第22話 性能の悪い人

 “デコ捨て山” での相次ぐ巡査の不審死で、無二の親友・及川巡査部長もその餌食になったのを機に、真相を解明しようと六地蔵交番勤務に手を挙げた岩淵巡査部長だったが、疑惑の中心人物と睨んだ不死川巡査には全くこれといった手掛かりを見出せないでいた。その矢先、どこの餓鬼だか分からぬ子どもに “もうすぐ死ぬ” と予言されたことが気に掛かって頭から離れなくなり、必要以上に不死川巡査に警戒心を抱くようになっていた。


 頬伝う風に冬の気配がする季節は、自転車を漕ぐ巡回に丁度良い。今日も不死川巡査はいつものルートを回っていた。日によって不規則に回るべきだと考える警察官もいるが、不死川巡査は同じ順路を辿る事で街の変化に気付けると考えていた。そのため、悪ガキどもの間では、不死川ルートに紛れ込むと抹殺されるという都市伝説さえ囁かれるようになっていた。中には虚勢を張って試す者も出たが、彼らは面白いように街から消え、不死川による抹殺説が囁かれるようになった。警察には都市伝説を捜査する裁量はない。不死川巡査は警察組織と地域の重鎮たちに守られて、今日も “お掃除” に励んでいた。

 いつものように長谷川家のバス停の前で停まった。換気のためか今日は珍しく2階の洋子の部屋の窓が大きく開け放たれていた。すると、玄関から母の達子が顔を出した。

「不死川さん、ちょっといいですか? お話もあるので寄ってってもらえません?」

 不死川巡査は請われるままに長谷川家の入り口に立った。

「どうしました? また何か困った事でも起こりました?」

「いいえ、そうじゃないんです。いじめの件といい、ストーカーの件といい、きちんとお礼を言っていなかったので、洋子が直接お礼を言いたいと…」

「いいんですよ、そんなこと。仕事ですから」

「いえ、仕事じゃないでしょ。洋子は交番のおまわりさんにきつく言われています。民事には介入しないと」

「民事ね…どこまでが民事なのか…警察官でも線引きが曖昧なんですよ。それに第一、法律上直接に民事不介入の原則を定めた規定なんてありませんよ。ぶっちゃけ、警察が被害者のSOSをふるいに掛ける目的にするのが “民事不介入の原則” って代物なんですよ。お恥ずかしい限りです」

「でも、不死川さんがすぐに対処してくれたお陰で大事に至りませんでした」

「私は人が嫌いなんです」

「え !?」

「特に性能の悪い人が嫌いです」

「すると、私らのこともお嫌いですか?」

「そういう意味じゃありません」

 達子は不死川巡査の言葉の意味が分からなかった。

「いじめやストーカー行為は性能の悪い人間がやらかすことだと思っています」

「…どういう」

「私が性能の悪い人というのは、他人に危害を加える人のことを言っています。自分の性能の悪さ、つまり、その不安や怒りを他人にぶつけて自分の心を安定させようとする人のことです」

「そういう人なら結構居るわね」

「人を貶めたところで心の安定は一過性の勘違いです。何の解決にもなりません。こちらも、そうした身勝手な行為を黙認したり、簡単に受け入れていたら、いくら命があっても足りません。他人からの身勝手の火の粉を即座に振り払うために、撥ね付ける知恵と覚悟が必要なんです」

「どうしたらいいのかしら?」

「“殺意” を持つことです」

「“殺意”…ですか…私らには怖いことです」

「いえ、それは違います。殺意を持たないことこそ怖いことなんです。なぜ多くの人が街で暴れる無差別犯の犠牲に甘んじてしまうとお思いですか? 向こうは命を懸けて殺しに来ているんです。でも、誰もが逃げようとします。それは自分の命を守る意志が、加害者の覚悟には劣るということを意味します。逃げる一方で、自分のことが第一で、他人など助ける余裕もありません。そのため人々が何人居ようと一対一が成立して、より強い覚悟を持っている無差別犯に有利な構図が成り立つんです」

「警察の方に助けてもらうしか…」

「警察に助けを求めようにも、すぐには来てくれません。警察が来るのは大概事件後です。こちらが単なる逃げ腰なら、警察が来る前に火の粉は降り掛かります。犠牲に甘んじたくなければ、殺意を持って同士討ち覚悟で立ち向かうしか助かる方法はないんです。相手が凶器を持っている場合、はずみで殺してしまっても “緊急避難” という立派な理由が成り立ちます」

「そんなことをしたら一生後悔の念で苦しみそうです」

「だとしても…私は、自分の死で残された家族に一生悔恨の傷を負わせてたくはありません」

「…そうよね」

「その真逆だってあります。命を賭して人命救助をした人が、多くの人々の称賛を得ている裏で、命を落とした人のご家族がどれだけ多くの悲しみと長い期間を苦しみ続けているかご想像は付きますよね。称賛した多くの人はそのことをすぐに忘れますが、ご家族は一生忘れることは出来ないんです」

「しかし、私たち一般人と違って、不死川さんは命を賭して人命救助をしなければならない立場にありますよね」

「私は、卑怯な警察官ですから、私にとって大切な人以外のためには命を賭けないと決めています。私は警察官失格なのに報酬目当てで図々しく警察官をしています。すみません」

「すると、不死川さんに助けていただくには、不死川さんにとって大切な人になるしかないのね」

 いつの間にか、玄関の奥に洋子が立っていた。

「長谷川さんご家族は、私にとってとても大切な人たちです。さっきも言ったように、私にとって大切じゃない人は性能の悪い人たちです」

「何か、安心したわ」

「ご存じですか?」

「・・・?」

「文科省が、ついに“いじめ問題への的確な対応に向けた警察との連携等の徹底について”とお役所らしい記憶に残り得ない長ったらしいタイトルを掲げて各都道府県の教育委員会等に通知したことを」

「どういうことです?」

「つまり、通知の2023年2月7日以降は、学校で起こった犯罪にあたる重大ないじめに関しては、すぐに通報しなければならなくなったんです。“いじめの通知義務” でいいじゃありません !?」

 不死川巡査は冷笑した。

「洋子の時にそうなってて欲しかったわ」

「そうですね。いじめの具体例もいくつか示されています。靴や体操服、教科書等の所持品を盗んだら窃盗(刑法第235条)、自転車を壊したり、制服をカッターで切り裂けば器物損壊等(刑法第261条)、度胸試しとかゲームと称して無理やり危険な行為を強いたら強要(刑法第223条)、『死ね』と言って同級生が自殺したら自殺関与(刑法第202条)で少年法が適用されます」

「少年法は被害者側としては好きになれません」

「分かります。でも今後はいじめに対しては学校も教育委員会も以前よりは揉み消し難くなったわけです」

「寒いですからちょっと家に上がってもらえませんか?」

「いえ、巡回がありますので」

「あの…」

 洋子が玄関まで出て来た。

「今度、非番はいつですか?」

 不死川巡査はにっこり微笑んだ。

「明日、お邪魔しようかな?」

「ほんとですか!」

「あ…でも、洋子さんは学校かな?」

「いえ、お待ちしています!」

 巡回の帰途、不死川巡査は自分がなぜあんな発言をしたのか心が揺れていた。


 巡回から帰ると岩淵巡査部長の不穏な態度が鼻に付いた。

「岩淵巡査部長、私に何か言いたいことでもおありですか?」

「…別に。どうしてだね?」

 立ち番の清水巡査が大きめの独り言を呟いた。

「及川巡査部長を私が殺したと思ってるみたいです。そう仕向けたのは不死川巡査部長じゃないかと仰っています」

「及川巡査部長の事故のことに随分興味がおありのようですね」

「別に…自分の働く職場の事なので、何があったのかと思ってね」

「及川巡査部長の死に疑問を持ってらっしゃるということは、及川巡査部長と特段親しかったんですね?」

 不死川巡査の鋭い切込みが始まった。日勤の天馬巡査と烏丸巡査の耳はダンボになった。

「及川巡査部長がそういうことを仕出かすような人間とは…」

「そういうことを仕出かした人間なんです。現場検証でも証明されていますし、立ち番をしている清水巡査が直接の被害者なんですよ。一歩間違えば、彼女のほうが犠牲になっていたかもしれないんです。金城巡査部長と私も目撃者ですが信用出来なければ、疑問がおありのようですから事件を担当した本署の御馬舎刑事と東雲刑事に直接お尋ねになったらどうですか? 連絡して差し上げましょうか?」

「いや、それには及ばない」

「そうですか? でも、ついでがあれば岩淵巡査部長が及川巡査部長の事件に疑問を持っているので説明してもらえるよう伝えておきますよ」

「要らんと言ってるだろ!」

「あなたに怒鳴られる筋合いはないですよ、岩淵巡査部長」

 表情が厳しくなって押し殺したトーンになった不死川巡査に殺意を覚えながら、岩淵巡査部長は及川巡査部長の死に間違いなく関わっていることを確信した。そして愈々命の危険が己自身に迫っていることに強烈な危機感を覚えた。


〈『第23話 不死川のピンチ』に続く〉

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