第5話 烏丸とエリカの巡回

 烏丸巡査は荒々しく自転車を走らせる清水巡査の後に続くのに必死だった。

「清水さん、もう少し速度を緩めませんか? 早くこの地域に精通して欲しいんで案内させてください」

「その必要はないわ。この地域は私が育った地元よ」

「そうでしたか!」

「無茶苦茶気分悪い」

「失礼しました」

「そうじゃなくて、あの化石のような樽男よ」

「樽男!?」

「上司にあんなのが居ると交番に出勤するのが嫌になる」

「ああ、及川巡査部長のことですね。ボクは爽快でした」

「どうして !?」

「どうしてって…清水さんが及川巡査部長をやり込めたからですよ」

「あの人、いつもああなの?」

「相変わらず変わってなくて気が重くなっていた所です」

「変わってない !?」

「彼は警察学校時代の教官です」

「何でこの交番に…」

「降格らしいです」

「何したの?」

「何したんでしょうね」

「所長より態度でかいけど、今の身分は何?」

「教官時代は警視だった筈なんですが、今のバッジは “巡査部長” でしたね」

「じゃ、金城さんと同格じゃないのよ。配属が一日早いからって何なのよ、偉そうに」

「清水さんは金城さんとは親しいんですか?」

「今朝、交番に来る途中に一緒になっただけよ。でも、私、金城先輩なら付いていけそう」

「良かったですね!」

「及川巡査部長だけなら無理」

「及川巡査部長だけだったら、どうするつもりだったんですか?」

「料理学校にでも入り直したかもしれない」

「清水さんは何でも “サマ” になりそう」

「警察官以外はね。でも、目的を果たす迄は辞められない」

「目的 !?」

「いえ、なんでもない」

「清水さんは警察官 “サマ”になってますよ」

「そんなわけない。好きじゃないのよ、このセンスのない仰々しい制服」

「でも、なりたくて警察官になった人ってどのくらい居るんだろ」

「烏丸さんはどうして警察官になったんですか?」

「就活で面接全部落ちてね」

「仕方なく!?」

「スタートはそうかもね。でも、この頃やっとこの仕事が自分の性に合っているかもしれないな…なんてね」

「聞いてもいいですか?」

「どうぞ」

「さっきから時々停まっては住宅の中を窺う素振りをしているんですが…」

「ああ…はい」

「制服を着てなければかなりの不審人物なんですけど」

「確かに…実は引籠りのお宅をね」

「引籠り !?」

「引籠りのお宅が要配慮事項なもんでね」

「そんなに多いの !?」

「多いんですよ、この地域は」

「…そうなの」

「清水さんが暮らしていた頃はどうでした?」

「私が学生の頃は引き籠りなんてあまり居なかったと…もう少し活気があったと思うんですが…商店会の朝市なんか人ごみで混雑していたけど、今はどうなんですか?」

「残念ながら、今の朝市は閑散としていますね。コロナの所為もあると思うけど。つい最近は他の地区で無差別殺傷事件が起きたんですが、犯人はこの地区の引籠り男性だったもんで、ショックでした」

「・・・」

「人間は引籠りによる孤独から絶望感が生じて、自殺願望や復讐願望を抱き易くなるようです」

「でも、さっきから停まる回数が随分多いわよね。そんなに多いんですか !?」

「子供が独立した後、配偶者に先立たれて一人暮らしになった老人も増えたんですよ」

「それは引籠りじゃないでしょ?」

「老人は “一人暮らし” から、次第に “引籠り” に変化して行くんです」

「どうしてですか?」

「加齢に伴って自分から進んで交流をしなくなるんです」

「私もそうなるかも…人間、あまり好きじゃない」

「不死川先輩と同じこと言っていますね」

 烏丸巡査は笑った。

「不死川巡査も !?」

「ええ」

「良かった、私だけじゃなくて」

「どっちかと言えば私もです」

 二人は笑った。

「高齢になるに従って社会の進歩に付いていけなくなるのは仕方がないことかもしれません。決して他人事じゃないです。今まで会話で充分成り立っていた生活が、スマホが扱えなければ暮らし難い世の中になったでしょ? それに加齢というのは病気と認知症が背中合わせになるんです」

「引籠りってご本人に危険なんですね」

「そうなんです。だから清水さんも“引籠り”の場所を早く覚えて、巡回の時は配慮してあげてくださいね」

「了解! …あれ !?」

「どうしました?」

「なんか臭わない?」

 清水巡査は臭いの元を探してどんどん住宅の奥に入って行った。異常を察した近くの住民が数人出て来ている場所に辿り着くと、アパートの2階から物凄い勢いで黒煙が漏れ出してきた。

「…ここに、またアパートが出来たんだ」

 時折、炎も噴き出している。突然、台所辺りの窓ガラスが割れた。清水巡査は奥に人影が見えた気がして、集まっている住人に叫んだ。

「あの部屋に誰が住んでいるかご存じの方、居ますか!」

「確か、お年寄りが!」

 烏丸巡査が追い付いて来た。

「取り敢えず消防には連絡しました!」

「このままだと火だるまになるわ!」

「え !?」

 清水巡査はアパートの階段を駆け上がった。

「清水さん! 戻りなさい!」

 烏丸巡査が止めるのも聞かず、2階に上がった清水巡査は部屋のドアを蹴破って中に入った。

「…清水さん!」

 烏丸巡査も仕方なく2階に駆け上がったが、清水巡査の後を追ってドアの中に入ろうとすると、黒煙に伴って炎が容赦なく噴き出して来た。

「清水さん! 清水さん!」

 烏丸巡査は夢中で清水巡査を呼び続けた。消防車のサイレンが近付き消防隊が到着すると階段を駆け上がって来た。

「中に警察官が!」

 消防隊は烏丸巡査を遠ざけて放水を始めた時、その水を浴びながら、清水巡査が老婆を背負ってドアから出て来た。手を貸そうとした烏丸巡査は消防隊員らに制止された。

「あなたは野次馬の整理をお願いします!」

「同僚なんです!」

「いいから私たちに任せて!」

 救急車が到着した。消防隊員らは清水巡査から老婆を引き取り、救急車に向かった。ずぶ濡れになった清水巡査は老婆が救急車で運ばれる様子を見て安堵した。

「清水さん、一旦交番に戻りましょう!」

「現場を離れるわけには…」

「すぐに帰還しろと。所長命令です。不死川さんたちがこちらに向かっていますから」

 清水巡査は納得して烏丸巡査とともに交番に向かった。


 清水巡査が老婆を見過ごせなかったのにはわけがあった。中学時代に、丁度この辺にあったアパートに両親と住んでいた。近所一帯が火の海に包まれ、母は放火の犠牲になった。野次馬が群がる片隅で中学生の清水は震えていた。翌日、父に連れられ、警察署の安置室で木綿ゆうに顔を覆った母に会った。火災の凄まじさを物語る母でない母の顔に父は後ずさり、母を見ようとしたエリカを怒鳴った。父は嗚咽を堪えていた。もう母の作ってくれる弁当を食べられないんだなと思った途端、エリカは全身から力が抜けてその場に座り込んで動けなくなった。その時の放火犯はまだ捕まっていない。しかしあの時、中学生のエリカは火災現場の片隅で震えながら、野次馬に混じって火災を見入っている笑顔の男の顔を脳裏に焼き付けていた。


 巡回中に火災から老婆を救った清水巡査は、交番への帰途、“あの日”の放火犯への憎しみが込上げていた。絶対にあの放火犯を捕まえようと決心して警察官になっていた。


〈『第6話 デコ捨て山』に続く〉

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