第12話 獄卒

 上杉所長の胸騒ぎに反して何事もなくひと月が過ぎた頃、馬淵巡査部長が非番の日にまた新人警察官が配属されて来た。

「配属してきた新人を紹介する。板尾 匠哉たくや巡査だ。板尾巡査、自己紹介を」

「はい! 板尾匠哉です。本日付で六地蔵交番に配属になりました。ご指導のほど宜しくお願い致します!」

 岩淵巡査部長がしゃしゃり出た。

「板尾巡査のモットーは何かね?」

「自分はこの地元に育ち、特撮ヒーロー番組の影響を受けて、幼い頃から警察官に憧れていました。ですから、モットーは人を憎まず罪を憎むことです!」

「毎週30分で地球の平和を守り続ける特撮ヒーローね」

「はい!」

 烏丸巡査は鼻で笑った。

「でも、未だに地球に平和が訪れないのはどういうわけ !?」

「あ…はあ…」

「特撮ヒーローって本当に正しい人たちなの !?」

「え !?」

 烏丸巡査に続いて清水巡査の想定外の突っ込みに板尾巡査は返答に困った。

「清水巡査、お手柔らかに頼むよ。単なるテレビドラマのことだ」

上杉所長はお茶を濁して形ばかりの引き継ぎを終えようとしたが、板尾巡査は引き下がらなかった。

「特撮番組はただのテレビドラマじゃありません!」

「ただのテレビドラマだろ」

清水巡査は言葉が荒くなった。

「違います! 特撮ヒーロー番組は教育番組です!」

「それ、出演者のバカがほざいていた言葉の受け売りだよね」

「特撮番組を蔑まないでいただきたい!」

「おまえを蔑んでんだよ!」

「清水巡査、それは言い過ぎです。新人の紹介はこれで終わりにする。互いの自己紹介は勤務を通してやってくれたまえ。解散!」

上杉所長はそういうなり出掛けて行った。当番明けの金城巡査と天馬巡査も帰宅。

「あの…」

 板尾巡査は岩淵巡査部長を差し置いて不死川巡査に質問を投げかけた。

「何?」

「所長はどちらへお出掛けになったんでしょうか?」

「知りたいの?」

「初日ですので、何かと所長からもご指示を仰げればと…」

「我々じゃダメなの !?」

「いえ、そうではありませんが…」

「ありませんが、何 !?」

「…すいません」

「上杉所長の言ったところはパチンコ屋じゃないかな?」

 烏丸巡査が巡回の準備をしながら呟いた。

「パチンコ !?」

「それとも愛人のとこかな?」

「愛人 !?」

「気になる?」

「所長は本当にそういったところに…」

「だったらどうなの !?」

 清水巡査がいら立ちを露わにして当番の烏丸巡査と巡回に出た。岩淵巡査部長のどうでもいい訓辞を垂れる隙を与えないまま、板尾巡査にとってもぎくしゃくした勤務の始まりだった。

「板尾巡査…立ち番に」

 どぎまぎしている板尾巡査に不死川巡査が指示を出すと、先を越された岩淵巡査部長が不快な表情を露わにした。岩淵巡査部長にとって不死川巡査は、親しかった部下の及川巡査部長事件に於ける疑惑の人物である。不死川巡査の一挙手一投足が気に入らなかった。


 板尾巡査が交番の前に立っていると、いつの間にかあの散歩の老人も立っていた。久しぶりの交番訪問だった。目の前の老人が自分に手を合わせて丁寧に一礼したので、板尾巡査は面食らった。不死川巡査は、洋子と会っていたあの非番の時に初めて笑顔を見せてくれた老人に親しみを込めて立ち上がると、老人はちらっと不死川巡査の後ろ奥に目をやったのに釣られて不死川巡査も振り返った。すると…見える!? 大勢の殉職警察官が立ち並んでいる姿…かつてこの六地蔵交番に配属された今は亡き警察官の面々がこの世の者ではない風貌を漂わせていた。この交番に度々来て奥を覗いていた老人の行動の意味を、不死川巡査はこの時初めて気付いた。

「あれが見えていたのか、老人は…」

 そう呟いて老人を見ると、既に交番を離れて散歩に戻っていた。不死川巡査は思いがけない何かを見た感じがして、もう一度奥に振り向いた…まだ…居る。

「あれは…何 !? 」

 この世の者ではない風貌の警察官たちの中に、驚くかな馬淵巡査部長も岩淵巡査部長も、そして板尾巡査の姿もあった。

「…ということは !?」

 不死川巡査の気付きを待っていたわけでもなかろうが、亡霊たちは…消えた。老人は板尾巡査がもうすぐ他界することを知って手を合わせて一礼した…に違いない。更に馬淵巡査部長のみならず、自ら希望してこの六地蔵交番に転属して来た岩淵巡査部長までが亡霊の一員となって立っていたことが、不死川巡査に更なる警戒心を生ませた。彼がどのようにして命を落とすことになるのか…不死川巡査には知る由もなかった。


 上杉所長は、福留正一の救急搬送後の容態が気になって、また福留宅を訪れた。病院での患者の付き添いが出来ないコロナ禍で、弥栄子はこのところまんじりともせずに過ごしていることは、目の下のクマが物語っていた。

「その後、どうですか?」

「病院でタバコを吸う人はいませんからね」

「申し訳ありません。警察官たちには巡回時にはなるべく路上喫煙者にご協力を求めさせているんですが…」

「ご協力 !? そんな程度じゃ誰も言う事なんか聞きませんよ。最初が肝心だったんです。ガキどもの喫煙如きと思っていたかもしれませんが、今では商店街のマナーの悪さに人通りさえ減ってきている始末ですよ。西洋式かなんか知らんが、食べ歩きで散らかし放題、シャッターや電柱、道路へのタギング、一晩明けたらあちこちにゲロの博覧会。今じゃ役所の清掃員すらほったらかしですよ。誰が片付けると思ってるんですかね」

「確かに巡査たちの報告でも、そうした内容が増えています」

「路上喫煙全面禁止にも拘らず、役所も警察も引け腰であることに商店街は皆怒っていますよ。だから私は何度となく交番に善処を申し入れに行ったのに、一つ覚えのように “民事には介入出来ない” の一点張り。“事件が起らなければ出動できない” の何のと、答えがのらりくらりの間にとうとうこのざまですよ」

 上杉所長は返す言葉もなかった。

「事件が起らなければ動けないなんて詭弁だ。事件が起こってからじゃ遅いんじゃありません !? 何のために交番があって、警察官が巡回してるんです !?」

「仰るとおりです。耳が痛いです」

「先日から商店街の掃除はやめることになりました」

「え !?」

「警察に倣って、この商店街がどれだけ荒れようと動かないことになりました。この街がゴミの街になるまでには何日も掛からないでしょう」

「・・・!」

「巡回の度に汚くなっていく街をじっくりご覧になってみてくださいな」

 弥栄子のトーンは静かではあったが、馬淵巡査部長や岩淵巡査部長に対する、いや、警察に対する敵意が感じられた。弥栄子に怒りをぶつけられたことで、やっと胸騒ぎの理由が分かったものの、上杉所長はこのまま何も起きないはずはないと、今度は底冷えのする危機感に苛まれることになった。


〈『第13話 カルト警察』に続く〉

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