第17話 触法少年
手首事件が暗礁に乗り上げたまま、交番に衣替えのシーズンがやって来た。警察官の制服は沖縄から一ヵ月遅れて毎年6月1日に夏服に代わる。
不死川巡査が夏服に変えてから初の立ち番に立っていると、散歩の老人が現れた。
「おはようございます!」
老人は不死川巡査の挨拶には応えず、いつものように交番の奥を覗いた。
「板尾巡査が加わりましたよ」
老人は不死川巡査から意外な言葉が返ってきたのに驚いて振り返った。
「板尾巡査は少し前に遺体で発見されました。旦那さんには見えていたんですね」
「あんたにも見えるのかい !?」
「たまにね」
「そうかい!」
いつになく散歩の老人の対応には生気が漲った。
「あんたには…この交番、守ってもらいたい」
老人はそう言い残して散歩に戻った。配属5年目の老人の言葉は、不死川巡査にとってなぜか勲章にも値した。
不死川巡査はいつもの巡回に出た。今日の相棒は烏丸巡査だ。今にも降り出しそうな空模様になった。不死川巡査は急ぎの自転車を急停車させた。バイクと半キャップタイプのヘルメットが無造作に転がっていた。その奥のアパートの陰の違和感に自転車を降りた。烏丸巡査も慌てて自転車を停めた。
「どうしました !?」
不死川巡査は烏丸巡査の声を制止した。ゆっくりとアパートの奥に向かうと突然悲鳴がした。不死川巡査が駆け寄ると、同じ年齢ぐらいの少年に対し、見覚えのある少年らが二人掛かりでリンチを始めたところだった。二人の少年の名は坂井忠彦と諸井雄太。こいつらも、何度補導しても悪さを止めない連中だった。不死川巡査は迷わず二人を滅多打ちにしてぐったりするまで叩きのめした。被害少年はあっけに取られてフリーズしていた。
「この時代遅れのクソDQN《ドキュン》が…てめえら、まだ “コルク狩り” なんかしてんのか」
“DQN” とはテレビ朝日が1994年から2002年までオンエアしていた『目撃!ドキュン』という番組名に由来する呼称で、“16歳で出来ちゃった婚で子どもを産み、20歳で離婚し、40歳で目撃ドキュンに出る人たち”という意味でネットを中心に揶揄されるようになった。
後ろで見ていた烏丸巡査も平静な様子で傍観していた。寧ろ邪魔が入らないように見張っていた感がある。公務執行妨害、犯行の阻止及び未然防止…警察官が暴力行使を正当化する理由はいくらでもある。
「こいつらには少年法第24条があるからな…」
「何度てめえらに煩わしい思いをさせられたか…ということで、今回は補導はしない。巻き上げた金を出せ」
ふてくされたまま無視する坂井と諸井に、烏丸巡査も加わって強烈に腹部を蹴った。
「警告2回目、巻き上げた金を出せ」
坂井と諸井の無視は続いた。不死川巡査は頭格の坂井の腹部に強烈な蹴りを入れるとゲロを吐いた。
「警告3回目、巻き上げた金を出せ」
二人は渋々ポケットから金を出した。
「足りねえんだよ」
「それで全部だよ。金なんか取ってねえよ」
「取ってようが取ってまいが関係ねえんだよ。慰謝料が必要なんだよ、有り金全部出せ!」
不死川巡査は更に坂井の鳩尾を蹴った。坂井は咳き込んで血を吐いた。
「警告4回目!」
すると諸井が慌てて持ち金を全部出した。
「こ、これで本当に全部です!」
不死川巡査はその金をリンチを受けていた少年に渡した。
「…受け取れません。お金は取られていません」
「これは治療代と慰謝料の手付金だから受け取りなさい。またやられたら教えてくれ。次はこいつらを殺すから、ちゃんと報告するように。いいね!」
被害少年は激しく頷き、不死川巡査が強引に差し出した金を受け取った。
「あのコルク半のメットはもう被らないほうがいい。こういうバカどもが集って来るからな。行け!」
「は、はい!」
被害少年は半キャップのメットを置き去りにバイクを押して逃げ去っていった。
「おい、触法少年…てめえら、またやったな。次はねえぞ…うせろ!」
少年司法では、犯罪少年、触法少年、虞犯少年に区分される。罪を犯した一四歳以上二〇歳未満の犯罪少年。14歳未満で犯罪を犯した触法少年。将来犯罪を犯す
そんな折、管轄内の住宅で「家族が刺された」と110番通報があった。その日も当番の不死川巡査は、金城巡査部長と駆け付けると、複数箇所刺された女性が仰向けの状態で倒れていた。特に首付近を刺されているため動脈が損傷し出血が酷かった。搬送先の病院で被害者の死亡が確認された。被害者は坂井忠彦の母親だった。やつが犯人だとしたら、またしても刑事責任が問われない触法少年として扱われるだろうが、危害を加えた相手が、自分という性質の悪い人間を産んだ大元なわけだから、見ず知らずの他人に害を及ぼすよりは筋が通っている。ただ…性質の悪さをこれ以上撒き散らさせるわけにはいかないと不死川巡査は坂井忠彦の抹殺を決意した。
坂井忠彦は幼い頃、いじめに遭っていた。親の無関心、しつけの教育不足などいろいろあるだろうが、物事の良し悪しが分からぬまま犯罪を繰り返すようになった。忠彦は気性の激しい母親からのDVを受けて育った。物心つく前から暴力に触れているため、人を傷付けることへの自制心が乏しい。寧ろ、人の苦しむ姿こそ不安定な己の心に平静を取り戻した。従って、信頼し合う交流など皆無に育った。通り魔や連続殺人事件などの犯罪者は、家庭環境に関わりなく、幼少期から奇妙な行動を取る傾向があるといわれる。坂井忠彦の性質の悪さは、持って生まれたものが毒親という刺激で暴発した結果と不死川は判断した。
現場保護の帰り、金城巡査部長がポツンと漏らした。
「必殺仕事人だったら少年犯罪者は蕾のうちに迷わず全員間引きが妥当かもね」
金城巡査部長も、自らの意思で犯罪に走る少年は更生の余地などないと判断しているようだった。不死川巡査は黙って微笑んだ。
最近の不死川巡査の趣味は専ら自分の淹れたコーヒーを含みながら、ひとり死体処理と火葬についての考察に不耽ることだった。一般に、殺人は死体さえ発見されなければ、その事実は存在しないことになる。
死体の腐臭は100m先でも臭い、隠し切れない。白骨化の状態で発見されてもDNA鑑定で身元が判明すれば交友関係などから犯人が特定されて逮捕に至る。完全犯罪の殺人死体の処理は完全な消去しかない。消去法は如何なるものがあるのだろう。
ゴミ置き場はどうか…タイミング悪く収集車に回収される前に動物や人に異臭で発見されてしまう確率が高い。一般家庭ゴミ収集車で死体をプレスし、死体の水分は車体下部の汚染タンクに収拾するも、それから先の処理はどうする。食べてしまうことはどうか…この事象は現実にあったようだが、食べ切るまでに時間が掛かり目的は達成されなかったようだ。では、業者と懇意になるのはどうか…アスファルト合材を約3000℃の熱処理で混ぜて肉から骨まで全部溶かして道路に敷くにしても共犯者がいれば、その後のトラブルは容易に想像が付く。では、火葬はどうなのか…火葬技師は人手不足だ。正確には火葬技術管理士というが、国家資格ではない。大卒・高卒など火葬場によって差があるようだが、一般に火葬技師二級資格は誰にでも取れ、火葬技師一級資格は実務経験5年で取得出来るケースが多いようだ。ただ、そうした資格を持っていなくても面接や勤務には左程影響はないという。要するにその人間の性格の向き不向きが大きく左右する職種なのだ。
そこで、不死川は火葬技師になった場合を想定してみた。殺人遺体を人目に触れず火葬場まで運ぶことに成功したとする。水分で占められる遺体は燃え盛る火葬炉の中でパンパンに膨張した後、時に体液を放ってから少し前屈みになって起き上がる。焼き終えた遺体のお骨は自治体の名で不用品又は一般廃棄物として処分が出来る…と火葬技師をしている不死川の幼馴染の入江
常々、不死川巡査は性質の悪い犯罪者の合法的消去案を練っていた。とりわけ触法少年への関心は高かった。彼らは主に直系親族からの因果応報を背負った気の毒な存在でもあるが、犯罪の根源でもある。目に余るもの、又はその可能性が高いものは、罪のない犠牲者を抑えるために早急に消去することが止むを得ない緊急避難と考えていた。しかし、法的にも人道的にも人権を無視する言語道断で危険な考えとされる。その結果、更生という大義のもとに触法少年は野放しになり、度重なる犠牲者の泣き寝入りを容認し、人権の天秤が被害者を貶める現実がある。正に法の網に食い込んだ族どもが渦巻く “割れガラス理論” を誘発させる発火装置だと、不死川巡査を常軌の一線が綱渡りさせていた。
〈『第18話 ストーカー』に続く〉
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