第6話 デコ捨て山

 清水エリカ巡査が火事と戦っている頃、不死川巡査も金城巡査部長とともに巡回に出ていた。通常、刑事と違い、交番警察官は単独で巡回をすることが多いが、片山事件以来、暫くの間は二人一組体制で巡回することになった。

「不死川さん、ご存じですか、本部での不祥事?」

「不祥事ですか…自分は疎いので…というか、他人事に関心がないんです。警察官には向いてないのかもしれませんんね」

「不死川さんは本音で話さない人のようですね。怖い人だわ」

「買い被りだと思います。自分は無神経なだけです」

「まあいいわ…本部の話だけどね。この交番…“デコ捨て山”って揶揄されているのはご存じでしょ?」

「デコ捨て山…ですか」

「警察官って、犯罪を犯す人間にとっては仇だから、昔から結構辛辣な隠語で呼ばれてんのよね。“アヒル” とか、“ヒネ” とか、“マッポ” とかね」

「…成程」

 警察官は残念ながら、通常はなぜか嫌われる存在だ。 “ひっそりと狙う” を略して “ヒネ” とか、よちよち巡回するから “アヒル” とか揶揄されるらしい。“アヒルがウサギを捕まえた” はよく言われるが、隠語のウサギは脱走犯を意味する。今や放送禁止用語だ。ヤンキー用語の “マッポ” は諸説あるようだが、本命説は明治時代に遡る。政治の舵取りや警察の出身者は薩摩藩が多かったことで、警察を “薩摩っぽう” と呼ぶようになり、“マッポ” の語源になったというが真相は定かではない。不死川巡査は勿論、その辺りの蘊蓄にも長けていたが、交番お巡りとしては知らぬ存ぜぬの勤務姿勢を貫いていた。

「“デコ” もそう。人を罵る“デコすけ”から来ているとか、帽章がおデコのところにあるからとか……結果、姥捨て山のもじりで “デコ捨て山” に至ったらしいわ、この交番」

「六地蔵交番はデコが捨てられる場所ということか…面白い表現ですね」

「要するに、本署にとって煙たい連中の掃き溜めってことね」

「じゃ、どうして金城先輩のような人がこんなところに配属されるんです? 掃き溜めに鶴って正にこのことでしょ」

「あら、少々ヨイショも出来るのね。私は鶴どころか、きっと煙たがられていた禿鷹よ、“女のクセに”ってね。警察組織はいつまで経っても男尊女卑の時代錯誤」

「清水巡査もそう思っているんでしょうかね?」

「大先輩の及川巡査部長に噛み付くところを見ると、あの子もそうかもね。縦の男社会ではあの子も苦労するわ」

「若くして “デコ捨て山” に配属とは、男社会の犠牲者すよね」

 不死川巡査は気怠く吐き捨てた。

「不死川さんは平気そうね。50年前の不祥事が起きてから、この交番に配属されるのをどの警察官も嫌がるのに、寧ろここでは誰よりも活き活きしている」

「50年前 !?」

「知ってるでしょ !? …ここに配属された新米巡査がパトロール中に見掛けた地域の女子大生に夢中になって殺害した事件」

「いえ、知りませんでした」

 不死川巡査が知らないわけはなかった。賑やかな街の交番にしては勤務警官が所長を入れて3名だけということに違和感を覚えて、配属するなり不死川は過去の交番の歴史を調べた。すると50年前の事件にその原因があることを突き止めた。事件以来、この六地蔵交番への勤務を憚る警察官が絶えなくなって久しい。所謂、警察官の過疎交番だった。不死川巡査は各地の交番を転々とした末に、警察官の墓場ともいえるこの交番に流されて来たのだ。

「50年前…配属されたばかりの新米巡査が、巡回を装ってその女子大生のアパートを訪れ、部屋に押し入って鍵を掛け、レイプしようとしたけど抵抗されたのね」


 ドアを開けるとそこに新米巡査・梅川浩順巡査(当時20歳)が立っていた。

「何の御用でしょう !?」

「どうしてるかなと…思って…」

 女子大生・池之端 一会いちえは梅川巡査の言葉に違和感を覚えた。

「巡回ですか?」

 梅川巡査は強引に中に入ろうとすると、一会は強く拒否した。

「あの、困るんですけど!」

 梅川巡査は豹変した。

「こっちがわざわざ来てやっているのに何だその言い草は!」

「頼んでいません!」

 梅川巡査はいきなり一会の首を絞めて床に倒した。暫く暴れていた一会が動かなくなった。

「初めからこうして素直になればいいんだよ」

 梅川巡査は一会の遺体の胸を愛おし気に弄り、その恥辱の手を次第に下半身へと滑らせて行った。しかし身動きひとつしない一会のマグロ状態に梅川巡査は強引に現実に引き戻された。目を開けたまま動かなくなった一会をまじまじと凝視して一線を越えてしまったことを悟った。

「何で抵抗したんだよ…抵抗しなければこんなことにはならなかったろ! おまえの所為でとんでもないことになったじゃないか!」

 殺害された一会の弟・一慧いっけいが警察の安置室の遺体に縋り付いて泣き叫ぶ姿に、両親は肩を落としたまま見詰めて佇むしかなかった。父親・池之端兆治は呟いた。

「一会…父さんはあの交番を呪ってやるからね。成仏したらあかんよ。父さんが死んだら、今度は一会と一緒にあの交番を呪おうね」

 父親の顔は見る見る50年後の “あの散歩の老人” の顔になっていった。


「新米巡査は絞殺現場の第一発見者を装って大家に110番を指示して派出所に戻ったの」

「絞殺現場は?」

「そう思うわよね。警察官が事件現場を離れて通常勤務に戻るなんてあり得ないことだから、刑事に追及されてついに犯行の自供に至ったのよ。梅川巡査は他にもかなりの余罪が発覚して、当時の警視総監が引責辞任する羽目になった一大不祥事」

「警察官の処分は?」

「それは流石に無期懲役の赤落ち」

 “赤落ち”とは刑務所に入って赤い獄衣を着ることを意味する。現在の刑務所の舎房着はグレーだが、江戸期から明治に掛けての獄衣は赤(実際には浅黄色か柿色)だった。

「きわめて悪質な犯行にも拘らず、警察という職務の倫理上からいえば、手緩い判決ですね」

「そうね。警察官への処分は全て手緩いわよね」

「金城先輩の目標は警察の組織改革ですか?」

「そんなの永久に無理ね。でも、私は自分の居場所だけは不愉快な場所にしたくないのよ」

「…ですね。自分もそう思っています」

「あら、そこは私と意見が一致しているのね」

 ふたりは初対面以後、初めてともに笑った。

「それにしても不死川さん、この地域は随分引籠りのお宅多いみたいね」

「そうなんですよ。よく気付きましたね」

「あなたの素振りで分かるわよ。しょっちゅう停まってはあちこち見ながら…本部からの通達ですもんね、引籠り宅への配慮は」

 不死川巡査にとっては、本部の通達などどうでもよかった。遠くに不死川巡査のルーティンとも言えるバス停が見えて来た。


 不死川巡査の巡回のサイクルをある程度把握していた洋子は、看護学校の休校日の朝、久し振りに部屋の窓から下の停留所を覗いていた。隔日出勤であれば、今日は不死川巡査が巡回して来る日である。暫くすると2台の自転車が近付いて来た。よく見るともうひとりは婦人警官である。洋子は咄嗟にカーテンを閉めた。どうしたというのだ、この落ち着かない動悸は…と思いながら、洋子は時間が経過するのを待った。


 不死川巡査はいつものように停留所前に停まって、2階の洋子の部屋を見上げた。今日はカーテンが閉まったままだ。看護学校に通うようになってからは中々顔を合わす機会がなくなっていた。それまでには目を合わせるだけでなく、軽く会釈を交わすようにもなっていた。

「どうしたの、不死川さん。あの2階に何か思い入れでもあるの?」

「最近は軽く挨拶を交わすまでになったんだ」

「あそこも引籠りの方?」

「はい」

「今日はいらっしゃらないのかしら?」

「そうかもしれませんね。この頃また閉まっているんで気になってるんですよ…」

 いつものバスが近付いてきた。

「さて、そろそろ “デコ捨て山” に戻りますか」

 その時、無線から火災現場に急行せよと指令が入った。不死川巡査らは勢い自転車を漕ぎ始めた。


 洋子は2階のカーテンの隙間からふたりが去るのを見詰めていた。

「ご挨拶しなくてもいいの?」

 後ろから洋子の母・達子が声を掛けて来た。洋子は力なく微笑んだ。洋子の両親は不死川巡査の巡回姿勢が娘の心を開いたことに感謝していた。しかし、今日の洋子はいつもと少し違っていた。

「洋子が看護学校に通う事になったのを不死川巡査が知ったら、きっと喜んでくれると思うわよ」

 達子は何とか娘の元気を取り戻したくて言ってみた。すると、洋子は見る見る明るい表情を取り戻した。


〈『第7話 専守防衛』に続く〉

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