第10話 非番の不死川

 正月の交番は神社の如くひっきりなしに賽銭なしの訪問者が訪れる。小競り合いの仲裁、うっぷん晴らしの言い掛かり、道に迷った酔っ払い。不死川巡査も正月の明け番は、平和ボケ連中のだらしなさに毎年うんざりして帰る。天下の独り身ではあるが帰宅してもお節料理などない。置き配を頼めばいいのだろうが一人で正月気分を味わう気にもならない。ひんやりとした寝床にぶっ倒れるだけだ。この不快さは天気の良い日を狙って布団干しをしなかったリスクだ。

 交番警察の勤務形態は、24時間体制で業務を行わなければならない交代勤務制だ。朝8時半から翌朝8時半まで連続して勤務する “当番”、当番明けの “非番”、“日勤” の3交代で勤務することが一般的だ。しかし長くこの交代勤務制の当番、非番、日勤の体制で勤務していると、休みを認識出来なくなる。当番の夜勤明けの日は非番といえども、ぼんやり過ごすとすぐに勤務がやって来る。交代勤務制の場合、日勤の日を月に数回程度休みにすることで、勤務時間の合計が範囲内に収まるよう調整されているはずだが、疲れて寝ていると、その貴重な一日さえ無駄にしてしまう。更に有事の際の呼び出しには基本的に応じなければならない。

 不死川の場合、当番明けは帰宅と同時に昼まで寝ることにしている。就寝前の六法全書の黙読は高い確率で記憶に刻まれる。そればかりか副作用のない睡眠導入剤でもある。起きたらシャワーを浴びて近くの店で昼食を採り、散歩するのを日課にしていた。旅をするでもない、況してやデートをするでもない地味なサイクルを何年も続けているが、かつての母親からの無茶ぶり人生に比べれば十分に満ち足りた毎日だった。


 不死川が当番明けの就寝の後に向かういつもの日本食堂は、一番街商店街の巡回で親しくなった中村善治の蕎麦屋“寿食堂”だ。平時も正月も関係なしにガランとしていて寧ろ落ち着く。可もなく不可もない味だが、空きっ腹で喰えば問題ないと不死川は交番配属以来通い続けている。食事を済ませて、ぷらぷらと帰宅までの時間潰しの散歩を始める。正月のせいか若干人出が多いか…と、目の前を “あの散歩の老人” が通り過ぎた。不死川は追い付いて声を掛けてみた。交番以外で会ったことはなかったので、その老人には興味があった。

「旦那さん、このお近くでしたか?」

 案の定、老人は無表情で薄い反応を示しただけで先を急いで去って行った。少し歩いていると、今度は不死川が声を掛けられた。誰かと思って振り向くと、そこに長谷川洋子が立っていた。

「洋子ちゃん !?」

「今の人、お知り合い?」

「時々、交番の前を通る人なんだ」

「そっけなかったね」

「仕方ないよ。警察官を好きな人なんてあまり居ないだろうから」

「私、おまわりさんが不死川さんみたいな人なら好きだよ」

「嬉しいことを言ってくれるじゃない。何か御馳走しないといけないかな?」

 不死川は冗談を言って笑った。

「今、ごちそうして」

「え !?」

「お腹空いてるんだけど」

「あ…そう…いいよ」

 期せずして今食事を済ませたばかりの不死川は、洋子と食事をすることになった。しかし、不死川には洋子のような若い子を連れて行ける店など急には思い浮かばない。まさか、今出て来た“寿食堂”というわけにもいかない。

「どこに行き…」

 戸惑っている不死川に洋子は行きたい店を指定して来た。

「この近くにパスタの美味しい店があるんですけど…」

「あ…じゃ、そこに行きましょう!」

 不死川は助かった。その店は寿食堂の少し先の2階にあった。

「へえー、こんなところにパスタ屋さんが。気付かなかったなー」

「いつも巡回してるのに !?」

「面目ない」

  “229タパス”というこじんまりとした落ち着く店内だった。

「ここはね、ニンニク料理の専門店なの。食べても臭わないのが売りね」

「“229”ってニンニクの事か!」

「ピンポーン!」

「私はお酒飲めないけど、不死川さんはお気を遣わずにどうぞ」

「私も飲めないんだ。警察組織では上司に嫌われる第一位がお酒を飲めないこと。だからいつも蚊帳の外」

「今時、時代遅れね」

「化石のような縦組織だからね」

 注文した“229パスタ”の味は不死川の通い続けている寿食堂とは異世界のものだった。

「不死川さんは何人兄弟 !? どこで生まれたの !?」

「いきなり !?」

「聞きたいの。駄目 !?」

「いいけど…」

「じゃ、話して」

 不死川は洋子の積極さにすっかりリードされていた。

「六人兄弟の末っ子に生まれたんだ。私の田舎は長兄制がしぶとく残っていて、何事に於いても兄が最優先なんだ。兄の食事の世話も弟がして、衣類は全て兄のお下がり、下手をすれば学校の成績すら兄を越えてはならない」

「流石に今は違うでしょ !?」

「信じ難いが、未だにそうした慣習が残っているところが多々ある。次男と三男の嫁は奴隷とまでは言わないけど、兄嫁の小間使いにされるから、結婚の壁は厚いね」

「…そうなんですか」

「ところが、思いもよらない事態になってしまった」

「え !?」

「私の母はね、長男の嫁と合わなくて田舎を離れて上京間もない私のもとに転がり込んで来たんだよ」

「余程不死川さんを愛していたんですね」

「だから逆なんだよ」

「逆 !?」

「愛しているんなら、上京間もない生活の基盤も出来ていない末っ子に扶養を強いるだろうか?」

「…そうよね」

「生活の基盤が出来たら万が一の時は必ず呼ぶからと約束もして出て来たんだ。もしそうなったら、何の期待もされていない三男の身なのに理不尽とは思ったけど、自尊心の強い母だから、嫁姑の食い違いは起り得ると思っていた。扶養の覚悟はあった。ところが一年も経たないうちに強引に転がり込んで来たんだ」

「ご長男は何も仰らなかったんですか?」

「嫁姑のそりが合わないことにうんざりしていただろうから、勿怪の幸いだと思ったろうね。音沙汰なしだよ。次男は婿養子で遠くに生活の基盤を構えてしまっていたから、残る寄生先は三男坊の私ということになった」

 不死川は冷笑した。

「上京して警備会社に勤めて、無料の社員寮に転がり込んで生活を切り詰めながら、母親を引き取るための貯えをしていたんだけど、上京して10ヵ月ほどしたら急に出て来ると言うんで急いで部屋を借りて貯金は空っぽ。夜中に引っ越しの4トン車が到着したはいいが、狭い部屋だから荷物が入り切らない。それから数日間、仕事を休んで荷物の処分。母は泣くばかり。そうなったのは誰のせいなんだろうね」

 不死川は再び冷笑した。

「ご兄弟の援助は?」

「あるわけないよ」

「話し合いとかしなかったんですか?」

「いつだったか、長男が自分の就職先を探せと命令して来た時があった。そういう兄なんだよ。母子揃って自分本位なんだ」

 不死川は大笑いした。

「お父さんは?」

 洋子は父親のことに触れない不死川に遠慮がちに切り出した。

「小学生の時に他界したよ」

「そうだったんですか、ごめんなさい」

「誰でもいつかは必ず死ぬから」

 不死川は笑った。

「誰も頼れない不死川さんの事が分かっていながら、お兄さんたちはどうもしなかったんですか?」

「お互い無視だよ。それ以来、兄弟とも親戚とも音信不通で過ごした。母と貧乏のどん底生活を過ごしながら、警官になってやっと人並みな生活が出来るようになった10年目の昨年、他界してくれたよ」

「・・・」

「兄が世間体が悪いからと母親のお骨を渡せと要求して来た。その時、母からの手紙だと何通か渡された。私のことを自慢して盛んに遊びに来るよう促す内容だった。母は連絡し合っていたんだね。知らなかった…空しかったね」

「なんか…腹が立つ」

 洋子の呟きに不死川は微笑んだ。

「そういう母なんだよ。警察官になって、幸か不幸か各地の交番を単身で転々としてたからね、一緒に住まないのが自分なりの母への精一杯の抵抗だったんだ。仕送りするだけの扶養生活がギリギリ自分との折り合い」

「・・・」

「母が他界してホッとしたよ」

「・・・」

「きっと親不孝なんだよ、私は。だから、洋子さんのような温かい両親に恵まれている人は羨ましい」

「私は恵まれているなんて思ったことはないけど、不死川さんのお話を聞いたら…確かに恵まれているわね」

 ふたりは笑った。

「不死川さんってお母さまと言い争いなんかしなかったんですか?」

「しなかったね。母には従順だった…言われることは何でも受け入れた。それが当然だと思っていたんだ。おかしいと思うようになったのは母が死んで十数年経ってからだ。だんだん腹が立ってきた。母が私に強いたことは、私を愛していたんじゃなく、自分自身を愛してたんだと分かってから無性に母との過去に腹が立っている。今更の反抗期かな。遅過ぎるよね」

 不死川は寂しく冷笑した。

「私はもし結婚して子供が出来ても、絶対に依存したくない。縁を切ってでも子どもには自分自身の道を歩かせる。それが出来なかった母への反抗だ」

 沈んでいる洋子に気付いた。

「ごめん、久しぶりに会えたのに、とんだ話になっちゃったね。お母さんが待っているからそろそろ帰らないとね」

「不死川さんとお茶したって言ったらお母さんはきっと喜ぶわ」

「そうだといいけど、ここで話したことは内緒にしといてね。誰にも話してないんだから。何で洋子ちゃんに話しちゃったのか…」

「私の催眠術が聞いたのよ」

 不死川はやっと屈託なく笑ったので洋子は安心した。もっと一緒にいたいと思ったが、巡査と住民の関係でしかないと思い、解散するしかなかった。店を出て洋子を見送ろうとしていると、あの散歩の老人が不死川に気付いて、さっきとは別人のように笑顔で丁寧に一礼して去って行った。“笑顔 !?” 怪訝な表情の不死川に洋子は思わず聞いてしまった。

「どうかなさいました?」

「…あ…いつも交番の前を散歩で通り掛る方、ほら、さっきも偶然お会いした方なんですよ。無口で、況してやあんな笑顔を見せたことなんてなかったんです」

「不死川さんは、もういつもの警察官の顔なんですね」

「え!? どんな顔 !?」

「お正月の間にうちに遊びに来てください!」

 洋子はそう言うと足早に去っていった。


〈『第11話 トラブルメーカー』に続く〉

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