第15話 交番の台所
暦の上では梅雨入りだが、空は透き通った五月晴れだった。この日、交番勤務の巡査が地元行事で全員駆り出されていたが、板尾巡査は体調不良を理由に休暇を取っていた。その板尾巡査が、警察官が全員出払うこの日を狙って不在の交番に曽根崎健斗を連れて現われた。
「一度、じっくり話をしたいと思ってね」
買い物袋を提げた板尾巡査は交番の台所に向かった。
「私が君に憎まれていることは承知しているけど…まあ、今日は一緒に食事でもしながら話そう。食事といってもレトルトなんだけど…」
台所に立った板尾巡査が健斗にレトルトに簡単な具を添えて出した。
「先に食べててくれ。オレのもすぐに出来るから」
「どういうつもりなんだ」
「腹が減ったら飯を食う。それだけのことだ。今日は町内の行事で交番には他の警察官は来ないから、ちゃんと話を聞くには一番いいと思ってね」
板尾巡査が自分の分も作って持って来たが、健斗は警戒して食事には手を付けなかった。
「レトルトは冷めたらまずいぞ」
板尾巡査は構わず先に喰い始めた。
「やっぱ、レトルトには限界があるね。でも腹の足しにはなる。いつ出動命令が出るか分からないから味わって食事することなんかめったにないんだ」
板尾巡査は健斗のイメージとは違って心成しか直向さすら感じた。今は少しだけでも歩み寄るしかないと思い、健斗は食事に付き合う事にした。
イベントを終えて警察官一同が返ってくると、交番の台所で泡を吹いて死亡している健斗が発見された。救急車や鑑識官の篠田元哉、長谷部薗子、そして御馬舎刑事と東雲刑事が駆け付け、大騒ぎになっていた。原因は所内台所で調理した昼食に混合された毒物が死因と判明した。
「この男が勝手に交番の台所を使ったのか !?」
不死川巡査らは、一人分の食器と使用された鍋に健斗の指紋だけが残っていることを不審に思った。
この日、休暇の板尾は、食事に口を付けた健斗が苦しみ出すのを確認すると、そそくさと交番から消えていた。
翌日の引き継ぎには板尾巡査も来ていた。
「交番の台所で昼飯を作るとは大胆なやつだな」
「その上、毒で死んでりゃ世話ないですね。天罰です」
「特撮ヒーロー番組で培った板尾巡査の言葉がそれか? …不謹慎じゃないのか?」
「…すみません」
「それにしても、この男、警察官のローテーションを知って、交番が不在になるのを把握していたのかな?」
「誰もいなかったのか? 鍵は掛けなかったのか?」
「鍵は自分が掛けました…掛けたはずですが…」
「掛けた“はず” !?」
天馬巡査の返答に岩淵巡査部長と馬淵巡査部長の怒鳴りがハモった。そしてふたりは互いに憮然と見合った。清水巡査が言い添えた。
「天馬巡査が鍵を掛けたのは、私が目視しています」
「それは確かな事なのか !?」
「女の記憶など信用できないとでも仰りたいようですね」
清水巡査の一言で交番に岩淵巡査部長と馬淵巡査部長を阻害する空気が漂った。不死川巡査は心ここにあらずの板尾巡査に突っ込んだ。
「君が開けたのかな、板尾巡査?」
全員の視線が板尾巡査に向いた。
「自分じゃありません!」
「そんなにムキになることは無いだろ」
「…別に…ムキには…」
「この交番の鍵が壊れてもいないのに開いたということは…この死体の主がピッキングの技術を持っていたという事かな? 前歴を照合すれば分かるだろうけど」
鑑識官の作業が終わり、健斗の遺体は救急車に収容されて搬送されて行った。
「次は一体誰が死ぬのかね。精々、命を大切にしてくれ」
御馬舎刑事と東雲刑事は度重なる六地蔵交番の厄介事にうんざりしながら皮肉を放って本署に戻って行った。
天馬巡査と清水巡査は、日勤を終えると直帰で不死川、金城、烏丸巡査らと合流し、暗黙の容疑者・板尾巡査について情報を集めることにした。
翌日から、不死川、金城、天馬巡査らは、曽根崎健斗の調査主体の巡回になった。金城巡査部長が、過去に起こった健斗の父の自殺記事を見付けて来たことで、板尾巡査と曽根崎健斗の接点が判明した。記事によると板尾巡査の父親・
一方、非番の烏丸巡査と清水巡査は、板尾巡査の隣に住む住人から、板尾が出掛けたという情報を得た。連絡を受けた不死川巡査は『街頭防犯カメラシステム』で板尾が私服で買い物袋を下げ、健斗を連れて交番に入ったことを突き止めた。
「決まりだな」
翌日、交番に到着する前に金城巡査部長と天馬巡査は出勤途中の板尾巡査を待ち構えた。
「板尾巡査、昨日交番であったことを教えてもらいたいんだが…」
「昨日は非番です」
「でも、交番に来たでしょ !?」
「いいえ」
「曽根崎健斗さんにレトルトカレーを御馳走したでしょ、毒入りの !?」
「そんな馬鹿なことをするわけがないでしょ! 私にはこの地域の住民を守る義務があるんです!」
「そのおまえから住民を守るのがオレたちの使命なんだよ!」
天馬巡査は板尾巡査の詭弁の上げ足を取った。
「この映像を本署に届けてもいいんだが…君の父上は元衆議院議員だ。その子息である君は特撮ヒーローを崇拝する人一倍正義を重んじる警察官だ。だから…自分の身は自分でけじめを付けられるだろう」
「・・・」
「一日だけ待とうと思ってね。正義を貫く特撮ファンである君の名誉のために」
金城巡査部長の一言で板尾巡査はその日の出勤を止め、翌日から行方を晦ました。
1週間後、板尾匠哉は母親の郷里の静岡県沼津市郊外の山林で首吊り死体となって発見された。発見した地元民は板尾教人の後援会長だった。
「…板尾のボン…特撮番組にかぶれよった挙句にこのざまか。警察官のくせに死に様にも責任持てんとは。首吊りするならその前に絶食しやがれ。このバカ、死んでも古里を汚しよって…」
あらゆる排泄物が体を伝い、板尾の足のつま先から垂れ落ちていた。まだ朝夕は肌寒いとはいえ、山の青葉に拒絶される死に様だった。
〈『第16話 手首』に続く〉
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