第一話 横山圭

 僕は凛の他に友達がいないけど、彼女はいつも沢山の友達に囲まれている。今も彼女は五、六人の輪の中で、楽しそうに笑っていた。

 笠井凛は僕の唯一の友達だけど、僕は彼女の内面をよく知らない。凛は背が高い女の子で、髪が長い。僕は女性の顔の優劣がよく分からないけど、彼女の横顔は綺麗だと思う。基本的には明るい子で、友達も多い。運動は苦手で、テストの点は平均より少し良い。流行りものには疎いようで、そこは僕と同じだ。

 彼女は教室で、他愛ない話を友人としているようだった。会話の内容はよく聞こえない。

 僕は休み時間には教室の外にいることが多いけど、今は授業中だから仕方ない。理科の授業がチャイムより早く終わり、クラスの皆は教室で思い思いに過ごしていた。僕はこの時間が少し苦手だ。一人では特にやる事もない。

 中学校も二年生の六月になると、学年内のカーストは固定され、揺らぐことは無い。僕は、カースト、という言葉が大嫌いだが、多分彼女はピラミッドの上の方にいるのだろう。僕はどうだろうか。上にいるわけはなく、だとすると下の方にいるのだろうか。僕はそもそもグループと呼ばれるようなものに所属してもいない。よく分からない。よく分からないものは好きだが、カーストは嫌いだ。

 僕らの中学校は二つの小学校から人が集まっているが、凛はそのどちらの小学校の出身でも無い。彼女は親が再婚した、みたいな理由でこの街に引っ越してきた。詳しい事情は知らない。僕らが出会ったのは中学の入学式の日だったと思う。それから何故か彼女とよく話すようになった。といっても、学校内では話さない。

 それではいつ話すのか、と言われればそれもよく分からない。放課後、お気に入りの河川敷にいると、彼女がよくやってくる。フィクションみたいによくできた河川敷だ。そこで凛と並んで座りながら話すのは悪くない。

 そんなことを考えていると、チャイムが鳴った。僕は息継ぎをするように、教室の外に出た。


 その日の放課後は、河川敷で彼女の愚痴を聞いていた。昨日の雨で地面が湿っていたから、芝生に腰掛けるのをやめて、僕らは近くのベンチに並んで座っていた。今日はよく晴れている。

「クラブの先輩がマジうざくてさー」

 彼女はいつも楽しそうに愚痴を吐く。彼女は学校の部活には入らず、クラブチームでバレーボールをしている。僕は何の部活にもクラブチームにも入っていない。

「山口先輩?」

「そうそう。あれ、話したことあったっけ?」

 凛は目を丸くしたが、先週も彼女は同じ話をしていた。よほどその先輩の事が嫌いなのだろうか。ともあれ、彼女は話す気を無くしたようだ。つまらなそうに言った。

「じゃあいいや」

 それから、しばらく沈黙が続いた。僕は多分沈黙が好きだ。何か言っているよりも、互いを理解できるような気がするから。凛は今、隣で何を考えているのだろうか。次の話題を探しているのだろうか。僕が話し出すのを待っているのだろうか。それとも、何も考えていないのだろうか。

 こんな風に、僕は凛の事を考えていた。それで、次の会話の種を見つけた。沈黙を続けるのも悪くないけれど、なんとなく聞いてみた。

「君は今、何を考えていたの?」

「最近、『声優が豪華』っていう謳い文句増えたなあって思ってた」

「唐突な話だね。確かにそうかも」

「声優が豪華って、別に勝手に言えばいいんだけど、本質じゃない気がする」

 彼女の言う本質という言葉の意味がよく分からなかった。彼女はこちらに顔を向けることなく、前を見ながら続ける。彼女の横顔はいつも綺麗だ。

「誰が声をあてているかなんて、どうでもいいんだと思う。大切なのは何が伝わってくるかなんだよ。この人が出てるから観る、なんてのは、あんまり好きじゃない」

 分かるような分からないような話だ。そもそも僕はアニメも吹き替え映画も観ない。彼女も観ないはずだ。意外にも彼女は純文学を好む。あとは、舞台演劇をよく観に行くらしい。

 僕は少し考えて、凛に反論してみた。

「でも、その人の演技が上手だからってのはあるんじゃないかな。その人の声はきっと多くのものを伝えてくれて、みんながそのことを知っているんだよ。だから、奥の部分では本質的なんじゃないのかな。『声優が豪華』って言葉も」

 彼女はようやくこちらを見た。

「圭はやっぱり賢いよね。私は、君と話してるときが一番好きだな」

「テストの点は君の方が良い。それに、教室での君は、僕と話しているより楽しそうだよ」

「君とは本質的な会話ができるからね。クラスや部活の皆とは違うよ」

 また、本質という言葉の意味がよく分からなくなった。会話の本質とはなんだろうか。僕には分からないことばかりだ。幸い、分からない事は嫌いではない。

 凛は続けた。

「でも、本当はそうじゃないんだよ。本当は皆、本質的な会話を求めているんだ。だから、圭にはもっと堂々としていて欲しいな。自分の凄さに、自信を持って欲しい」

「僕は凛みたいには出来ないよ。君以外と話すときは、こんなにすらすらと言葉が出てこない」

 また、しばらく沈黙が続いた。彼女は僕の事を過大評価している。彼女は何か言いかけたけど、だんだん空が暗くなってきたから、僕らはどちらともなく立ち上がり、家路に就いた。


 僕は寝る直前、ベッドでいつも彼女の事を考えている。彼女は僕に堂々としていて欲しいらしい。僕もできることなら彼女の期待に応えたいと思っている。でも、よく分からない。どうすればいいのか、よく分からない。

 凛以外のクラスメイトと話をするのは、ひどく息が詰まる。こちらの言いたい事が、上手く伝わらない。使っている言葉が違うんじゃないかと、何度も思う。僕は愛の話をしているのに、皆はそれを数学の話として受け取る。それが息苦しくて、僕は人と繋がる事をやめてしまう。

 凛と話すときだけは、気が楽だ。彼女は僕の言葉を、きちんと愛の話として受け取ってくれるから。

 僕はいつも凛の事を考えているけれど、彼女のことはよく分からない。なんで分からないのかも、よく分からない。分からない事は嫌いではないけど、少し自分が情けなくもある。



 その夜、僕は夢を見た。僕は夢の中で、小学校の授業を受けていた。多分今は、道徳の時間だと思う。でも皆、国語とか算数とかの勉強をしている。そして、僕に言ってきた。

「ここはこうやって解くんだよ」

「なんでできないの」

「やる気が無いの」

 僕は、泣きそうになる。なんで、分からないんだ。今は道徳の時間じゃないのかよ。人生をより良くするために、ああでもない、こうでもないって、幸せな議論を交わすための時間じゃないのかよ。

 夢の中の僕は、だんだん分からなくなる。本当は今は、算数の時間なのかもしれない。先生もクラスメイトも、つまらない教科書を見ているから。僕だけが顔を上げているから、僕は分からなくなってしまう。

 本当は今は、算数の時間なのかもしれない。

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