第28話 神隠し

 自宅に居る加納太郎警視正のもとに、息子の加納典明が姿を消したという情報が齎された。

「お前は誰だ!」

 電話は切れた。加納警視正は六地蔵交番に息子の所在を確かめさせたが交番には連絡が付かなかった。上杉所長の携帯に加納太郎から連絡が入った。

「加納警視正から私などにご連絡を頂くとは、何かの間違いではありませんか?」

「息子が世話になることになったんで挨拶をと思ってね」

「そうでしたか、これはご丁寧に恐縮です」

「息子に代わってもらえんかな?」

「生憎、私は今、交番には居ないもんで…」

「交番に連絡が付かないんで君に連絡したんだよ」

「では、私のほうから確認して加納巡査に連絡するように伝えましょうか?」

「済まないが、そうしてくれ」

 電話は無礼に切れた。


 六地蔵交番破壊の命を下した加納警視正は違和感を覚え、勘解由小路監察官に連絡した。傍には竹原組・組長の竹原兼基と組子飼いの犯グレ集団で構成された武装集団が居た。勘解由小路監察官は本庁の加納警視正の息子である加納典明の高価拾得物横流しの揉み消しに失敗し、デコ捨て山と揶揄されている警察官の墓場・六地蔵交番に典明を追いやる結果になってしまって以来、加納警視正に更に服従を強いられるようになっていた。そして今般、加納警視正の恩恵を被っている武装集団の案内役を命じられて、部下の小鳥遊監察官を引っ張り出していた。披露宴のスピーチ依頼は上杉の動静と油断を誘う策だった。

「勘解由小路くん、なぜ今になって息子が消えたというタレコミが入るんだ! 」

「私にはよく分かりません。どうします?」

「仕方がない。どうせ息子は交番には居ないんだ。予定を早めて今すぐにデコ捨て山の破壊態勢に入れ! 上杉が交番に戻ったらすぐに攻撃しろ!」

 武装部隊は予てから押えていた交番を見下ろす廃屋に到着していた。六地蔵交番は “巡回中” の札が下がって閉鎖されたまま、人の気配はなかった。

「皆、出払っているようです。“巡回中” の札が下がっています」

「…目立たないように待機してろ。上杉さえ戻ったらそれでいい。合図したらすぐに破壊出来る体制を布いて待て!」

「了解!」

 六地蔵交番の中にはひとり取り残されて全身抑制帯で監禁されている典明がいた。突然、交番内に外線が流れた。

「緊急! 緊急! すぐに六地蔵交番を非難せよ! すぐに六地蔵交番を非難せよ! 何者かによる攻撃準備が為されている!」

 その声に慌てた加納典明は抑制帯の下から必死に訴えたが、声一つ発することが出来ないまま、もがくしかなかった。


 いつまで経っても連絡がない加納警視正はしびれを切らし、勘解由小路監察官連絡を入れて来た。

「まだか!」

「まだ誰も交番に戻って来ません」

「…仕方がない。すぐに攻撃しろ!」

「誰も居ませんよ !?」

「構わん、すぐに攻撃しろ!」

 廃屋に仕掛けておいた盗聴器から加納警視正の攻撃命令を傍受した八木沢が烏丸に目配せした。

「全員退避!」

六地蔵交番の周囲を私服に着替えた巡査たちが通行人の態で監視体制にあったが、全員その場から離れた。八木沢は再び加納警視正にタレコミの連絡を入れた。

「姿を消した加納典明は交番の中に拘束されている」

「誰だ、おまえは!」

 八木沢からのタレコミ電話はすぐに切れた。勘解由小路が六地蔵交番への攻撃命令を出そうとしたその時、加納警視正から連絡が入った。

「攻撃中止だ!」

「攻撃中止ですか !?」

「中止だ! 交番の中に息子が拉致されている!」

「拉致 !? ではすぐに救出に向かいます!」

「馬鹿もん!のこのこ救出に行ってみろ、自分が犯人でございとバラすようなものだ」

「じゃ、どうします !?」

 二転三転する指示に焦れた竹原組長が勘解由小路監察官の慌てように舌打ちした。

「やるのか、やらねえのか、はっきりしてくれよ」

「交番の中に加納警視正の息子さんが拉致されてるんだ」

「息子はあの交番のおまわりだろ !?」

「計画がバレているらしい」

「マジかよ !? 中に居る加納のバカ坊ちゃんに万が一の事があったらオレらはどうなったんだ !?」

 加納警視正に三度目のタレコミが入っていた。

「おまえは誰なんだ!」

 タレコミは容赦なく切れた。加納警視正は仕方なくまた勘解由小路監察官に連絡した。

「やばい! 喜多沢署が攻撃を受けてる!」

「どういうことなんですか、勘解由小路さん !?」

 その頃、タレコミどおり、荷台にバズーカ砲を忍ばせた幌ウィングのトラックの覆面集団が喜多沢警察署に総攻撃を浴びせていた。

「喜多沢署に急行だ!」

「バカ坊ちゃんの救出はどうなるんです !?」

「いいから喜多沢署に迎う!」

 竹原組長は武装部隊を喜多沢署に急行させると、トラックの覆面集団はとっくに消え、警察正面玄関は既に瓦礫の山となっていた。

「…なんだ、これは!」

 勘解由小路監察官は地団駄を踏んだ。そこにまた連絡が入り、勘解由小路監察官の表情が変わった。

「何ですって !? どうなってんだ、小鳥遊!」

「私に怒鳴られても分かりませんよ!」

 小鳥遊監察官は思わず言い返した。

「どうしたんです、監察官 !?」

「加納警視正宅が襲われた! 火の海だそうだ!」

「なんで !?」

「急いで加納警視正宅へ!」

「喜多沢署は !?」

「知った事じゃない! 加納警視正宅へ急ぐんだ!」

「はい、はい、分かったよ」

 竹原組長は仕方なく武装部隊を加納邸に急行させた。加納邸は既に激しい風に煽られて炎上していた。

「何もかも後手後手じゃねえか!」

 竹原組長は勘解由小路監察官の腑抜けぶりに怒りが爆発した。

「消防はまだか!」

 しかし誰も救助に向かおうとする者はいなかった。小鳥遊監察官が叫んだ。

「勘解由小路先輩! 中に加納警視正が居ます! 今こそ先輩の出番です!」

 勘解由小路監察官は仕方なく自分が行くことを決意し、竹原組長にも促した。

「勘解由小路さん、もう間に合わねえ。命は無駄にするな!」

 竹原組長の言葉に救助を渋る勘解由小路監察官を小鳥遊監察官が急かした。

「勘解由小路先輩! 救助を!」

「くそっ!」

 勘解由小路監察官は竹原組長に冷視線を浴びせ、炎に包まれた邸の玄関を開けた途端、爆風に飛ばされた。

「勘解由小路さん、無理だ!」

 竹原組長の叫びに再び勘解由小路監察官が僅かな迷いの表情を走らせた。小鳥遊監察官は更に急かした。

「先輩! 怯まないでください!」

 竹原組長は負けじと勘解由小路監察官を止めた。

「もうすぐレスキューが来るから!」

「うるさい! 引っ込んでろ!」

 小鳥遊監察官が怒鳴った。

「勘解由小路監察官!」

 起き上がった勘解由小路監察官はついに炎渦巻く玄関にひとり飛び込んで行った。勘解由小路監察官は炎の中で血だらけの加納警視正を見付けた。彼は携帯電話を握ったまま、ぐったりと果てていた。勘解由小路監察官に容赦ない炎が唸った。

「クソッ! 下手すると勘解由小路監察官もこのざまだ」

「よく言うよ、ヘタレが組長とは組員が気の毒だ」

「何だと!」

 小鳥遊監察官は竹原組長に構わず猛火の中に入って行った。竹原組長は女監察官に後れを取って気まずい空気になった。

「くそ! 仕方ねえ、勘解由小路監察官の救出に向かう、おまえら付いて来い!」

 竹原組長以下のごろつきは仕方なく勘解由小路監察官救出に猛煙の中に入って行った。


 すっかり野次馬が包囲した加納邸は更に炎の勢いが増した。邸の中でパンパンパンパンパーンと連続した破裂音がした。野次馬たちには火事によるBGMでしかないが、中では竹原組長と子飼いの犯グレらが次々と小鳥遊監察官の手に落ちていた。破裂音は銃声だった。小鳥遊監察官は確信犯だった。猛火の中に先に飛び込んだのは、中で竹原組長以下のごろつきを誘い込むためだった。そして中で迎え撃ったのである。

 小鳥遊奈々は大学の先輩でもある勘解由小路均から長年に渡るストーカー的引き立てを受けて来た。その状況から離脱することは不可能な状況だったが、加納警視正からの特命役に抜擢された事で、勘解由小路に命の危険を冒させる機会が出来た。そして、そのタイミングを待っていた。

 猛火の中で小鳥遊監察官は呟いた。

「あんたらに相応しい最期だったわね。加納警視正及び勘解由小路監察官殺害の現行犯よ」

 小鳥遊監察官の後方に八木沢が現れた。

「済みましたか、小鳥遊さん。それはもう必要ないでしょ」

 八木沢は小鳥遊からそっとトカレフを受け取り、指紋を拭き取って一旦竹原組長に握らせてから加納警視正に握らせた。

「勘解由小路監察官は襲撃してきた竹原組長の銃撃に遭いながらも、その銃を奪い、加納警視正を守って応戦した…という美談」

「いいんじゃないの」

 八木沢はかつて加納警視正の息の掛かった竹原組の組員だった。八木沢が本庁内部の事情に詳しいのも竹原前組長・竹原兼基の懐刀だったからだ。組長を継ぐ息子・征爾の教育係をさせられていたが、我儘な征爾の陰謀で組を追われる羽目になった。竹原組長は八木沢に向けられた息子の理不尽に目を瞑った。

「それにしても相変わらずだらしねえやつらだ。誰も真っ先に火の中に入るやつが居なかったとはな」

 火の勢いが落ち始めた火災現場の裏口に烏丸巡査が現れた。

「早く引き上げないと!」

「そうすね」

 やっと消防車が到着し、レスキュー隊が炎の中に入って行った。烏丸らが裏口に消えるのと入れ違いにレスキュー隊が入って来た。火の勢いが弱まり濛々と煙った床には黒焦げの遺体が複数残っていた。


 野次馬の前を真っ黒に焦げた遺体が次々とレスキューの担架で運び出された。加納邸の周囲には破壊消火の犠牲を強いられた惨状も広がった。

 裏口から抜け出した烏丸らは喜多沢八幡神社の裏に集まって着替えていた。

「今回は小鳥遊のために骨を折ってくれてありがとよ」

「なに、自分のためでもあるんで…」

「勘解由小路監察官は気の毒だったな」

「似合わないわよ、烏丸さん。心にもない事を…彼は加納警視正の犬よ。そして、加納警視正は六地蔵交番を潰そうと、いや、上杉所長を潰そうと必死になっていた」

「なぜそんなに上杉所長を目の敵にしたんだろうね、加納警視正は?」

「勝てないからよ。どうしても勝てない同期なの」

「勝てない !? かたや本庁勤務、かたや定年を控えた一介の交番所長だぞ。十分勝ってるだろ」

「嫉妬は厄介なものよ」

「嫉妬か…なるほどね。それはそうと、勘解由小路監察官とは結婚するはずだったんだろ」

「保険金を取り損なっただけよ」

小鳥遊監察官は大きな溜息を吐いた。

「また会いましょ」

 一同は参拝客のいないのを確認してそれぞれの方向に解散した。


 交番の監視を離れた不死川巡査部長は福留弥栄子宅を訪れていた。

「弥栄子さん、御用って何?」

「あんたに会ってもらいたい人がいるんだよ」

 奥から夫の正一が現れた。不死川巡査部長は一瞬亡霊かと思った。しかし、交番に棲み付いている亡霊とはわけが違う。まだ精気がある。

「正一さん…生きてらしたんですか !?」

「あんたに頼みがある」

「頼み !?」

「この技をあんたに残したい」

 正一は油紙に包まれたナガサを取り出した。

「手首事件は私の所業だ。私を逮捕する前に、あんたに是非その技を伝授してもらいたい。どうか…冥途の土産に私の願いを聞いてくれ」

「お願いします、不死川さん! この人はもう長くはないんです!」

「田舎では二度童子にどわらしって言葉があるが、還暦を迎えてやっと女房とのんびり暮らせると思ったのも束の間、こんたら目に遭うとは思わなかった」

「この人は路上喫煙の副流煙で命を縮めたんです!」

「このまま泣き寝入りするのは、死んでも死に切れねえと思って悪魔の所業を…」

「不死川さん、後生だから!」

 夫婦の懇願には鬼気迫るものがあった。

「私は悪魔の所業とは思いません」

 福留夫妻は予期せぬ不死川巡査の言葉に驚いた。

「私は警察官として失格です…ですが、私もCOPDに苦しんでいたんで喫煙者にはずっと殺意を抱いていました。正一さんがやってくれなければ私がやっていたかもしれません」

「…不死川さん!」

「喫煙者にはCOPDに病んだ者が副流煙で息が苦しくなる恐怖など分かるはずがない。発作の度に爆発しそうな怒りと殺気を生むことなど大袈裟だと思っている。いつか無神経な喫煙者を殺してやりたいとずっと思っていた」

 福留夫妻には込上げるものがあった。

「でも…正一さんはもう無理をなさらないでください」

「無理したくても体が言う事を聞きません。でも、この技だけは何としても残したい」

「分かりました。でも、私なんかに出来るんでしょうか !?」

「あんたを見込んで頼んでるんだ。私の目に狂いはない。あんたならきっと出来る」

 田舎では稲刈り時に知らぬ間に鋭い切り口に襲われる事故が頻発し、妖怪 “かまいたち” の仕業として恐れられた。原因は鎌によって真空状態が出来て、それに触れた部分が鋭く切り裂かれる現象だといわれている。“袈裟掛けのマサ” と呼ばれた正一の技は、ナガサによって真空状態を生み出して獣に致命傷を負わせる極意だ。


「…信じられない」

 筋がいい不死川巡査は、正一の技を一瞬でマスターした。

「やはり私の目に狂いはなかった。これで安心して…」

「あんた !?」

 正一は胸を押さえて頽れたまま動かなくなった。

「…あんた !?」

「医者を呼びましょう!」

「待って!」

「・・・!?」

「待ってください。病院で延命措置を取られて管だらけにさせたくないんです! それに…」

 弥栄子はその先の言葉を言わなかったが、不死川には分かっていた。

「大丈夫ですよ、弥栄子さん。秘密を守ってくれる知り合いの先生を呼びます。何かと力になってくれますから」

 正一は既に死んだことになっている。それをここで世間に晒す事もなかろう。不死川は正一を布団に横たえて手を合わせた。すぐに不死川巡査の呼んだ医師が来た。峯伏寺住職及び峯伏寺診療所長の小林龍仙である。

「先生…」

「私に任せなさい…いい顔をして亡くなられましたね」

 龍仙和尚は正一の死亡を確認し、手を合わせた。弥栄子は安堵で泣き崩れた。


 夜を待って火葬技師の入江が現れた。

「弥栄子さん、ご主人を一緒に送りましょう」

 入江が正一の遺体をワゴン車に収納するのを見て、弥栄子が戸惑っていると、龍仙和尚が弥栄子を案内してワゴン車に乗せた。

「火葬場でお通夜をしてから、荼毘に伏してやりましょう」

 入江は弥栄子が納得したのを確認し、ゆっくりとワゴン車を発進させた。


 福留夫妻に託されたナガサを抱えて交番に直帰する不死川の頬を、優しい春風が撫でた。


〈『第29話 組長』に続く〉

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