第20話 名物

 過ごし易い晩夏となった。忘れかけた頃に、煙草を挟んだ手首事件が起こる今日この頃の一番街商店街は絵に描いたような割れ窓理論の様相を呈した荒れ放題だったが、手首事件の影響で人通りは絶えるどころか一層賑やかになっていた。路上喫煙さえしなければ安全なスラム街とでもいうのだろうか、“手首事件発祥の地” と謳い、チョコ棒を挟んだ “手首パフェ” なる珍品スイーツを出す店さえ登場した。駅裏商店街も負けじとカニの手に駄菓子のココアシガレットを挟んだ “手首ピザ” やら、手首のような形の餃子にアスパラを刺して焼いた “手首餃子” を出すなどの悪乗りメニューまで出てきた。SNSでは双方の商店街を “手首通り銀座” と名付けられ、切り取られた手首が描かれたオリジナルTシャツを着て闊歩する若者がトレンドとなり、一番街と駅裏商店街は手首商戦激化の中、人気スポットとなった。

「商店街では手首殺人犯が捕まらなければいいという風潮ですよ」

「路上喫煙者もめっきり見掛けなくなりましたね」

「荒れ放題の商店街に、上杉所長は何もなかったような顔をしてますけど、ひとりコツコツと掃除してるのを見掛けましたよ」

「我々も巡回の度に少しづつ掃除するしかありませんかね」

 金城巡査部長がポツリと呟いた。

「そう言えば金城先輩、この間、駅裏商店街で見掛けましたよ」

「何を !?」

「金城先輩をですよ」

「あ、そう」

「手首ピザを美味しそうに食べてたでしょ」

「だから何?」

「いえ…あの、美味しかったですか?」

「あなたも食べてみたら?」

「ですね…じゃあ、掃除を兼ねた巡回に行ってきます!」

 天馬巡査は気勢を削がれてそそくさと巡回に出掛けた。天馬巡査に釣られて烏丸巡査と卯月巡査も別地区に自転車を走らせた。残った清水巡査はそれとなく金城巡査部長に聞いた。

「…で、手首ピザってどうでした?」

「まずかった」

「やはり」

「思い付きで慣れないメニューは出すもんじゃないわよね、客失うよ」

「でも、今の子はインスタ映えさえすれば満足なんじゃない?」

「そうなのかしらね」

「それに、コロナの後遺症で味覚音痴が増えているようだし」

「コロナだけの所為じゃないでしょ、レトルトで育ってるから。それに、ろくに料理をしないから幼い頃から味覚がバカになってるのよ。一人暮らしだと部屋に台所用品が一つもないっていうじゃない?」

「すみません」

「あんたもそうなの !?」

「先輩は料理するんですか?」

「当たり前でしょ、そのほうが経済的だし、健康も守れる。添加物塗れ、農薬塗れの具材でいつか癌になっても知らないわよ」

「そんな…」

「でも、こんな危険な仕事をしているし、どうせ長生きは期待出来ないんだからそんな事に気を使う必要もないか」

「なんか刺さります、先輩」

「さて、私は日勤だからそろそろ帰るね」

 金城巡査部長はさっさと帰り支度を整えて交番を出ていった。清水巡査は金城巡査部長を見送りながら立ち番に出て、憎き報復のターゲットを失ったばかりの満たされない空虚感に溜息を吐いた。


 その頃、不死川巡査は巡回の足を止められていた。“皆さん、今日もお集まりですか?” と声を掛けたのが運の尽きだった。地元の老人たちの愚痴で賑わう月一回の老人会には、商店会の顔役の畠山仙太(元・金物屋)、宇田川長治(材木屋隠居)、藤巻博史郎(元・呉服屋)、中村善治(現役蕎麦屋)らいつもの面々が集まっていた。

「寄って行きなよ、京ちゃん」

 閉店した写真館跡を利用した集会所にいつものメンバーが集まってお茶会をしていた。フットワークの良い仙太は既にお茶を淹れて不死川巡査に出していた。

「またそんな大きなゴミ袋抱えて…オレ達に行動を起こさせようとしたって無理だよ。役所が動かない限り動かないと会議で決めたんだから」

「分かってますよ。所長がひとり始めたもんだから、オレだって仕方なくやってるんです」

「お茶冷めるよ」

 不死川巡査にとって彼らは情報源の一つでもあるのでお茶の御呼ばれを無下に断る理由もなかった。彼らの話題は専ら変わりゆく街の今昔物語。

「京ちゃんよ、この街も随分、可笑しな街になったもんだね」

「あのイヤホンで踊る騒音対策のエア盆踊り…醜いねえ。笑わせんじゃねえよ。傍から見てたらあぶねえカルト団体だ」

「街の開発だなんてのたまっているが、駅を出たらすぐに喫煙所だ。これが路上喫煙全面禁止を謳っている街の駅前か?」

「2メートル足らずの柵で煙が駄々洩れだ。仕切ったって意味ねえだろ。見てみろ、柵の外に出て吸ってる野郎もいる。結局、柵の中が煙てえんだろ。てめえらに吸われている周りはもっと煙てえんだよ、バカ野郎」

「その上、喫煙所の周りは吸い殻だらけだ。思わず手首が落ちててくれてねえかと捜しちまったよ」

「それによ、このところこの街は古着屋ばかりが増えてんじゃねえか。はっきり言って、いい若いもんが古着だなんてみすぼらしいんだよ」

「店の中に入ってみな。黴臭くていけねえや。中に居るやつらの鼻はどうかしてんじゃねえのか !?」

「鼻だけじゃねえ。頭がどうかしてんだよ」

「人出が多くたって店の中はどこもガラガラじぇねえか。仕事にあぶれて、しけた野郎の溜まり場じゃねえんだ、この街は。たまに客が入ってるなと思えば、注文した食い物が来た途端、すぐに写真だ。喰うより何とか映えだなんつってネットに乗せるために注文してんじゃねえよ。すぐに喰えってんだよ」

「街が汚なくなったから古着屋がお似合いだよ。ゴミに蛆が湧いて蝿も出て来た。これがほんとのバエだよバエ」

「そういえば蕎麦屋の善さんよ、死んだ正一さんの幽霊を見たって落ち込んでたぞ」

「正一さんが死んだ所為じゃねえだろ。いつまで経っても蕎麦の腕が上がらねえからだよ」

「違うよ!」

「おまえんとこはいつ行ったって空いてるからな。コロナの心配はいらねえだろ」

「そうじゃねえよ。オレを迎えに来てるんじゃねえかと思ってよ」

「善さんは正一さんと特に親しかったからな」

「正一さんはあの不味い蕎麦屋によく通ってくれてたでしよ」

「まずいまずいって言うなよ」

「そうだよ、仲間の悪口を言うのはやめろよ」

「蕎麦が不味いのはほんとだろ」

「そこを我慢して美味い美味いって喰ってやるのが仲間じゃねえか」

「正一さんは死んだんだぞ」

「蕎麦喰った所為みたいに言うな!」

「おまえ、喰いに行ってねえんじゃねえのか !? 本当はどんな味かも分からねえだろ」

「…暇がなくてな」

「暇だろ、ここに入り浸ってんだから」

「本当はどんな味なんだ !?」

「そんなの勇気を出して自分で確かめろよ」

「だけどよ、今時そば一杯200円だぞ、それも調味料無添加でよ」

「調味料は入れたほうがいいよ、善さん」

 場の空気が気まずくなりそうなので不死川巡査が言葉を挟んだ。

「その幽霊の話を聞かせてもらえませんか?」

「それよ…正一さんは死んでからも善さんとこの店の前を行ったり来たりしてたらしいんだ」

「死んでも善さんの蕎麦が喰いたかったのかな」

「それはないと思う。善さんの蕎麦じゃなく、善さんに会いたかったんだと思う」

「やっぱり迎えに来たのかな」

「多分ね」

「自分はこの地域に配属以来、寿食堂さんの常連です」

「流石警察官! 男気があるじゃねえか! 日頃から慈善事業ご苦労様です!」

「例え火の中水の中! 警察官の鏡だね!」

 善治の蕎麦屋は仲間内では評判が今一だが、不死川が六地蔵交番勤務時から通い続けている明け番の蕎麦屋こそ、善治の “寿食堂” だった。味が絶品とは言えないが、商店街の旦那衆が扱き下ろすほどまずいわけではない。安心する味だし、値段も安い。そば一杯200円、カレー大盛り400円、それにゆで卵を付けても700円で済む。不死川巡査には何よりだった。しかし、善治が正一と懇意だったことは知らなかった。何か新しい情報が得られるかもしれないと、善治の店を訪ねる約束をした。


 次の日、不死川巡査は巡回の途中でさっそく善治の蕎麦屋 “寿食堂” を訪ねた。善治は息子・寿治に店を任せて居間でぼんやり茶を飲みながら黄昏ていた。不死川巡査を見ると急に生き返ったように目を輝かせた。

「京ちゃん! ほんとに来てくれたんだね!」

 善治は不死川巡査の訪問を大層喜んだ。思いの外、福留正一のことに詳しかった。それだけ深く付き合っていたのだろう。善治の話によると、正一は腕のいいマタギ猟師だった。猟に使用する武器は鋭いナガサ一本。マタギ仲間には “袈裟掛けのマサ” と呼ばれる名うての名人だったそうだ。武器のナガサは本来、刺して引き抜く時に内臓を破壊する殺傷力のある切っ先に特徴があるが、正一には熊も気付かぬ速さで首を落としたという逸話さえあるという。

 不死川巡査が、一連の手首事件を推理してみるに、元カラス部隊だった妻の弥栄子が黒装束で路上喫煙者を発見するや、夫に連絡。連絡を受けた夫は闇に紛れて煙草を持ったその手首を一太刀で腕から切り落とし、本人が気付く前にその姿は消え、商店街の路上にはタバコを挟んだ手首が転がった…とみれば合点も行く。しかし、不死川巡査は黙視することにした。

 正一との思い出を気の済むまで不死川巡査に聞いてもらった善治は、憑き物が落ちたように安堵の表情が甦り、“店に下りるから蕎麦を喰ってってくれ” と言うのでそうしたかったが、警察官の制服で数人の客の居る店に腰を据えるわけにもいかず、また非番に来ると言って、中村家を後にした。いつの間にやら小雨が降っていた。不死川巡査は午前の巡回を切り上げて交番に急いだ。


 深夜に掛けて土砂降りになった。人通りが少ない所為か、久々に手首事件が発生した。不死川巡査と卯月巡査が駆け付けると、犠牲者を搬送する救急車が去って行くところだった。事件現場ではずぶ濡れの鑑識官らが、血に染まっていたはずの吸い掛けのタバコが雨に叩き付けられて粉々に散っているのをひとつひとつ拾い集めていた。正一が他界してからも手首事件が起こった。模倣犯なのか、それとも正一の亡霊なのか、どちらにしても不死川にとっては拒絶し難い犯行だった。


〈『第21話 散歩の老人』に続く〉

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