第30話 デコ捨て山の春

 上杉所長が体調不良を名目に峯伏寺に隣接する診療所に入院することになった。不死川は上杉が待つ病院の特別室に呼ばれていた。

 病院の特別室とは名ばかりで、その分厚い扉の向こうは金菱組の事務所だった。部屋に入ると広い空間の奥には豪華な神棚が飾られ、上杉はその前の組長席に座っていた。両脇には幹部たちが控え、不死川を丁重に迎えた。

「所長、お加減は如何ですか…」

「今日から所長は不死川くん、君だ」

「え !? …どういうことですか?」

「手続きは済ませてある」

 小林龍仙が入って来た。

「先生…その節は福留夫妻の事でお世話になりました」

「上杉さんには暫く療養が必要です」

 その後ろから八木沢半蔵も顔を出して、不死川に一礼した。

「八木沢さん !?」

「不死川さん、先日は…見事な技を見せていただきました」

「八木沢くんはこれから私の身の回りの世話をしてくれてるんだ」

「烏丸さんのお計らいで、こちらの金菱組に…」

 金菱組二代目組長の矢吹日向子が現れた。

「頼久は金菱組の三代目を継ぐことになりました。母の矢吹日向子です」

「所長のお母様でしたか、お初にお目に掛かります。所長には大変お世話に…」

「所長は不死川さんです。頼久さんは二代目の後を継いで、これからは金菱組三代目組長です」

「驚かせて済まん。不死川くんには前以て話しておきたかったんだ」

「そういうことでしたか…で、お体の具合は…」

「交番での引継ぎには出られそうもない。ここでお別れだ」

「分かりました。わざわざ及び頂きありがとうございます」

「今日のことはなかった事にしてくれ」

 不死川は納得した。まさか組長の息子だったなんて想像だにしなかったが、陰の部分に光が差した上杉所長に合点がいった。

 その日の深夜、上杉は既に動いていた。

「おやすみ」

 高遠容子がシリンジを手に立ち上がった。池田邸をガードする強面どもが、あちこちにマグロのように転がっていた。

「女は怖えや」

 八木沢がスタンガンの先手で強面どもの自由を奪い、元看護師の高遠容子が麻酔薬投与を受け持っていた。邸内で優雅に寛いでいる池田大策警視総監が、気配に気付いて振り向くと上杉頼久が立っていた。

「おまえ !? どうやって入った…ここはお前のような者が来るところではない! 帰れ!」

 池田は上杉を怒鳴って緊急ボタンを押した。

「誰も来ませんよ」

 緊急ボタンをしつこく押すが、警備の者が現れないことを悟って、池田は急に態度を変えた。

「…分かった。仕方がない。話し合おう。そこへ掛けたまえ」

「この詐欺野郎が…部下を盾にして、今まで随分と六地蔵交番にゴミ連中を垂らし込んでくれたな」

「私はそんな末端のことには関わってはおらん。言い掛かりはよせ」

 話し終わらないうちに池田の眉間を弾丸が捉えていた。警視総監のあまりにあっけない最期だった。

「あの世で騙ってろ」

 上杉は容赦なかった。

「この後の事は任せてください、組長」

 八木沢が上杉を誘導して消えると、入れ違いに特殊清掃会社「金倫舎」の近藤礼二とその部下の郡司晴海、そして高遠容子が現われ、素早く清掃処理を施して池田の死体を納体袋に収納すると、強面マグロどもの転がっている横を通り、車に積み込んで去って行った。


 数日間 “巡回中” の札が下がっていた六地蔵交番は今日から再開していた。

「上杉所長は今日、精密検査を終えて無事ご退院だそうです。同時に、定年を迎えられてそのまま職を辞することになりました。皆さんにお別れのご挨拶が出来ずに申し訳ないとの伝言です。そして今日から不死川所長が我々の新しいボスです」

 金城和華巡査部長が報告すると一同が不死川新所長に敬礼した。

「よしてくれよ、今まで通りで頼む。今日は六地蔵交番に新人が配属されて来た。紹介する」

 奥から顔を出したのは小鳥遊たかなし奈々だった。

「監察官 !?」

「小鳥遊奈々です。今日から六地蔵交番に配属になりました。宜しくお願いします!」

「どうして小鳥遊さんがこんなところへ !?」

 清水エリカ巡査から思わず言葉が漏れた。

「“こんなところ” はないだろ、清水巡査。ここは私の大のお気に入りの交番なんだから」

 不死川所長の言葉に一同がふきだした。小鳥遊巡査は敢えて襟を正した。

「先日の加納邸放火殺人事件に於いて、上司の勘解由小路監察官を守れなかったことで、この六地蔵交番に配属になりました!」

「小鳥遊監察官の責任じゃないでしょ」

「もう監察官じゃありません。皆さんの後輩ですから、これからは小鳥遊巡査とお呼びください」

「兎に角、小鳥遊巡査がこの六地蔵交番に早く馴染んでくれるよう協力を頼む」

 不死川所長が区切りを付けると一同はそれぞれ巡回に出掛けた。金城巡査部長は配属になったばかりの小鳥遊巡査と巡回に出た。卯月巡査は交番に残り、明け番の烏丸巡査を見送った。

「…所長」

「やめてくれ。不死川でいいよ」

「不死川さん、小鳥遊巡査は本当に吹っ切っているんでしょうか?」

 火災の顛末で烏丸らが関与してることを知っているのは不死川だけだった。不死川は惚けるしかなかった。

「どうして?」

「無理してるんであれば、それ相応の対応の仕方を…」

「ここに流されて来る警察官は大なり小なり傷を負っている。彼女には彼女の事情があるだろう。下手に気を遣うより、普段どおりでいいんじゃないか?」

「それはそうですが…」

「それより美人警官が集まって良かったじゃないか。清水巡査も気になるけど、小鳥遊巡査も気になるだろ。それとも姉さん女房の金城巡査部長かな?」

「からかわないでくださいよ!」

「卯月巡査にも、もうすぐ春が訪れるといいね~」

「巡回に行ってきます!」

 卯月巡査は巡回に出た。


 不死川にも春が訪れていた。日勤を済ませた不死川はいつもの一番街商店街の“229タパス”で洋子と会っていた。

「昇進、おめでとうございます!」

「上杉さんが定年でご勇退なさったんで、お鉢が回って来ただけですよ」

「不死川さんが段々遠い存在になっていく」

「僕は死ぬのか !?」

「そういう意味じゃありません!」

「看護学校を卒業したらどうするの?」

「え !?」

「いや、洋子ちゃんは将来どうするのかなと思って…どっかで看護師するのかな」

「まだ将来の事なんて分からないです。授業だっていっぱいいっぱいだし…」

「今が一番大変な時かな?」

 ふたりは沈黙が続いた。

「僕は…いつか洋子ちゃんをお嫁さんにしたいなと思っているんだ」

「・・・!」

 洋子の表情が急に明るくなった。

「でも、年齢が10歳も離れているから、良くてもお兄さん止まりだね」

 不死川は笑った。

「明日から頑張る!」

「そうか! 良かった!」

「約束、忘れないでね!」

「約束 !?」

「私を不死川さんのお嫁さんにする約束」

「約束かな」

「約束です! 嘘吐きは泥棒の始まり!」

「了解! だったら看護学校は卒業まで頑張ってね!」

「はい!」

 二人がメニューを開いたとき、烏丸巡査から連絡が入った。

「…洋子ちゃん」

「早く行って!」

「忝い! (電話の烏丸に)すぐ行く!」

 洋子は不死川の背中を笑顔で見送った。


〈最終話『第31話 強制成仏の街』に続く〉

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