、足元をすくわれるよ」

 ふりふり、とナイフを天空高くに持ち上げて揺らしながら少年が言った瞬間、ウィプがまんまるの瞳を大きく見開いた。

 くちびるをわなわなと震えさせ、そして、頬がぷくっとふくらんだかと思うと、次第にリンゴのように紅く顔が染まっていって、

「キサマよくもわたしを子供扱いしたな!」

「うわっ!?」

 どん、と小さな身体を少年にぶつけて、自分ごとイスから叩き落とした。

 その際、少年の足がテーブルをり上げた衝撃で料理が皿の上からこぼれた。

 食器が割れて大きな音が鳴ったと同時に冷たく固い石の床が少年のこしを強打する。

 少年に覆い被さる形でウィプが倒れ込んだ。小柄な体型が幸いしてか、四肢ししがクッションから漏れることはなかった。

 ――と、そこまではよかったが、存外きたえ込まれていた少年の胸部に顔面を思いきりぶつけたウィプは、「ぶっ」と小さく悲鳴を上げて、そして動かなくなった。

「だ、大丈夫?」

 ここまで顕著けんちょいきどおるとは予測していなかったのか、少年が動かなくなったウィプの容態ようだいを確認するべく上半身を起こして――

「おいテメェらうるせえんだよ! 外まで耳ざわりな音が響いてんだ! いますぐやめねえとぶっ殺すぞ!」

 屈強な男が、青筋を立てながら横を通り過ぎた。

「おいやめろって! お前おかしいぞ!」

 直後、男の背後から別の青年が抱き着き、羽交はがい絞めを試みる。

 どうやら二人は知り合いのようだったが、体格に差があるうえに、激昂げきこうしている男はなりふり構わない。

 一瞬で自分から青年を引きはがすと、近場のテーブルにあったナイフを手に取り、乱暴に振るった。

 吹き飛ばされた男の手に一筋の切り傷をつけると、ひどい興奮状態にあるのか、聞き取れない怒号を上げて店の外にいた野次馬ごと青年を威圧する。

 尋常じんじょうではない。

 一部始終を見ていた少年は、念のため、自分達のほかに誰か一般客がいないかと店内を見渡した。

 ――と。

「わ~~た~~~~しぃも~~~~、あぁぁああなたあああぁぁをぉぉおおあいしてるぅうう~~~」

 あろうことか、演奏会は止まっていなかった。

 この騒ぎを認知していないとでもいうのか、まるで何事もなかったように歌い、演奏を続けていた。

 あまりに乖離かいりしている二人の世界を目の当たりにして、少年は一瞬、呆気あっけに取られて、

「おい、ミイシュレク」

 自分の胸元から聞こえた声に意識を引き戻された。

 伏せたままの姿勢で顔を上げたウィプと目が合う。

 衝突した際の衝撃か、微量の鼻血が出ているが、気にしている場合ではないという素振りで、

「まずいぞ。あの男を止めろ。本当に殺す気だ」

 鋭い指示を受けて、ミイシュレクと呼ばれた少年は、できるだけ優しくウィプを引きはがして動き出した。

 暴漢の足を目掛けて背後から突進。下半身を背負いあげるようにすくい上げて、男を背中から石畳の上に落とした。すかさず、左足を軸にして股間を蹴り上げる。

 激痛にもだえた暴漢の手からナイフが離れたことを確認すると、すぐさまテーブルの下へと蹴り飛ばした。

 それから暴漢の左腕を掴み、背中を天井に向けさせる。左膝を男の背中、右足で男の右腕を踏みつけて、流れるように暴漢の拘束に成功した。


 しばらくして、上下を黒の制服で統一した数名の男女が駆けつけた。

 制帽に、銀の五本剣が刺繍されている。中心点に折り重なる形で星を描くそれは、剣聖の紋章。

 レヴィンディア王国を治めている、五人から成る王を表していた。

 とはいえ、目の前の青年達が剣聖そのものであるというわけではない。

 剣聖直轄の軍隊である剣聖騎士団から各地に設置された、治安部隊である〝警備隊〟の一員だった。

「ご協力感謝します」

 ミイシュが、既に抵抗の意志が砕かれていた暴漢を警備隊員へと引き渡す。

 と、その際、

「あちらの二名です。よろしくお願いします」

 遠くの席で依然として演奏を続けている一組に向けて目配せをする警備隊員から、そう耳打ちされた。

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