第7話 専守防衛
烏丸巡査はずぶ濡れの清水エリカ巡査を伴って火災現場から戻って来た。
「どうしたんだ !?」
「火災に出くわして清水巡査が人命救助しました。所長は?」
「また本部に呼ばれて…烏丸巡査、状況を報告しろ」
「その前に清水巡査の手当てを」
「報告が先だ!」
杓子定規に立ち塞がる及川巡査部長との間に天馬巡査が割って入った。
「烏丸巡査、報告を。手当は自分がします。清水さん、奥へ」
烏丸巡査はこれまでの状況を報告していると、天馬巡査が手当てを終えて出て来た。
「清水さんは?」
「今、着替えています」
「そうか」
「では、自分は現場に戻ります」
「烏丸巡査、君も同行しなさい」
「現場には金城巡査部長と不死川巡査が向かっています」
「いいから君も向かいなさい!」
及川巡査部長の言葉に烏丸巡査は一瞬躊躇した。何故なら、及川巡査部長は教官時代に女癖の悪さを露呈していた。交番に着替え中の清水巡査と二人だけにすることは憚られた。そこに住民が道を尋ねて来た。
「すみません、駅はどう行けば…」
「私が案内する。君は早く火災現場に向い給え!」
及川巡査部長に急かされて烏丸巡査は仕方なく天馬巡査の後を追うしかなかった。
住民への道案内を済ませた及川巡査部長は交番の内側から鍵を掛けて“巡回中”の札を下げ、奥に入って行って行った。
「清水くん、大変だったな」
奥の更衣室の戸を開けると、まだ着替え中の清水巡査は身構えた。
「すまん、まだ着替えが済んでなかったか」
と笑いながら及川巡査部長はそのまま清水巡査に覆い被さった。及川巡査部長の力は清水巡査の抵抗をものともせずに更衣室の壁に押し付けた。咄嗟に清水巡査の手は及川巡査部長の拳銃に届いていた。
不死川巡査と金城巡査部長が巡回から帰って自転車を降りると、交番の奥から“パーン”という発砲音がした。急いで交番に入ろうとしたが、中から鍵が掛かり、“巡回中” の札が垂れ下がっていた。不死川巡査が奥を覗くと、衣類が乱れて呆然と座り込んでいる清水巡査の姿が僅かに見えた。
「清水さん! 清水さん!」
不死川巡査が何度もドアを叩くと、やっと気付いた清水巡査は我に返った。
「清水さん、ここを開けてください!」
清水巡査が立ち上がり鍵を開けると、金城巡査部長は急いで清水巡査を奥に連れて行った。すると、床に及川巡査部長が脇腹から血を滲ませて転がっていた。その顔は既にこの世の者ではなかった。
「何があった !?」
その言葉に清水巡査は自分の乱れた服装に初めて気付いて全身を硬直させた。
「…襲われて…止むを得ず発砲してしまいました」
そして、清水巡査は金城巡査部長の懸念の表情に応えた。
「自分の身は守りました」
「そう!」
金城巡査部長は胸を撫で下ろした。
「兎に角急いで着替えて!」
金城巡査部長が救急車を要請しようとすると、不死川巡査が止めた。
「金城さん…私が思うに…清水さんは自分の身を護っただけですよね」
「…はい」
不死川巡査はハンカチを出し、入口に据え付けた消毒液で湿らし、拳銃の指紋を拭き取って、改めて及川巡査部長の利き腕に堅く握らせてから、左手に持ち替えさせた。
「及川さん !? 何してるんです !?」
「現場保存です」
「え !?」
「これはどう見ても強制猥褻から緊急避難する過程に於ける正当防衛の偶発的な事故ではないでしょうか?」
金城巡査部長はこの時初めて及川巡査に小気味よい寒気を覚えた。
「自分がレイプするなら、利き腕は自由にならないとね。ですから左手に拳銃を持ち替えて…」
「及川巡査部長が拳銃で脅してレイプしようとしている時に誤って暴発した…ようですね」
「金城先輩もそう思いますか?」
「ええ、私と全く同じ見解よ」
「でしょう」
「そうよね、清水巡査」
「・・・」
「清水巡査 !?」
「…はい」
清水巡査は今この交番の管轄を離れるわけにはいかなかった。何としても母の命を奪った放火犯を取り押さえなければならない。
「そのとおりです」
「分かったわ。じゃ、救急車呼びましょうか」
警察と消防の手配は金城巡査部長に任せ、不死川巡査は及川巡査部長の死体の前にしゃがんだ。
「“デコ捨て山” にようこそ」
そう言って、既に死亡している及川巡査部長に激しく心臓マッサージを施し始めた。
「不死川先輩 !?」
清水巡査は死亡している及川巡査部長への心臓マッサージの意味が分からなかった。
「レイプ未遂犯に全力で救命措置を施したが…蘇生ならず…」
そう言って心臓マッサージを続ける不死川巡査に、金城巡査部長と清水巡査は、六地蔵交番の獄卒頭を見ていた。5分程すると救急車が到着した。不死川巡査は救急隊員に告げた。
「心マで肋骨が数ヵ所折れているかもしれません」
「了解です」
次第に交番の周りが人だかりとなる中、及川巡査部長の遺体が搬出されて救急車で搬送され、本部からのパトカーと擦れ違った。パトカーから降りて来たのは、前回の不祥事の際にもやって来た本部刑事係の御馬舎刑事と東雲刑事だ。
「またこの交番か!」
御馬舎刑事は吐き捨てた。そこに天馬巡査と烏丸巡査が火災現場から戻って来た。
「何かあったんですか !?」
金城巡査部長は小声でふたりに詳細を話した。天馬巡査はさもありなんと溜息を吐いた。御馬舎刑事が交番勤務の一同に質問してきた。
「配属期間が一番長いのは…」
「自分です」
不死川巡査が答えた。
「これまでに警察官同士のトラブルは?」
「ないです」
「全くか !?」
「ええ、全くないです」
「及川巡査部長に付いて知っていることは?」
「先日配属されて来たばかりなので、この交番での仔細はこの “猥褻未遂行為” だけです」
「猥褻未遂 !?」
「今思い出しましたが、及川巡査部長が我々の警察学校時代の教官だった当時、同じ過ちをしたのを記憶しています」
御馬舎刑事は知らなかった情報のようだが、東雲刑事は知っていたようだ。
「こいつなら、やりかねんな」
「彼の事を知っているのか !?」
「噂ではね」
不死川巡査が言葉を重ねた。
「自分は…異常性癖の持ち主が再犯を繰り返すことを分かっていながら、まだ警察官を続けられていたとは知りませんで、この交番に配属されてきた時は意外でしたが旧知の方なので…ある意味、感動しました」
「感動 !?」
「はい! 我が警察組織は寛大なまでに一警察官を守ってくれる組織だということを再認識しました」
「君ね…」
御馬舎刑事は次の言葉に迷い、言いあぐねていたが、不死川巡査は意に介さずに続けた。
「公然猥褻は何らかの精神病を患っている可能性が高いともいわれますが、日々の勤務のストレスで脳のコンディションが悪くなって再発したのではないでしょううか」
東雲刑事が口を添えた。
「脳のコンディションというか、及川巡査部長の元来の性癖の悪さでしょ」
東雲刑事の意外な発言に交番一同は驚いた。
「彼は教官時代の私の同僚だ。だから不死川巡査の言わんとする事はよく分かる」
「恐縮です!」
「“デコ捨て山” に、また箔が付いてしまったね」
「“デコ捨て山” !?」
烏丸巡査は不満げに聞き返した。
「本部ではこの交番をそう呼んでるんだ」
「デコって…」
「知ってると思うが、昔、売春業者は警察官をデコスケとかデコチンと呼んでたらしい」
そう言って東雲刑事が冷笑した。
「何で !?」
「兎に角、聴取はこれくらいにする。清水巡査…」
「はい!」
「怪我はないか?」
「ありません!」
「及川巡査部長に対し、どのように考えている?」
「本署にお任せします」
「そうか…分かった」
御馬舎刑事と東雲刑事は納得して帰って行った。入れ替えに上杉所長が戻って来た。
「何かあったのか !?」
上杉所長の携帯が鳴った。聞き終わるとまた交番を出て行った。
「“デコ捨て山” の所長は忙しいね。今のうちに飯にでもするか」
目の前で血だらけの死人を送り出したばかりだが警察官も腹は減る。昼食などの食事は持ち込み弁当以外の場合、警察署なら食堂のメニューを食べれるが、交番の場合、勤務中は持ち込み弁当の他には、食事で交番を空けるわけにはいかないので、店屋物或いは交番員の誰かが代表でコンビニなどに買い出しに出る。当然のことだが、緊急事案が発生すれば如何なる時も現場に急行しなければならない。必然的に不死川たち交番勤務の巡査たちの食事は、不測の事態を予期して “食事に執着せず無言で早急に摂る” のが常だった。
ただ、六地蔵交番にはキッチンがあった。不死川巡査はなぜか料理が得意で作業も早かったので、彼が勤務の時は誰もがそれを期待した。今日のメニューはカツカレー。
「清水巡査」
「はい」
「手伝ってもらえるかな」
「はい」
わけはない。いつもいつも腕を振るっているわけにもいかない。今日は冷凍カツとレトルトカレーを電子レンジで温めるだけの作業だ。しかし、この一日で不死川巡査がこのデコ捨て山の獄卒頭であることは、誰もが認める既成事実となるきっかけの日となった。
〈『第8話 忙しい日』に続く〉
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