第29話 組長

 喜多沢署の遺体安置室に、竹原組組長・竹原兼基の身元確認のため息子の竹原征爾がやって来た。

「真っ黒じゃねえか! これじゃどれが誰だか分かるわけねえだろ!」

 それもそのはずだ。満を持して竹原兼基組長以下のごろつき連中を誘うべく、小鳥遊は勘解由小路監察官の救出を装って猛煙の中に飛び込んで行った。仕方なく竹原組長はごろつき連中を従えて小鳥遊に続いた。小鳥遊は猛煙の中でごろつき連中が飛び込んで来るのを用意していたトカレフで次々に射殺する中、八木沢がそのごろつき連中の死体を猛火に放り込んだことで遺体安置室に居並ぶ黒焦げが仕上がったのだ。征爾はその凄惨さに呆然とした。

 御馬舎刑事がその一体を父親だと指し示したことで我に返った征爾は激昂した。

「いい加減な事を抜かすな! この真っ黒いのが親父だとなぜ言えるんだ!」

 御馬舎刑事は溜息を吐いた。

「それでも息子か…」

「何だと !?」

「足の裏を見りゃ分かるだろ、征爾」

 御馬舎刑事のドスの効いた言葉に、征爾は素直に従った。征爾にとって御馬舎刑事はガキの頃から厄介を掛けて来た苦手な相手だ。竹原兼基は体全体に彫物があり、足の裏にもあった。兼基は征爾の幼い頃から “オレの足裏はお釈迦さんと一緒だ”と自慢する国宝文様の釈迦の仏足の瑞祥文七相が足の裏に僅かに残っていた。釈迦には32相の身体的特徴があり、足の裏に模様があるとされているが実際には足裏に模様があるはずもなく、釈迦より昔に語り伝えられた架空の王・転輪聖王の逸話が流用されたものだという。黒焦げ遺体の足裏には、その彫物が残っていた。

「…親父です」

「…そうか」

「誰が…誰が親父をこんな目に遭わせたんだ!」

「おめえらは、どれだけ多くの人間に同じ苦痛を味合せて来たんだ? 少しは被害者の気持ちが分かったろ」

「うるせえ! 誰がこんな目に遭わせたのかと聞いてんだよ!」

「捜査中だ…それを知ってどうする?」

「報復するに決まってんだろ!」

「殺害予告はそれ自体、罪になるぞ。おめえのバカっぷりは治らんな」

「なんだと!」

「今度バカを犯したら長えぞ」

「オレはもうドジは踏まねえ」

 征爾は悪態を吐いて署を後にした。

「死相が出てるな、あのバカ」

 御馬舎刑事は征爾の後姿に哀れを見た。


 憤懣やるかたない征爾は帰途の車の中で終始無言だった。運転する補佐役の鮫島三郎が確かめた。

「若頭、誰の仕業なんでしょうね?」

「八木沢の野郎しかいねえだろ!」

「…ですね」

 しかし、征爾の声は震えていた。父親の真っ黒な死に様を見て次第に恐怖が襲っていた。“もし、八木沢だとすれば、次に殺られるのは自分だ。先に殺らなければ殺られる” という焦りが重く圧し掛かっていた。

「ただじゃ置かねえ!」

「八木沢が鉄砲玉すかね、それとも他に…」

「親父を油断させられるのはやつだけだ。他の者には務まらねえ」

「…ですね」

 鮫島はにんまりとした。父親の跡目を継いで息子の征爾が組長になったら、この小心者のバカ息子の恐怖を利用して思うように操れる。竹原組は実質自分の手中になると確信した。


 その頃、上杉所長は峯伏寺の本堂で、実母である「金菱組」組長の矢吹日向子と会っていた。住職の小林龍仙と池之端兆慈、そして先代からの相談役の矢野忠が立ち会っていた。上杉頼久を新組長とする協議が執り行われていた。

「頼久坊ちゃんが跡目を継ぐことは父上の願いでした」

「“坊ちゃん” はやめてください、矢野のおっちゃん」

「分かりました。でも “おっちゃん” もやめていただけますかね」

 場は笑いに包まれた。

「それだけ時が経ったという事ね。でも治まるところに治まって良かったわ。私ももう何年生きられるか分かったもんじゃない」

「滅相な事を言わんでください、二代目」

 矢野は感極まった。

「矢野も年を取ったわね。この頃の “おっちゃん” は涙脆くて敵わないわ」

 本堂はまた笑いに包まれた。


 烏丸巡査の計らいで、八木沢は金菱組三代目組長となった上杉頼久のボディガードに抜擢された。八木沢は元「竹原組」の幹部だったが、我儘な組長の息子の企てで組を追われる事になり、命まで狙われる羽目になったところを烏丸巡査が睨みを効かせて竹原組からの刺客のストッパーになってくれていた。そのため八木沢は烏丸が本署刑事部捜査一課時代から律儀な情報屋になって働いて来た。金菱組は地元竹原組の直径で矢吹藤五郎組長が竹原兼基組長に暖簾分けをしてもらった経緯がある。しかし、竹原組は代替わりとともに崩壊の危機に晒されていた。

 八木沢に連絡が入った。

「そうか…よく連絡してくれたな」

 竹原組の鮫島から重要な話があるので組に内緒で会いたいと言って来た。


 深夜、八木沢は鮫島の指定した場所に向かった。八木沢は、尾行する3人の影に気付いていたが素知らぬ態で現場に向かった。八木沢の行く手にタバコを燻らす征爾が立ちはだかった。八木沢は足を止めた。

「坊ちゃんですか…この度はご愁傷様です」

「…お前もな…やれ!」

 影のひとりがいきなり刃物を突き刺して来た。鮫島である。八木沢はナイフを握った腕を取り、鮫島の腹に捻り刺した。

「鮫島、こんな餓鬼じみた小細工じゃバレんだろ」

 八木沢に睨まれた鮫島が一言も発せずくずおれたのを見て同行した舎弟の後藤兼雄と神原豊明は怯んだ。突然、征爾が絶叫した。

「手が…手が…」

 征爾はタバコを持っていた自分の手首が消えていることに痛みが走ってからやっと気付いた。想定外の現実に鮫島と征爾は慌てた。そこに巡回の不死川巡査部長が現れた。

「どうしました?」

「手が…手が…」

「手がどうしました?」

「組長の手首が無くなったんだよ!」

 舎弟の後藤が精一杯の威勢で凄んだ。不死川巡査部長は間抜けな声で応戦した。

「組長 !?」

「それから、そいつを早く逮捕しろ!」

「そいつ !?」

 八木沢はいつの間にか消えていた。

「あの野郎、逃げやがった!」

「…では交番に来て遺失物届をお願い出来ますか?」

「遺失物 !?」

「手首が無くなったんですよね?」

「何を馬鹿な事言ってんだよ! 早く救急車を呼ばんか!」

「救急車ですね」

「見りゃ分かるだろ!」

 不死川巡査部長は無線機で連絡した。

「至急、至急! こちら不死川!」

 不死川という名前を聞いた途端、二人は怯んだ。

「救急車をお願いします! 怪我人です。名前は竹原組・組長の竹原征爾さん」

「てめえ、何で知ってんだよ!」

「更に意識不明の鮫島三郎さんです。それと組員の後藤兼雄さん、神原豊明さんの2名には尿検査が必要と思われます。宜しくどうぞ!」

「なんでオレたちが尿検査なんだ! てめえいい加減にしろよ!」

「竹原征爾さんは以前に覚醒剤で服役なさってますよね」

 後藤と神原は黙った。

「もし今度反応が出ちゃったら別荘生活が長くなりますよ。で、あんたらも序に検査させてもらいますね」

「序だと !? 何晒してけつかるんだ、てめえ!」

「私は六地蔵交番の不死川と申します」

「…おまえが不死川ってやつか !?」

「おや、ご存じでしたか?」

「覚えてろよ!」

 不死川に間違いないと悟ったふたりは、痛みで唸る征爾を強引に抱き抱えて逃走し始めた。

「鮫島三郎さんは置いて行っていいんですか! このままでは救急車が来る前に出血多量で死にますよ!」

「てめえの仕事だろ!」

 ふたりは不死川巡査部長の呼び掛けに苛立ちながら鮫島を置き去りに、逃走の途を緩めずに暗がりに消えて行った。

「救急車なんか来ねえよ。オレは綺麗好きだから “性能の悪い人” の人命救助なんかしないんだ」

 不死川は叢に歩み寄った。そこにはナガサが刺さっていた。それを引き抜き鞘に納めて呟いた。

「…正一さん」

 迷いはなかった。迷宮の手首事件を祝うかのように赤い月が、既にこの世の者ではなくなっている鮫島を照らし、その傍らで鋭く切り落とされた征爾の手首が花を添えていた。不死川巡査部長は何事もなかったかのように赤い月に照らされた性能の悪いゴミを放って立ち去った。


〈『第30話 デコ捨て山の春』に続く〉

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