第9話 難敵ふたり
ハロウィーンの空騒ぎの度に渋谷の街は俄か古代ケルトの似非ドルイド信者のバカ騒ぎをする場所になったようだが、後に残るのは毎年酔っ払いを含めたゴミの山だけだ。そのクソイベントが過ぎると今度はDJポリスが活躍する正月準備の候となる。
おまわりの入れ替わりが頻繁な六地蔵交番にもゴミが紛れ込む。岩淵巡査部長に続いて
「この交番では立て続けに死人が出たそうだな」
誰もが黙して語らない中、清水エリカ巡査の様子が可笑しかった。馬淵巡査部長の顔を見た途端、急に震え出したのを金城巡査は見逃さなかった。
「不死川巡査と清水巡査は巡回の時間ですね」
新任の馬淵巡査部長の自己紹介だというのに、金城巡査部長は二人に巡回を促した。
「金城君、馬淵巡査部長が配属されたばかりなんだ。挨拶だけでも…」
「巡回を最優先させていただきます。所長が日頃から仰られているように、優先順位から考えて自己紹介は巡回の後でも宜しいかと」
「それはそうだが…」
「我々もこれまでのように巡回を最優先させていただきます。住民の安全に関わる事なので」
不死川巡査はダメ押しで金城巡査部長の機転を読んで清水巡査を伴い巡回に出た。それを見送って金城巡査部長は立番に立った。
「不死川という巡査…どういう人物ですか?」
岩淵巡査部長が上杉所長に問い掛けた。
「質問の意図が見えませんが?」
「住民にかなり信頼されているようですね」
「ええ、対応が常に真摯ですからね。何か不都合でも !?」
刺さるような剣を帯びた上杉所長の目に、岩淵巡査部長はぞっとした。
「いえ、先日、非番なのに住民の意向でわざわざ交番に出向いて来ましたから…」
「警察官として当然の自覚じゃないですか? 岩淵巡査部長は違うんですか?」
「私は非番に住民に呼ばれたことはありませんので…」
「そう」
会話はそこで終わった。配属されたばかりの馬淵巡査部長は、気勢を殺がれて徐に机に座るしかなかった。岩淵巡査部長もそれに倣って居心地悪そうに座った。交番内の空気は、まるで高齢者施設の休憩時間のように時間が止まった。
清水巡査は深刻な表情で自転車を押しながら考えていた。自分が馬淵巡査部長の顔を見て何故奮えたのか…その理由は分かっていた。中学時代の火事で母が放火の犠牲になった日、野次馬たちの片隅で炎に包まれた自宅を見ながら震えていた時、隣に立っていた男は…“ここに家を立てちゃダメなんだ” と繰り返し呟いていた。そしてその男が帰り際に振り向いた顔は、若き日の馬淵完爾の顔に間違いなかった。清水巡査は彼こそ放火犯だと直感的に思った。そして、その放火犯を見つけ出すために警察官になり、地元配属を希望した。何の手掛かりもないまま残酷に時が経ち、今、その男が選りに選って警察官という鎧を身に纏って目の前に現われた。きっと母の怨念がこの交番に引き寄せてくれたんだと思った。馬淵巡査部長を見て奮えたのは、恐怖なんかではなく武者震いだった。清水エリカは馬淵完爾に放火の口を割らせ、抹殺したら刑に服さずして自分の人生を終えようと心に決めていた。
「駄目だよ」
心を読んだかのように、ふいに不死川巡査が後ろから掛けた言葉に清水巡査はフリーズした。
「背中が殺気立ってるよ」
「・・・!」
「我々、デコ捨て山の獄卒は危険な個人プレーはしない」
「獄卒 !?」
「閻魔大王の部下のことだよ」
「閻魔大王って地獄の番人よね !?」
「この六地蔵交番は、ろくでもない警官が送られて来るデコ捨て山という地獄の一丁目だ。我々は閻魔大王の手足となって働く獄卒だ」
「じゃ、閻魔大王は誰?」
不死川巡査は “それは上杉所長だ” と言いたかったが、今一確信に足る自身はなかった。
「閻魔大王の正体は地蔵菩薩。正にあの交番の名前そのものだ。悪人を飲み込んだら生きては帰さない」
「・・・」
「そこでだ…馬淵巡査部長は、清水さんにとって何者なんだ? このデコ捨て山に流されて来たのと何か関係があるのか?」
清水エリカは今日までの孤独な苦悩を誰かに話したかった。いや、誰かではなく信頼の於ける不死川に話したかった。
「…あの男は」
清水巡査は重い口を開いた。中学時代の火事の件を話し、馬淵巡査部長が犯人であることの確証が持てたら復讐するつもりだということを打ち明けた。
「よく話してくれたね」
「不死川先輩は信用出来ます」
「閻魔大王は理不尽の波に呑まれて溺れ苦しむ人々の心の救い主だ。デコ捨て山に飲み込まれた以上、馬淵巡査部長は生きては帰さない」
「どうすれば…」
「急ぐと事を仕損じる。清水巡査、ここは獄卒仲間と楽しく成敗だ」
この六地蔵交番に “曰く付き” の
その頃、上杉所長がまた本署に急用が出来て出掛けたため、配属されたばかりの馬淵巡査部長と岩淵巡査部長は所在無げに交番の椅子にふんぞり返っていた。すると、またあの老婆・福留弥栄子が交番を訪ねて来た。よりによって役立たずの
「どうかしましたか、お婆ちゃん?」
「…いえ…この間もお願いに来たんだけど、主人が…」
「ご主人がどうかなさいましたか?」
「また咳込んで苦しんでいるんです」
「救急車を呼びましょうか?」
「家の前でタバコを吸う人たちがいるんですよ!」
「え !?」
「家の前でタバコを吸うのをやめさせてもらえんでしょうか? この間もお願いしたんです」
「タバコですか…」
「この辺一帯は路上喫煙全面禁止ですよね。それなのに一向に守らない人たちがいます。お巡りさんから注意してもらえんでしょうか?」
「巡回の者に、見掛けたら喫煙はやめるように言っておきます」
「今すぐには出来ませんか?」
「丁度全員出払ってるもんでね」
「不死川さんに伝えてもらえんでしょうか?」
「帰ってきたらすぐに向かわせます」
「…お願いします」
岩淵巡査部長の返答に、老婆は不服気に半ばあきらめ顔で去って行った。
「…クソババアが」
「また、不死川ですか…随分人気がありますね」
「虫が好かないやつですよ」
「でも住民には気に入られているんでしょ?」
「巡査たちにもね」
「この交番は、配属になった警察官の死が絶えないようですね」
「確かに、人の入れ替わりが頻繁な交番のようですね」
「この間も一人命を落としたばかりですよね」
「拳銃の暴発でね」
「本当に暴発でしょうか !?」
「命を落とした日、及川巡査部長はあの婆さんと揉めていたらしいですよ」
一瞬あってふたりは目を合わせた。
「お互い、気を付けませんとね」
「そうだな…住民だけじゃなく、部下にもね」
ふたりは福留弥栄子が商店街に消えていくのをいぶかしげに見送っていた。
福留弥栄子はかつてカラス部隊といわれる千葉からの行商をしていた。年金暮らしになり、COPDの夫・正一の入院に伴って都内に転居し、今は通院だけになった夫との二人暮らしだ。しかし、繁華街の一番街では禁止されている路上喫煙者が絶えず、喫煙の刺激に敏感に発作を起こす夫を見兼ねて、何度も交番を訪ねていたが一向に事態は変わらなかった。
馬淵巡査部長は配属されたばかりにも拘らず、この交番の過去の交番記録に目を通すこともなく、初日の勤務を終えて帰って行った。従って、先日の及川巡査部長と老婆とのトラブルは知る由もなかった。馬淵巡査部長が帰って間もなく、金城巡査部長は定期巡回に出た。交番には夜勤組が入るまで岩淵巡査部長が一人残った。
岩淵巡査部長もこの老婆の相談は他愛もないたかが民事だと軽視した。一般住民が警察を動かすのは実に面倒くさい。警察は事件性のないトラブルは民事とひとくくりにして消極的だ。“通行人が捨てたゴミが溜まっている” では動かない。“溜まったゴミの中に不審物がないか心配だ” なら警察は動かざるを得ない。“子供が泣いてうるさい” では動かない。“子供が虐待されているような気がする” と通報すれば、事件性があるので動かざるを得ない。岩淵巡査部長は、この老婆の切なる訴えに犯罪性など微塵も感じず、内心では、路上喫煙の取り締まりは役所の仕事で、警察は民事には不介入の立場だと居丈高だった。しかし、路上喫煙全面禁止が管轄自治体の条例であり、訴えがあった以上、警察官である岩淵巡査部長の列記とした任務だ。従って、老婆の訴えには率先して対応しなければならず、“巡回の時に見掛けたら” と曖昧模糊な返答で胡麻化す類のものではないが、巡回の者に伝達すらしなかった。
「何だ、この交番は…老人ホームの受付じゃねえんだよ」
一人毒吐いた岩淵巡査部長は身を持て余し気味に立ち番に立つと、近付いてきた老人と目が合った。老人は交番の奥に目をやり、何かを確認した後、岩淵巡査部長に視線を刺し、徐に手を合わせて丁寧に一礼し去って行った。
「何だ、あのジジイ !?」
その声が聞こえたのか、はたと足を止めて振り向いた老人の鋭い視線で、岩淵巡査部長は金縛りになった。そして、あまりに執拗な老人の蔑みの表情に悪寒が走り後退った。その足が踏んだ枯葉は、まるで自分の魂を踏み潰したような不吉な音がして岩淵巡査部長は激しく慄いた。その無様を無表情で見据え、老人は再び散歩の途に就いた。
〈『第10話 非番の不死川』に続く〉
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