第19話 性犯罪者

 警察組織の温床に逃げ切った馬淵巡査部長を冷笑しながら、不死川巡査の通常勤務は今日も続く。これだから警察官の仕事は堪えられない。組織はどこまで不合理の隠蔽が出来るのか試す毎日は悪くない。そんなことにほくそ笑んで巡回していると、通り過ぎた民家の隙間にまた違和感が残った。僅かだが猫のような呻き声が聞こえた気がした。不死川巡査は自転車を降りて方向を変えないまま民家の隙間まで後戻りすると、そこに違和感の正体があった。若い男が小学生の女児をレイプしようとしている。不死川巡査は音を立てないように獲物を求めて民家の隙間に入って行った。男に近付くと、無言で後頭部に強烈な鉄拳を浴びせた。つんのめって振り向いた男の喉を思い切り踏み付けると息が苦しくなった男は悶絶した。大事に至らなかった女児に帰宅するよう促すと、走って逃げ去った。

「め~っけっ! やはり、お前か、お病気の元也く~ん」

 不死川巡査は男をよく知っていた。この男、藤田元也は不死川巡査が六地蔵交番に配属になった頃にも一度捕まっているが、証拠不十分で釈放された過去がある。このところ女児被害の通報が度重なって、数人の男が警戒の対象になっていた。

「また、やっちゃたな元也く~ん。オレの当番のときにやっちゃったらまずいだろ」

「す、すいません!」

「本来なら現行犯で逮捕、送検するんだろうが、オレは逮捕しないよ」

「ありがとうございます!」

「足元が汚れるだろ。確かおまえ、綺麗好きだったよな」

 不死川巡査の優しげな言葉に蛇に睨まれた蛙の如き藤田は、言われるままにブルーシートを敷いた上に座った。

「見逃してくれるんですよね !?」

「どうして子供にばかりこんなことをする?」

「だって…大人の女だと抵抗されるし、通報されるかもしれないから…」

「だよな。それに、やったってどうせお前の力強い弁護士さんがまた刑法第三九条で守ってくれるしな」

「もうしないから見逃してください!」

「もうしないと言ったってお前は不治の病だ。オレに捕まってから何回やっちゃったの?」

「…やってません」

「元也くんって、ほんと嘘が下手」

「ほんとにやってません!」

「黙れ! オレに嘘は通用しない」

「・・・」

「今後、正義の弁護士センセのお手を煩わせるのは申し訳ないだろ。だから最期はオレが看取ってやるよ」

「最後 !?」

 強烈な殺気を感じた藤田の顔色が変わった。

「ああ、最期だ。心配するな、あとでお前が生前にすべきだった真の望みを果たしてやる」

「え !?」

「おまえの親の責任は甚大だ。何しろ、おまえを産んだんだからな」

 不死川巡査は藤田の口に軍手を突っ込み、容赦ない鉄拳を加えると藤田の鼻骨は砕けて血を噴き出した。大きくゆっくり深呼吸して、不死川巡査は獲物をしとめる目になった。


 藤田元也のように、子どもに対して異常な性的欲求を抱く人間は、嗜好というより一種の精神障害とされる。13歳以下の小児に対し、その都度性的な興奮に駆られ、その欲求対象は両性、或いは女児だけ、または男児だけを対象にする場合がある。小児性愛障害者の多くは欲望を満たすために、被害者の感情や利益、法律に無頓着となる反社会的パーソナリティ障害を伴って犯行を繰り返す。常識的には考えられないが、痴漢をされている女性が抵抗しないのは、痴漢をされたがっていると考えたり、痴漢をされても平気な女性はたくさんおり、特に子どもは性的な行為をされることを喜んでいて、子どもの方から自分を誘っていると本気で考えている。

 児童買春・児童ポルノ禁止法違反は5年以下の懲役刑又は300万円以下の罰金刑。また、18歳未満の者との性的行為は2年以下の懲役刑又は100万円以下の罰金刑が課せられる。強制猥褻罪では6月以上10年以下の懲役刑に処せられ、強制性交等罪では5年以上の有期懲役刑に処せられる。

 しかしそれが何になろう。被害者及び被害者家族の負う精神的リスクには到底見合わない極めて軽過ぎる処分だ。反復性があり、更生の可能性のない犯罪に対する対処は一つしかないと不死川は考えていた。藤田は強行後に殺害した女児を処理するためのブルーシートとガムテープを予め用意する。それが最期の犯行で自分の処理のために使われるとは思ってもいなかったろう。

 黒いワゴン車が到着した。運転席から出て来たのは火葬技師の入江 はじめ。不死川巡査の幼馴染である。

「可燃ごみは?」

「あそこだ」

 そこにはブルーシートに包んでガムテープでぐるぐる巻きにされた藤田元也の死体が転がっていた。は無表情で絨毯を担ぐように淡々とワゴン車に遺体を収納して去って行く入江を確認して、不死川巡査は今日の日勤を終えた。


 入江を突き動かしているのは、不死川への幼馴染のよしみだけではない。過去にレイプの犠牲で娘を失っている。やっと出来た一粒種だった。火葬技師の入江は、娘と、娘の死を苛んで自殺した妻を職場の火葬炉で自ら荼毘に付した。同僚は皆涙に包まれたが、入江はまだ涙が出ない。

 あの日から、真犯人を職場の火葬炉で焼くまでは涙は流さないと決意していた。不死川も小児性愛障害のレイプ犯は逮捕せず、その手に掛けて入江に渡すことにしていた。小児性愛障害のレイプ犯は被害者の苦痛どころか己の罪の意識さえなく犯行を繰り返す。今まで入江に渡した“可燃ごみ” の中には既に該当する真犯人が居たかもしれない。しかし、小児性愛障害のレイプ犯に娘を殺害された無念は、真犯人を何人焼き殺そうと入江の心が晴れることはないだろう。不死川から来る焼却依頼の連絡は火葬技師の入江にとって救いなのだ。


 その頃、本署では犯人の篠塚陽彦のDNA鑑定で馬淵完爾巡査部長の実子であることが認定された。留置所では陽彦の事情聴取が行われていた。

 逮捕の翌日、警察に呼ばれた陽彦の母は、留置所の息子に会わせてもらうことは出来ないまでも、差し入れのおにぎりを置いて去って行った。陽彦は事情聴取をされながらそのおにぎりを涙ながらに貪った。


 どこから飛んで来たのか、交番の入り口にもセミの死骸が転がる季節になった。六地蔵交番は非番の馬淵完爾巡査部長の話題で持ちきりだった。

「懲戒免職ですかね」

「警察官としての誇りが少しでも残っていたら懲戒免職の前に依願退職でしょ。隠蔽は犯罪ですよ」

「警察官の誇りね…そんなもの、脛に傷あるやつの詭弁でしかないでしょ」

 当番の烏丸巡査と天馬巡査の会話に岩淵巡査部長が割り込んで来た。

「身内の犯罪で懲戒免職には中々ならないのが警察組織だ。免職の前に、戒告、減給、停職の選り取り見取り。自ら辞職するにしても警察OB組織の組合が次の就職先を斡旋してくれるという念の入れようだ。因みに馬淵巡査部長ならシラーッと勤務継続かな。それでいいんだ」

 岩淵巡査部長が間接的に馬淵巡査部長を擁護すると、清水巡査が食い下がった。

「息子の犯行を隠匿し腐ってる警察官が勤務継続もないでしょ」

「何だね、その言いぐさは!」

「何がですか?」

「“犯行を隠匿し腐ってる警察官” とは何事ですか!」

「そのままを言ったまでです」

「仮にも私も馬淵巡査部長もあなたの上司ですよ! 上司に対する尊敬の念はないのか !?」

「微塵もありません。上司なら上司らしくあってほしいものです」

「減らず口を…女のくせに上司を舐めるな!」

「岩淵巡査部長…その言葉、パワハラになりますよ」

上杉所長は穏やかな口調で口論を止めた。

「清水巡査、そろそろ巡回の時間ですよ」

「…はい」

 烏丸巡査は清水巡査と巡回に出た。

「天馬くん、君はどう思っているんだ?」

 岩淵巡査部長が天馬巡査に矛先を向けようとすると、天馬巡査は笑った。

「尽きる話でもないのに皆さん真剣ですね。私はなんも考えていません。自分も巡回に行ってきます!」

 自転車を漕ぐ天馬巡査の後姿は岩淵巡査部長への軽蔑がありありと滲んでいた。


 翌早朝、岩淵巡査部長の予想通り、馬淵巡査部長は何事もなかった態で交番勤務に出て来た。清水巡査の希望的観測は裏切られた。岩淵巡査部長はほくそ笑んだ。少しすると、交番に篠塚聖子が現れ、元夫でもある馬淵巡査部長は驚いた。

「どんな御用でしょう?」

 岩淵巡査部長は馬淵巡査部長の妻であることを知らずに、相変わらずの上目線で応対した。

「馬淵の元・家内でございます」

 岩淵巡査部長がフリーズした。不死川巡査も “三十六計関わりなし” と即巡回に出た。先を越された感の上杉所長も、いつものお惚け口調では馬淵巡査部長と岩淵巡査部長に交番を委ねた。

「私は福留さんのお宅に行かなければならないんで、暫く留守を預かってください」

「…分かりました」

 と答えたはいいが、岩淵巡査部長こそ居場所を失って、必死にこの場を離れる言い訳を絞り出した。

「そうだ! 手首事件の聞き込みが残っていたんだった。馬淵巡査部長、悪いが交番を任せてもいいかな?」

「…ええ」

 交番は馬淵巡査部長と聖子のふたりだけになった。

「…あなた」

 馬淵巡査部長には聖子の用事の察しが付いていた。


 上杉所長はその後の福留家が気になっていた。玄関のチャイムを押したが弥栄子は不在のようだった。夫が他界してからどのくらい経つのだろう。福留家には人の気配がない…わけでもないが、弥栄子は臥せって寝ているのだろうか…ならば、また日を改めるしかないかと上杉はその場を辞した。交番に戻るのはまだ少し早いと思い、巡回がてら駅前を遠回りしていると、煙が駄々洩れの喫煙コーナーの前でキョロキョロしている岩淵巡査部長が目に入った。近付いて声を掛けると岩淵巡査部長は異様に驚いた。

「誰か探しているのか?」

「いえ、ちょっと…」

「あ、そう」

 交番に居づらくて時間稼ぎをしていることが見え見えだったが、上杉所長はそれ以上は聞かずに去った。それにしても何で喫煙コーナーなんだ? 手首事件の犯人でも捜しているのか?…そんなわけはないか…いや、そんなわけだった。


 福留弥栄子は上杉所長の突然の訪問に息を殺していた。その隣には死んだはずの夫・正一が必死に咳を堪えて潜んでいた。ふたりは路上喫煙者の手首狩りにその生涯を賭けて命を滾らせていた。


 上杉所長が交番に戻ると、そこは血の海になっていた。喉元にはナイフが突き刺さったままの馬淵巡査部長が息絶えていた。その傍で聖子は穏やかに安堵の表情で座っていた。

 巡回から次々と警察官たちが帰って来た。血だらけの馬淵巡査部長を見るなり、清水巡査は怒りの衝動をぶつけた。

「なぜ殺したの! この男には償わせなければならないことがあったのに!」

「清水巡査…どういうことなんだ!?」

「私の母は20年前の六地蔵通り一丁目アパートの火災で犠牲になった。この男がその時の放火犯に間違いない。刑法第41条の悪法でのうのうと、しかも警察組織に逃げ込んで…こんな結末は認められない!」

「清水巡査…」

「なんのために私が警察官になったと思ってるの! 私は、この男への復讐しか考えていない! こんな結末は絶対に認められない!」

 馬淵巡査部長の死骸に突進しようとして暴れる清水巡査を、不死川巡査は強く抱き寄せた。

「これは、あなたのお母さんの力なんだ。お母さんはあなたにそうして欲しくなかった。だから、お母さんはこういう結末を用意してくれたんだ!」

 清水巡査は不死川巡査の言葉に突き動かされて泣き崩れた。聖子は血の床を向き直り、清水巡査に深々と土下座して詫びた。

「恨んでください。もっともっと恨んでください。申し訳ありませんでした」

 交番は息詰まる沈黙に包まれた。やっと清水巡査は冷静さを取り戻し、土下座している聖子の肩に両手を当てて起こした。そしてその表情は驚きに変わった。

「奥さん !?」

 聖子は舌を噛んで果てていた。時同じくして、朝になっても一向に起きない留置所の篠塚陽彦は警察病院に救急搬送されたが、既に死亡していた。


〈『第20話 名物』に続く〉

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