第13話 カルト警察

 肌寒さも緩む彼岸の入りの日中は立ち番に睡魔が襲う。世間がうとうと歪む頃、立ち番の板尾巡査に声を掛けて来た男がいた。

「私を覚えていますか?」

 はたと正気に戻った板尾巡査は目の前の男に体裁を繕って威厳高く聞き返した。

「どなた?」

「あなたの父親に勧誘された宗教で、私の家族は崩壊しました」

「は !?」

「寝ぼけているんですか、あなた。あなたの父親に勧誘された宗教で私の家族は崩壊したと言っているんです」

「私にどういう関係が?」

「あなたも父親同様、“統一輝き連合” の信者ですよね」

「そういうご用件には…」

 男は板尾巡査に手紙を差し出した。

「何ですか、それは?」

「お読みいただけば分かります」

「そういうものを受け取るわけには…」

「すぐに読まなければ後悔しますよ」

 そう言って男は板尾巡査の足元に手紙を放ってその場を去って行った。板尾巡査は不承不承に手紙を拾い、中の文面を読んだ。手紙には“10分以内に指定の現場に駆け付けなければ爆発が起こる” とあった。どうせ質の悪いいたずらだろうと高を括った板尾巡査は、手紙を屑籠に捨てて立ち番を続けた。交番に脅迫状をよこすような輩は高が知れている。軽犯罪を繰り返して刑務所を住まい代わりにする輩や、“死刑になりたかった” と無差別殺人を犯す死に損ない、刑法39条又は41条を笠に着る常連。板尾巡査は、他の多くの警察官が常套句としている “警察は民事に介入しない”、“事件が起こらなければ関与しない” という大義名分で、そういう輩は無視するのが本文と考えていた。

 そして間もなく遠くで爆発音がした。前の通りを消防車が通り過ぎたのを見て、屑籠に捨てた手紙を慌てて拾い上げ、もう一度読み直した。“10分以内に指定の現場に駆け付けなければ爆発が起こる” とあった先に、“あなたがた統一輝き連合の正義は、あなたがただけが潤う正義です。警察組織への逃亡は赦しません。あなたが警察を辞さない限り、爆発は続きます” とあった。手紙にはしっかり差出人の名前が記載され、爆発現場の地図が添えられていた。

 曽根崎健斗…健斗の母親・史奈が“統一輝き連合”に入信したことで家庭崩壊に至っていた。健斗は板尾家に未来を潰されたことで復讐の狼煙を上げたのだ。確かに板尾巡査には手紙を読んで思い当たることはあった。しかし、凡そは母親の活動であり、自分に直接の責任はないと考えていた。そして板尾匠哉は警察組織に入った。

 昨今、国家公安委員長は閣議後の記者会見で、“統一輝き連合” の霊感商法に関して2010年を最後に「被害届はない」と発言した。警察庁も“統一輝き連合” に口を揃えたかの如く、2010年を最後に「被害届」も「検挙もない」と発表した。実態は、警察が “統一輝き連合” への被害届や検挙に関与しなかったに過ぎない。警察組織は反社カルトとズブズブで、厄介な被害届は受理するはずもなく、“統一輝き連合” は絶対に検挙出来ない位置にある。健斗にとって、警察組織こそカルトの温床であると捉えていた。法が機能していない以上、法以外の抵抗を行使するしかないと追い詰められていた。組織に逃げ込んだ板尾巡査が警察組織の庇護にあろうと、健斗は交番の脇の甘さは十分計算に入れており、報復は健斗の掌握圏内にあった。

 板尾巡査は初動の対処のまずさと、“統一輝き連合” の信者であることを知られるのを恐れ、健斗の手紙のことは報告しないと決めていた。当然、健斗が交番の板尾巡査を訪れたのは一度ではない。板尾巡査が健斗の手紙を握り潰す度にその後も爆発は続いた。


 不死川巡査が真っ先に板尾巡査の異常に気付いた。爆発の起こった日に決まって板尾巡査を訪ねて来る若者が冷笑して去っていく姿を、不死川巡査は何度か目撃していた。

「彼を知ってるのかい?」

「彼って !?」

「爆発が起る度に、あそこで立ち番の君を見て去る青年が居るだろ」

「気が付きませんでした」

「…そう。前にね、恨みを買った住人に刺された警察官がいたんだ」

「・・・!」

「気のせいか、その時の様子と似てるような気がするんだ。ま、気を付けたまえ」

言うまでもなく不死川巡査の一言で、その後の板尾巡査の立ち番が挙動不審になった。特に爆発のあった後は、健斗の姿を探す板尾巡査の視線が泳ぎまくっていた。

「あの…」

 巡回に出ようとした板尾巡査が不死川巡査にこっそり聞いてきた。

「恨みを買った警察官はどこで住人に刺されたんですか?」

「巡回中だね」

 板尾巡査の顔色が変わった。

「今日は自分一人での巡回でしょうか?」

「そうだね。交代勤務上、そうなるね。頑張って、正義のヒーロー!」

 板尾巡査は仕方なく自転車を跨いだ。

「十分、気を付けてね」

 不死川巡査はさりげないダメ押しでプレッシャーを掛けると、板尾巡査の自転車が今にも転倒しそうになった。


 岩淵巡査部長が久し振りの巡回から帰って来た。不死川巡査は素知らぬ態で広げたマップに集中していた。

「この交番は巡回から帰っても誰も言葉を掛けてくれんのか?」

「掛けてほしいですか?」

「常識だろ、ご苦労様とかさ」

「ご苦労様でした」

 呆気ない労いを放った不死川巡査はそのままマップに目を戻した。

「君は私が気に入らないようだね」

「どうしてです?」

「世間話とか相談とか、そういう人間らしい交流が君には一切ないからね」

「人間らしい交流と仰られても、ここには仕事に来ていますし、相談しなければならないような悩みもありませんからね。業務報告以外には特段話すこともないです」

「もしかして私を警戒しているのかな?」

「岩淵巡査部長に限らず、交番巡査も住民も警戒対象です」

「疲れないか?」

「これが私のライフスタイルですから普通に快適ですよ」

「君に関しては良からぬ噂も多々聞いているんだがね」

「それは誰も皆お互い様じゃないですか?」

 岩淵巡査部長の顔色が変わった。

「それじゃ私の良からぬ噂でもお聞かせ願いたいね」

「今、爆発現場の検証を優先していますから後にしてもらっていいですか?」

「爆発現場 !?」

「このところ度重なって起こっている駅裏商店街での爆発です」

「単なる愉快犯だろ。所轄が張り込んでいるからそのうち捕まるだろ」

「随分他人事ですね」

「我々に捜査依頼がない以上、拘るなという事だからね」

「拘るなという指示は受けていませんよ。あらゆる角度から管轄内の住民の安全を守るのは我々の使命です」

「君ね!」

 イライラが暴発する瞬間の岩淵巡査部長の前に上杉所長が表れた。

「不死川さん、何か分かったかな?」

「爆発は決まった位置で起こっていますね」

「決まった位置 !?」

「“統一輝き連合” の指示する“輝きの党” の議員ポスターが選挙の度に貼られる場所です」

「よく気が付いたね」

「趣味散歩が役立ちました」

「その情報を共有して巡査たちの巡回に反映してくれたまえ」

「分かりました。さて、岩淵巡査部長」

「何だね」

「先程のご質問ですが、お答えしたほうが宜しいですか?」

 上杉所長が口を挟んだ。

「岩淵巡査部長の質問 !?」

「ええ、ご自分の良からぬ噂をお知りになりたいと仰るので…」

「良からぬ噂ね。他人の良からぬ噂は聞きたいが、自分の良からぬ噂は聞かないほうが気が楽なんじゃないか?」

「だと思いますが、どうしてもお知りになりたければ上司のご命令でもありますのでお答えするしか…」

「別にどうしても聞きたいわけじゃない」

「そうですか、では次の爆発現場を検証がてら巡回に出ます」

「ああ、頼む」

 不死川巡査はマップを畳んで巡回に出た。岩淵巡査部長が苦虫を噛んでいる横で、上杉所長はインスタントコーヒーを淹れた。

「君もいるかい?」

「いえ、私は…」

「そう」

 帳の降りる交番でひとりコーヒーを啜った上杉所長は、淡く白い息を吐いてからゆっくりと椅子に寄り掛かり、静かに目を閉じた。その姿に何故か岩淵巡査部長は底知れない殺気を覚え、思わず席を立って立ち番に就くしかなかった。ふと視線を感じて振り返ると、上杉所長の鋭い眼光に刺されていた。上杉所長がその目の奥に見えていたのは、携帯電話に手を掛けた岩淵巡査部長の頭部を銃弾が貫く光景だった。

「上杉所長、何か…」

「いや…何でもない」

 上杉所長は再びコーヒーを啜った。

「冷めたインスタントコーヒーは、まるで泥水だな」

 そう言いながら上杉所長は奥の流し台に立った。


〈『第14話 精神鑑定』に続く〉

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