第3話 巡回

 時折、交番の前にセミの死骸が転がる晩夏となった。交番勤務が長くなる巡査の誰もがそうであるように、巡回路はその巡査によって様々な拘りが出来る。烏丸巡査にもこだわりの巡回路が決まりつつあった。烏丸巡査と天馬巡査は、不死川巡査の影響をかなり受けており、不死川巡査が引籠りの住民には特に気を配って巡回しているのが気になった。思い切って聞いてみると、それは不死川巡査がこの交番配属当初に経験した苦い戒めによるものだった。


 巡回中、不死川巡査は偶然いじめ現場に出くわしたが、何度か見過ごすうち、それがいつも同じ面子であることに気付いた。いじめ被害生徒は高校2年の長谷川洋子。加害生徒は上級生の川園ひとみとその交友関係の少年・立花 裕翔ひろと、更に洋子と同じクラスの入江智里の三人だった。

 洋子は何度となく万引きを強制されながら、拒否する度に手持ちの金品や所持品を取られていたが、その日は一向に指示に従わない洋子に痺れを切らした川園ひとみらは実力行使のリンチに出た。不死川巡査は暴行に割って入り、主犯と思われる立花の襟首を捉まえるなり、手心を加えようともせずに無言で滅多打ちにした。不死川巡査の凶暴さに、川園と入江はその場に凍り付いた。立花は見る見る戦意を失ってサンドバック状態の無様を晒していったが、不死川巡査の鉄槌は止むことなく続いた。凝視する川園が震える声で絞り出した。

「警察官がそんなことをしていいんですか!」

「どの口が言いやがる、クソガキが! クズは黙ってろ! てめえら、そこを動くなよ。逃げたらこいつを殺すぞ!」

 不死川巡査は立花が気を失うまで腹部に鉄槌を下した。

「やっとおとなしくなったか…公務執行妨害及び暴行の現行犯で逮捕する」

そう言って、ぐったりしている立花のポケットから乱暴に免許証を取り上げ、川園と入江にも学生証を要求した。二人は拒んだ。

「ガキだからってオレは手加減しねえぞ。てめえらもこうなりてえか!」

「殴るなら殴ればいいだろ!」

 言い終わらないうちに川園の髪を引き千切る乱暴さで振り回して壁に叩き付けた。

「何か言ったか?」

 怯える二人は不死川巡査の指示に従うしかなかった。

「学生証を学校に提出されたくなかったら、明日のこの時間にこの場所へ保護者と来い。来なかったら学校に通報する。失せろ!」

「このことを学校に報告します!」

「オレもおまえらの事で学校に報告することがある。別件でな!」

 ふたりの顔色が変わった。

「それを知ったら…先生も親も青褪めんだろうな」

 逃げるように去る川園と入江を横目に、洋子は怯えて蹲っていた。

「救急車を呼ぼう。被害届のために診断書を書いてもらいなさい」

「いいです」

「良くない…唇から出血してる」

「帰ります!」

「待ちなさい! 今、救急車を呼ぶから」

「やめてください! 私の問題です!」

 不死川巡査は暫く洋子を見詰めていた。

「…分かった。じゃ、家まで送ろう」

「お断りします。ひとりで帰れます」

「…そうか…何かあったら交番に私を訪ねて来なさい」

 不死川巡査は洋子に名刺を差し出した。洋子は受け取らずにお辞儀して去って行った。

 不死川がここまで徹底した暴挙に出るには不死川なりの訳があった。これまでの職務に於いて立花のような素行の悪い人間はその後も何度となく窃盗から傷害致死を繰り返す。不死川巡査はその度に連中を擁護する刑法41条の壁に腹立たしい思いを強いられて来た。誰もが更生するわけではない。性質の悪い人間には見切りを付けなければならない一線がある…それが不死川の信念に強く刻まれた。


 数日後、洋子は交番を訪ねて来た。しかし、忙しそうな不死川巡査を見て何も言えずに足早に去って行った。洋子が引籠り生活に入ったことを不死川巡査が知ったのはそれから暫く経ってからのことである。

 翌日には洋子がいじめの現場で不死川巡査に助けられたことを知った両親が交番を訪ねて来た。

「その節はありがとうございました」

 お礼に現れた両親からの報告は惨憺たるものだった。不死川巡査がいじめの翌日に学生証を渡す約束をした川園ひとみと入江智里の母親が、長谷川家に抗議に現れた。洋子が親しくなった警察官に脅されて心に強い傷を受けたというものだった。それから日を置かずに長谷川邸は何者かによる嫌がらせのタギングをされていた。両親の相談を受けた不死川巡査は自分の対処のまずさを反省し、タギング犯を確保するために監視カメラの設置を薦め、自分は巡回に力を入れることにした。同時に、川園家と入江家を訪ね、娘たちの素行の詳細を話し、タギング犯は必ず捕らえることを宣言すると、両家の母親に狼狽があったことを不死川巡査は見逃さなかった。学校に川園ひとみと入江智里、そして退学になった立花裕翔の三人のいじめ行為とタギング被害の犯人検挙に全力を尽くすことを報告したことで、学校は形式的に両家の母親を呼び、事態の収拾を図ったことを警察に報告して来た。その結果、間もなくして、タギング犯が判明した。川園ひとみと入江智里の二人である。不死川巡査は川園家と入江家を再び訪ね、その件を報告すると両家はともに学校への報告をしないよう懇願して来たが後の祭りである。

「タギングだけなら損害賠償をすればそうしてやりたいのですが…」

 川園ひとみと入江智里の愚行はそれだけではなかった。

「その他にも深刻な現実があるんですよ。娘さんとよくお話になってください」

 二人は売春行為を常態化させていた。しかし、一向に埒が明かない両家を見限って、不死川巡査は川園ひとみと入江智里の売春行為を報告するため学校に出向くと、判で押したような校長の弁解が不死川巡査を苛立たせた。

「何分、生徒の将来を考えると卒業までは出来る限り穏便に…」

「ご存じのように “児童買春、児童ポルノ禁止法” は、児童の保護等に関する法律なので二人の生徒は罪に問われませんが…これはオフレコなのですが、この学校の教師が“未必の故意”による捜査対象になっています。逮捕は時間の問題です」

 思わぬ事態に校長は動揺した。

「児童買春罪は、18歳未満の児童と援助交際を行った場合に成立する犯罪で、その刑罰は、5年以下の懲役または300万円以下の罰金刑です」

 不死川巡査も判で押した返答で学校訪問の真の目的の冷水の一言を校長に浴びせた。この学校は崩壊していた。堕落教師を先頭に立花裕翔のような性質の悪い生徒が連なっている学校だった。不死川巡査の一言から端を発し、数ヶ月後にこの学校は破綻を迎えることになった。

 イチョウの葉が黄色く色づき、実が落ち始める頃、後ろ指の対象と化していた川園ひとみと入江智里の家は引っ越しを余儀なくされた。


 繁華街で事件が起こった。片っ端から通行人を襲う凶行で死傷者が出た。逮捕された犯人は六地蔵交番の管轄に住む “引籠り”住民・片山巌だった。生活に窮した片山は失うものが何もなく、躊躇せずに凶悪犯罪に及んでいた。烏丸巡査と天馬巡査の脳裏には不死川巡査が “引籠りの住民には気を配ったほうがいい” と言っていたことが甦った。

 暫くして、本部からの通達があった。片山のような凶行犯を「無敵の人」と呼称し、彼らに救いの手を差し伸べずに見過ごすことは社会のリスクになると注意を呼び掛けてきた。「無敵の人」…呼称は、犯罪に何の躊躇もない者を意味するインターネットスラングだ。付随して「拡大自殺」という精神医学用語があるが、絶望による自殺願望や、嫉妬や妄想や不安による復讐願望で他者を道連れにすることを指し、無差別殺傷の通り魔事件や自爆テロがそれに該当する。不死川巡査の懸念が担当地域で現実となってしまった。


 片山事件をきっかけに巡回に於ける引き籠り住民への配慮は一段と慎重になった。同時に不死川巡査は巡回の度に、引き籠りとなってしまった長谷川洋子の住む2階の部屋を後悔の念で見上げたが、カーテンはいつも締め切られていた。いつの頃からか、洋子の部屋の見える道端のバス停に自転車を停め、次のバスが近付いて来るまで佇むのが習慣になっていた。

 烏丸巡査は本部からの通達どおり、“引籠り”住民らの家をそれとなく気にしながら巡回していた。長谷川洋子の2階の部屋もチラッと見て通り過ぎた時、何かの違和感を覚えた。確か“さっとカーテンが閉まった”…ような気がした。自転車を止めて振り返ったが、カーテンは閉まったままだった。気の所為だったかもしれないと再び自転車を漕いでその場を去った。


 洋子は家の前を不死川巡査が巡回で通るのを待つようになっていた。いつもバス停に佇んでから再び自転車を漕いで去って行く姿を目で追うようになっていたが、今日の巡回は別の巡査がしている姿にがっかりしている自分に驚いた。

 そんなある日、カーテンを覗く洋子の目が輝いた。不死川巡査がいつものようにバス停の前に自転車を止めて佇んでいた。不死川巡査はふと洋子の部屋を見上げて、思わず “えっ !?” と声を上げた。洋子と目が合っていた。カーテンはすぐに閉じられた。バスが近付いて来たので心残り気味に自転車を走らせた不死川巡査は何故か満足だった。


 交番に帰っていつものように昨日の巡回記録を確認した不死川巡査の目が止まった。烏丸巡査の巡回記録に長谷川洋子のカーテンの件が記載されていた。“気の所為だったかもしれないが” とあった。不死川巡査が納得の溜息を吐いてふと交番の外に目が留まった。いつもの老人が交番の前に立ち止まって、また奥のほうを不思議そうに覗いていた。声を掛けようと笑顔で立ち上がると、老人はすぐに歩き出した。不死川巡査も交番の奥に何気なく振り向くと、何人もの警察官がどんよりと立ち並んでいる姿が見えた…ような気がした。


〈『第4話 手練れと潔癖』に続く〉

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