第24話 花嫁
不死川巡査が緊急入院したあの日、警護で病室の前に待機した烏丸巡査は思い出していた。
天馬と烏丸が喜多沢署の刑事課に勤務していた頃、天馬の妹・美朔も警察官で、同じ喜多沢警察の署轄である中野毛交番の巡査として勤務していた。当時、まだ本署刑事課の同僚だった
天馬は破裂しそうな胸の錯乱を必死に抑えて現場に駆け付けると、最悪の現実が待っていた。交番トイレで拳銃自殺した無残な美朔の姿に、天馬は腰が砕けた。追い掛けて来た烏丸は鬼の表情で体を震えさせて怒りを堪え、天馬を強く抱き抑えた。
「美朔が…なぜこんなことを !?」
金城巡査部長は掛ける言葉を失い、現場に残された美朔の走り書きを手渡した。そこには “お兄ちゃん、ごめんなさい” とだけ記されていた。
美朔は同じ交番勤務の花輪
「分かったわ」
「理由を聞かないのか?」
「あなたが幸せになれるなら、それでいいの」
美朔は知っていた。花輪の上司である胡桃沢重寿警視の我儘娘・
「どういうことなんだ !?」
「いいのよ、お兄ちゃん。私は大丈夫」
会話はそこで途切れてしまった。天馬はすぐに烏丸に相談した。烏丸は絶句した。
そして翌日、交番で悲劇が勃発してしまった。美朔にとっては精一杯生きた証の叫びだったのかもしれない。
天馬をよく知る烏丸には、今後、花輪と胡桃沢父子に対し、天馬がこのまま “こと” を済ますつもりはなく、重大な決意に至っている腹の中は読めていた。
「天馬…」
「オレはこんな卑屈な連中がのさばる組織に飲み込まれるつもりはない」
「オレだって…」
「おまえには関係ない…ただ、オレのやることに口出ししないでくれ」
「関係なくはない…オレは…美朔ちゃんのことが…」
「…烏丸、おまえ、まさか」
「美朔ちゃんが幸せになれるなら、それで良かったと思っていた…だから、美朔ちゃんが婚約を解消されても相手が幸せになれるならいいと思うよう努力した気持ちは分かる。けど…やっぱりそう思ったまま耐えて生きていくのはつらいんだ。なんで…なんで…」
「烏丸…」
「オレは知っている。諸悪の根源は胡桃沢警視の娘の寿葉だ」
「胡桃沢警視の娘 !? おまえ、なんでそんなことを知っているんだ !?」
「…本署の廊下で偶然聞いてしまった」
「何を !?」
「胡桃沢警視が花輪に娘の事を…話してた」
「・・・」
「でも、まさか…結婚式間近の花輪がそんな話に応じるわけがないと…」
「…そうだったのか」
「花輪と我儘娘の寿葉は同罪だ。更に、胡桃沢警視にも罪は償ってもらう」
「どうするつもりなんだ !?」
やるせない憤りに堪えかねていたのは天馬だけではなかった。烏丸は交番の捌けたその日の夜、八木沢を呼び出して事の顛末を話した。
「こういう場合、お前らの世界ではどうするんだ?」
「姉さんに手え出したやつにはそれ相応のけじめは付けさしてもらいますが…烏丸さんの様子ではその程度ではお気が済みそうもありませんよね」
「おまえならどうする?」
「因縁ですかね」
「因縁 !?」
「胡桃沢には大層世話になりましてね。人生を棒に振るくらいお世話になりました。警察と戦いたくて組に入ったんすよ。だけど、適いっこありませんよね」
「あの事件の時の?」
「花輪はオレのありもしないでっち上げを組長にチクった男なんです」
「花輪が !?」
「そして胡桃沢に無理矢理犯人にされちまいましたよ。今思えば、胡桃沢が糸を引いて花輪を操っていたかも知れませんね」
「…あり得るな」
「お陰で組を破門になってこのざまだ。烏丸さんがいなけりゃ、とっくに殺されてる」
八木沢の言う “あの事件” とは、八木沢が竹原組の幹部だった頃に、組長の息子・征爾が犯した部下のリンチ殺しの汚名を着せられて服役に至った事件だ。表向きは征爾の嘘を信じた花輪が、父親である組長の竹原兼基に息子の事情聴取内容を話してしまったことで事が拗れてしまったことになっている。花輪は聴取内容漏洩の責任を取らされ、美朔の勤務する中野毛交番に降格勤務となった。
「見方によっては花輪も被害者かも知れないが、花輪の心変わりは絶対に許せない。それに関わった全員が同罪だ」
「手始めに花輪と胡桃沢の娘の結婚をぶち壊すしかありませんね。料理はそれからじっくりさせてもらえませんか?」
八木沢は過去に己に起こった恨みに奮い立っていた。烏丸は了承した。
花輪一頼の結婚披露宴の日が来た。映像業者のスタッフが映写スライドをセットしていた。八木沢である。会場に映写されるスナップが用意された。
「新郎新婦の入場です!」
新郎の花輪と新婦の寿葉がスポットライトの中を満面の笑顔で進み、ブライダルテーブルに到着し、会場から盛大な祝福の拍手を浴びて着座した。
「それでは皆様、暫しお二人の今日までの幸せのショットをご覧ください」
司会者が案内すると会場のスクリーンに熱愛中の幸せなツーショットが現れた。歓声から一間合ってどよめきが起こった。スクリーンに映った花輪のお相手が新婦の寿葉ではないことに会場が気付いたからだ。花輪と美朔の交際時のツーショットが次から次とスクリーンに映し出されていった。
慌てふためく新郎の花輪は、会場担当の黒服を呼び、スクリーンの中止を訴えたその時、新婦の寿葉が立ち上がり、花輪の頭からグラスのシャンパンを浴びせて会場を小走りに出ていった。
翌日、天馬は本庁の胡桃沢警視に呼び出されていた。
「君の妹は配属先の交番で命を断ったそうだね」
「…はい」
「うちの娘も結婚が破談になってね…それも披露宴の当日に」
「・・・」
「人間は一寸先は闇だね。この先何があるか分からない」
「・・・」
胡桃沢警視は終始、慇懃無礼な笑顔で天馬を重苦しい空気に閉じ込めた。
「今日はよく来てくれた。君の顔が見たくてね」
天馬は何事もなく解放された。その翌日、天馬には六地蔵交番勤務の辞令が降りたのだ。
天馬巡査が六地蔵交番に勤務するようになって暫くすると、その後を追って、烏丸巡査が配属されて来た。
「…おまえ…どうして !?」
「まあまあ先輩!」
「先輩 !?」
「巡回のご指導お願いします! 所長、宜しいでしょうか?」
上杉所長は笑って頷いた。二人は巡回に出た。烏丸巡査は話したかった。
「すまない…オレのせいだ」
「よせよ、烏丸。どっち道あそこには居づらかったんだから」
「オレはもう荷物をまとめて去るお前の姿は見たかねえ。おまえを見送りながら自責の念に駆られて居ても立ってもいられなくなった」
「おまえには何の責任もないだろ」
「転属願を出したら、すぐにOK貰ったよ」
「おまえ、分かってんのか、ここに来たという事は、もうこの先…」
「美朔ちゃんのこと、このままでいいのか?」
「・・・」
「天馬…おまえ、まだ気持ちのケリは付いてないだろ」
「・・・」
「ひとりでやる気か? それは絶対によせ。理不尽には理不尽でお付き合いすればいい。果報は寝て待てじゃ駄目なんだ。その点、警察官って案外虫のいい職業だってことはオレたちが一番よく知ってるじゃないか」
それから何日も経たない間に、胡桃沢警視の娘・寿葉はスポーツジム帰りに途中の公園で刺殺体で発見されたというニュースが流れた。それに続いて胡桃沢警視の自宅が放火され、生憎小火に終わった事件が寿葉の事件と絡んで報道された。
日を空けず、豪い剣幕で胡桃沢警視が六地蔵交番に現われた。
「天馬くん…君のつらさは分かるが警察官として間違った行動はくれぐれも慎んでもらわないとね」
「仰ってる意味が分かりませんが?」
「意味は分かるだろ。君の妹が男狂いで拳銃自殺をした。それを逆恨みして報復しようとする者がいる」
無言を貫いている天馬巡査に代わり、烏丸巡査が胡桃沢警視に咬み付こうとした。
「お言葉ですが…」
すぐに上杉所長が烏丸巡査を遮った。
「胡桃沢警視、天馬巡査は厳しいご不幸を背負いながらも真摯に通常の業務に徹しています。何か問題があるのであれば、その証拠となる書類を私に見せていただけないでしょうか? それによっては厳重処分にします。胡桃沢警視がわざわざ交番まで足をお運びになられたからには、当然そういう事実に基いての事と思います。どうかその証拠書類を見せてください。これ以上、私の部下を甚振るなら私がお相手します」
「…話は以上だ」
偶に見せる上杉所長の狂気にたじろぎ、胡桃沢警視は専用車に乗って去って行った。
「天馬くんは八つ当たりのターゲットにされたようだな。胡桃沢警視は娘さんのご不幸が受け入れられないんだろ」
「天馬巡査だって、妹さんの…」
「烏丸、巡回の時間だ」
「ああ」
天馬巡査は烏丸巡査の言葉を遮って巡回に出た。
「オレのやることなすことが結局おまえを追い詰めてるよな」
「そんなことはないよ。感謝してるんだ、オレは」
「そう言ってくれるのは嬉しいけどよ、天馬…」
「ほんとに感謝してるんだ。妹が死んでからオレは金縛りに遭ったみたいに頭が働かないんだ。お前のお陰で何とか冷静を保っているけど…爆発しそうなんだ」
「じゃ、いいんだよな。また何かが起こっても…いいんだよな」
「起こって欲しいことは…まだ二つある」
「そう、二つだよな!」
ナースセンターのほうから長谷川母子歩いて来たのに気付き、烏丸巡査は遠い日の思い出を打ち切った。病室に入る長谷川母子を見送り、廊下の窓に目をやると、東京の空から疎らなゴミが零れ落ちて来た。荒んだ舞台の第二幕に相応しい貧相な初雪だった。
〈『第25話 けじめ』に続く〉
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