第25話 けじめ

 烏丸は人目を避けて八木沢に会っていた。

「実は…天馬の件だが…」

「すみません、烏丸さん! もう少しだけ待ってもらえますか?」

「そうじゃないんだ」

「え !?」

「オレの事でイレギュラーな厄介を掛けちまって」

「そんな事はないです!」

「ストップしてもらいたい」

「何かあったんですか !?」

「状況が変わったんだ」

「どういう事です !?」

「もうすぐ六地蔵交番に花輪が配属になる」

 八木沢の反応は薄かった。

「…胡桃沢の差金ですね」

「多分な、天馬への嫌がらせだろう」

「所長は彼の配属を受け入れましたか?」

「縦社会だからな、上の命令は絶対だ。これは罠かもしれない。天馬と花輪…どちらかに命を落とさせる魂胆だろう。すまないが、こっちから連絡するまで行動を控えてくれ…今回は随分世話になった。借りは必ず返すからな」

「烏丸さんに貸しなんて…」

「必ず連絡する」

 そう言い残して寒風の闇に去って行く烏丸に、八木沢は言葉を失った。何故ならば、八木沢の仕掛けは既に完了していた。今更後戻り出来る段階ではなかった。

過日、花輪は八木沢の経営する怪しげな探偵事務所を訪れた。娘の寿葉が刺殺体で発見され、自宅が放火された胡桃沢警視は、八木沢にその疑いを持ち、所を突き止め、花輪を送り込んで来た。

「…おやおめずらしい。花輪の旦那がなんでまたこんなゴミ溜めに?」

「胡桃沢警視の使いで来た」

 花輪の訪問は八木沢の仕掛けた第二幕の始まりだった。八木沢にとって花輪一頼は、まだ竹原組にいる頃、胡桃沢警視の指示で事情聴取を改竄し、組長の息子の罪を肩代わりして服役せざるを得なくなったきっかけを作ったやつだ。

「おめえ、未だに胡桃沢の犬か」

「今回の件、胡桃沢警視はあんたを疑っている」

「今回の件 !? さっぱり分からねえが、今度はオレにどんな罪をなすり付けようというのかな? こっちはそれ相応の金さえ頂ければご要望にお応えしないでもないが…」

「何故あんなことをする」

「あんなこと !?」

「胡桃沢警視のお嬢さんの殺害、胡桃沢家への放火、全ておまえの犯行だということは分かっているんだ」

「また胡桃沢に洗脳されて来たのか !? おまえ、余程バカだな。胡桃沢がおまえのことをオレらの世界で何と蔑んでるか知らねえようだな」

「・・・!」

「アバズレた不良娘をあてがう犬にされてもまだ気が付かねえとは…彼女を殺したのはおまえじゃねえのか !?」

「馬鹿な事を言うな!」

「本当に好きだったのは最初の婚約者だったことに今更気付いて腹が立ち、放火までしたんじゃねえのか !? これはオレが言ってんじゃねえ。おまえの飼い主の胡桃沢が疑っているのはおまえなんだよ!」

「いい加減な事を言うな! オレはあんたが犯人でないと言うならば、胡桃沢警視のお嬢さんの殺害と胡桃沢家への放火の犯人を捜させろという命令を受けて来たんだ!」

「命令 !? 笑わせんじゃねえよ。オレは胡桃沢の犬じゃねえんだ。犯人は花輪一頼…おまえだ。そう伝えろ、このバカ犬が!」

「私じゃない!」

「いいや、犯人はあんただ! 胡桃沢が疑っているのはあんただ、花輪…いい加減洗脳から覚めろ! 誰の所為でおまえはこんなことになった。大切な婚約者を死に追いやって心が痛まんのか !?、無神経な洗脳犬には痛まんか…しかしな、胡桃沢のジジイが生きてる限り、おまえはこれから一生呪われた人生を送る羽目になるぞ」

「・・・!」

「元の婚約者に償うなら今しかないぞ、花輪。早くけじめを付けないと今度はおまえが殺されるんだ」

「・・・」

「帰れ、洗脳野郎!」

 八木沢の怒声に突き動かされた花輪は、探偵事務所を出て行った。そしてこれから六地蔵交番で起こるであろう事件に繋がっていく。全て八木沢の仕掛けた過去への復讐はもう止めることの出来ない事態になった。


 天馬巡査の非番の日、駅裏商店街巡回中の烏丸巡査に、金城巡査部長からの内線が入った。花輪一頼巡査が交番に配属されて来たとの無線だった。上杉所長の気配りで、天馬巡査と花輪巡査が顔を合せなくて済むように香盤表も作られていたが、早くもその気配りが徒労に終わる騒ぎが起った。

 本署から御馬舎刑事と東雲刑事を従えて、再び交番に胡桃沢警部が訪れ、一同に喝を入れていた。

「手首殺傷事案が一向に解決されないのはどういうことだ! 事件発生から何ヵ月経つというんだ!」

 その大声が交番の裏の自転車置き場に帰って来たばかりの卯月巡査と天馬巡査に聞こえてきた。胡桃沢警部の煩わしい怒声は、交番に入るふたりの足を重くしていたが、一発の銃声で事態が変わった。二人は急いで駆け付けると、眉間を銃弾で捉えられて外に仰け反った胡桃沢警部が交番の外にスローモーションのように飛び出して来た。交番の奥には銃口を構えた花輪巡査が仁王立ちしていた。

「上杉所長、チャンスを与えて下さってありがとうございました!」

 花輪は、帰って来た天馬巡査に気付き、叫んだ。

「天馬巡査! お別れの前にお会い出来て良かった! 自分は責任を取ります! 申し訳ありませんでした!」

 花輪巡査はそのまま銃口を咥えて引き金を引くと、被弾して後頭部から炸裂した血飛沫が天井に散った。一瞬の出来事に一同がフリーズする中、天馬巡査は全く動じなかった。

「所長、胡桃沢警部のご指示通り、自分は手首事件の聞き込みのために、もう一度一番街商店街を巡回して来ます」

 天馬巡査は胡桃沢警部の指示に従っただけだが、既に其処に死体となって転がっている人間の指示に従って巡回に出ようとする天馬巡査の胡桃沢警部に対する怒りが滲み出ていたことで、一同の金縛りが解け、上杉所長も我に帰った。

「ああ、頼む」

 交番の内外に二人の血液が徐々に広がった。

「鑑識が来るまで現状保持。皆、交番をブルーシートで覆ってくれ!」

「ここは、よく人が死ぬ交番だな」

「“デコ捨て山” すからね」

 御馬舎刑事と東雲刑事はまたかといった態で外に出て鑑識を待った。


 巡回に出た天馬巡査は、非番の烏丸に連絡を取り、一番街商店街の喜多沢八幡神社で合流した。

「何かあったのか!?」

「花輪が自殺した」

「・・・!」

「本署から胡桃沢警部が来るタイミングを待っていたらしい」

「どういう事だ !?」

「死に場所に交番を選んだのは美朔へのケジメのつもりだろう。胡桃沢警部を銃殺して自分も…」

 暫く二人は無言だったが、先に烏丸が呟いた。

「…一気に手間が省けたな」

「じゃ、オレ、巡回の途中なんで」

 去って行く天馬巡査の後姿に魂は感じられなかった。烏丸は急いで八木沢に連絡を入れた。

「交番で花輪が胡桃沢警部を銃殺して自分も自殺した…」

「…そうですか」

 互いに何かを言い掛けたが、言葉を飲んで電話を切った。烏丸は交番に向かうのをやめにして帰途に就いたが、上杉所長から出勤要請の連絡が入った。上杉所長の話では、予想外に報道陣が詰め掛けてごった返しているという。早くも報道陣が群がって来たのは、恐らく天馬巡査の妹と花輪の件が本署の小銭稼ぎの雀どもにリークされたからに違いない。面白おかしく騒ぎ立ててお昼のワイドショーの餌にでもする魂胆だろう。出来る事なら、天馬巡査には長期休暇を取らせて暫く交番勤務を控えさせたほうがいい。花輪巡査のケジメの付け方は六地蔵交番にとって鼬の最後っ屁になってしまった。烏丸はすぐに天馬巡査に連絡した。

「交番に戻るな、報道陣の餌食になる」

「分かった」

「自転車は !?」

「坂の下に停めてある」

「所長から呼び出しがあった。オレと変わろう。オレんちの前で待ってろ」

「なんで !?」

「交番に行く前に鍵を渡す。報道陣の狙いはおまえなんだ。今やおまえは渦中の大スターだ。恐らく報道陣はお前の部屋の前でも待ち構えているはずだ」

「…そういうことか、分かった」

 烏丸巡査は天馬巡査に鍵を渡し、交番に向かった。烏丸巡査が交番に着くと二つの遺体が運び出されるところだった。規制線に立っている卯月巡査と呼び出されたであろう非番の不死川巡査、金城巡査部長、清水巡査らは底冷えの冬真只中に群がった報道陣の質問攻めに無言を貫いていた。

 交番の中で鑑識の篠田元哉と長谷部薗子が現状記録している傍で、御馬舎刑事と東雲刑事が上杉所長と何やら話し込んでいた。金城巡査部長が支度を整えた烏丸巡査に近付いてきた。

「烏丸巡査、規制を代わってください。私は清水巡査と巡回に出ます」

「了解!」

 烏丸巡査は金城巡査部長に代わって不死川巡査や卯月巡査と規制線に並んだ。 不死川巡査は烏丸巡査に振り向いた。その目は “天馬巡査をうまく逃がしたか?” と問うていた。烏丸巡査は頷いた。卯月巡査も烏丸巡査の心の声に安堵した。


 御馬舎刑事と東雲刑事が交番の中から出てくると規制線の報道陣は一層煩くなった。二人は無言で報道陣を掻き分けて、後に続く鑑識の二人も車に乗り、去って行った。待機していた3名の清掃員と擦れ違い、上杉所長は交番から出て来て報道陣の前に立った。

「明日ですね、本署で詳細をご説明致しますので、今日は一先ずこれでお引き取り下さい。じゃ、皆さん宜しく!」

 報道陣の一人、執拗な女性リポーターがブルーシートの隙間から交番の中を覗くと、犯行事件現場の清掃作業が始まっていた。不死川巡査が咎めるとしつけの悪い犬のように質問攻めで吠えまくって来た。不死川巡査はこの女性に見覚えがあった。女性リポーターの名は平野カエデ。不死川巡査の記憶の中では警戒すべき存在だった。

「平野さんじゃありませんか!」

 平野は懐かし気に名指しをする不死川巡査に一瞬警戒し躊躇った表情になった。

「SNSは治まりましたか?」

 平野はかつて浮気タレントに対する度を越したえげつない質問で批判を繰り返し、逆にネット批判を浴びて炎上していた。

「あれは…」

「どうなりました? 心配していたんですよ」

「それより、今日は大変でしたね」

 平野の切り替えしを無視して、不死川巡査は更に続けた。

「ネットの批判は治まっても記録は消えませんから怖いですよね。その後、何か効果的な手でも打たれました?」

「特に…」

「レポーターの方って本当に心が強くなければ務まりませんよね」

 平野はブルーシートから離れた。卯月巡査が寄って来た。

「害虫除けのテクニック、勉強になりました」

「オレはとっても心配して言ったんだよ、警察官だからね」

「はいはい」

 傍で聞いていた上杉所長が大笑いした。そこに金城巡査部長と清水巡査が巡回から帰って来た。

「所長、不謹慎じゃありません? 警察官が二人殺害されたばかりですよ」

 金城巡査部長は大真面目に上杉所長に提言した。上杉所長は即座に笑顔を抑えると、金城巡査部長が笑いを堪え切れずに大笑いしそうになったのを不死川巡査は慌てて制した。

「平野リポーターがまだブルーシートの外に…」

「相変わらずしつこいわね」

「なに、そのうち業界から消えますよ」

「殺しても消えそうにないよ」

「いえ、消えます。近いうちに彼女のダブル不倫がリークされます」

「おー怖っ! ご愁傷様な事だ…で、どこからの情報 !?」

「企業秘密です」

「不死川さんは企業秘密が好きだな~」

 金倫舎の特殊清掃が一段落した。

「近藤さん、いつも済まんね」

「毎度あり!」

 近藤社長は笑顔で応えてすぐに作業の片付けに戻った。彼は無駄口を叩かない。何も聞かない。上杉所長は手首事件の現場の後片付けも全て近藤の経営する金倫舎に依頼していた。特殊清掃の会社を始めるきっかけは上杉所長だった。介護していた難病の母にせがまれた嘱託殺人の刑期を終えて出所したはいいが、中々職に有り付けないでいる近藤に、人の嫌がる特殊清掃の開業を促し、上杉所長は開業資金に自腹を切った。そして事件現場の清掃の度に近藤を呼んで今に至っている。

「上杉所長、終わりました」

 相変わらずの完璧な仕事ぶりだった。すっかり元の交番に戻っていた。

「何だ、この香りは?」

「お気に召しませんか? 我が社で開発した作業後の消臭兼消毒剤なんですが…」

「いや、いい香りだよ。新築の香りだな」

「ありがとうございます! 故郷の荒れた山で不要になったヒノキの間伐材から抽出して製品化しました」

 事件現場の清掃員、所謂“特殊清掃員”は血腥い被害者の血液や体液を拭き取る心身ともにタフさが要求される作業だ。勤務時間も警察官並みに不規則である。夏には臭気も強く地獄を味わう仕事だが、最も寒いこの時期は比較的作業の負荷が少ない。感染の危険性にさえ気を配ればまず問題ない。特殊清掃員3人のうちのリーダー・近藤礼二はこの仕事が長かった。交番での殺傷沙汰とあって、部下も信頼に足る二人を連れて来た。看護師上がりの高遠容子、作家兼タクシードライバー崩れの郡司晴海だ。急ピッチで進められた作業中、交番の奥にふと人の気配を感じた近藤が振り向くと、大勢の警察官が壁際に立ち並んでいた。彼らに生命反応はない。近藤は何もなかったように作業に戻ろうとすると視線を感じた。部下の高遠と郡司が自分を見てニヤリと微笑んだ。壁際の “ご一行” は彼らにも見えていた。


 近藤たちが上杉所長に送られて交番のブルーシートを出ると、執拗な女性リポーター平野が待ち構えていてマイクを差し向けて来た。

「中はどんな様子でしたか!」

 近藤もこの女性リポーターには見覚えがあった…というより、忘れもしない過去の1ページを汚した女だ。かつての逮捕後に散々罵った平野カエデ。近藤の中では記憶から抹殺したくともどうしても消えない存在なのだ。近藤は平野からマイクを取り、大声で “いぬのおまわりさん”を歌い出した。

「♪まいごのまいごのこねこちゃん あなたのおうちはどこですか?」

「マイクを返してください!」

「マイクを差し出すから、歌えと言われてるのかと思って…」

「違います!」

 近藤は荒々しくマイクを奪い取る平野を煙に巻いて部下とともに車に乗って去って行った。その様子に、上杉所長は近藤を誇らしげに見送って交番に戻って行った。寒風の中にひとり取り残された平野は引き上げるしかなかった。外とは対照的に交番の中は新築の香りと、近藤の気遣いによるお香の煙漂う穏やかな空間が広がっていた。


〈『第26話 LGBTQ上等』に続く〉

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